善く生きる

気がつくのはむずかしい

シャンプーを変えてから肌の調子が良い。
前のシャンプーはフケや痒み対策がPRされた商品なので使っていたけれど、合わなかったようだ。
午後になると頭皮が香ばしくなって、黒いカーデガンを羽織るとフケが目立って、憂鬱だった。
アトピー気質で冬にフケが目立つことはあっても、夏にはなかったことなので、加齢のせいかとすこし落ち込んだ。
顎のラインから首にかけてのニキビも人生でいちばんひどく、これが(ニキビでなく)吹き出物か…と落ち込んだ。
ここさいきん化粧水を変えたりビタミンを飲んだり悪戦苦闘していたけれど、シャンプーを変えたら全部改善してしまった。
生活にはいろいろな要素があるし、自分の問題とその原因に気がつくのは難しい。

(さらに同居人のつかっている牛乳石鹸で顔を洗うようにしはじめてからはもっと良くなった。
 その途端に広告が炎上しだしたけども…。
 インターネット上の意見をみると、普通に堅実でいい製品なのに!という意見ばかりだ。そうだそうだ!
 感情をインターネット上で増幅させたくないので、CMはみてない。)

続、パソコン・iPhone問題

母からのパソコン絡みの連絡がいよいよ激しくなったので、急遽実家に日帰りで数時間帰った。
母の訴えを詳しくきいてみると、母が大きく恐れているのは、これまで撮りためた犬やら猫やらの写真が消えることだった。
iPhoneは差し込み口が故障して充電できなくなって慌てて買い換えたものの、アドレスしか移動できず、前に飼っていた犬が死ぬ直前の写真が消える!と、母はたいへんに混乱したらしい。

他人のおばさん

いろいろ事情をきいたが、そんなに混乱するなら、母ができる範囲でも講じられる対策はいろいろあっただろうに…とは思ったが、たかだか犬の写真で狼狽する母をみて、パソコンに弱いけどプライドが高い精神不安定な60代の他人のおばさんとしか思えなくなった。
わたしは、他人のおばさんに辛く当たるような人間ではない。
それで、たいへんだったね、たいへんだったね、と、話をきいて、それから、大したことないから非正規の業者を探して差し口を直してもらえば大丈夫だよ、と元気づけて来た。
母という人の気持ちに寄り添った。口先で。接客業と同じだ。わたしは、本当の心がそこにない方が、芯から優しい(ようにみえる)微笑みや言葉がつくれる人間だ。母は最後、初めてわたしの前で涙ぐんだ。

あの人はただパソコンに弱い他人のおばさんだ。かわいそうだから、気持ちに寄り添ってあげよう。
そう思ったらひとつ肩の荷がおりた。
ある意味ではようやく、母を自立した他人だと認められることができたのかもしれない。
母に認められたいとか、母に優しくされたいとか、母なんだからこうしてほしかったとか、そういう思いから一歩離れられた気がする。
それにしても、母の狼狽ぶりは大変なものだった。
なにかと依存しがちな精神の弱いひとなのだと思う。だってわたしの母親なのだから。

上から見るか横から見るか

そうやって一歩離れて母を見てみると、このひと自身が自分の気持ちを塗りつぶして隠して歪んでしまったのだろうな、と、感じた。わかってはいたが、生育環境も考えると、仕方がないのかな、と思うようになった。
親との問題もあったのかもしれない。祖母はわたしが生まれる前に亡くなっているし、祖父は孫のわたしには好々爺でしかないので、過去のことを母が語らない限り知ることはできないけれど。
母はいつも、自分がいかに輝かしい人生を歩んで来たか、素晴らしい人間か、とわたしに語ってきた。不自然なほどに。
人間は、触れられたくないことについては饒舌になる。
もし、過去のことを母が自分の苦しみや我慢の視点からいま語り直してくれるなら、それを聞いて見たい。大変な苦労や苦しみがあったはずだ。だけど、還暦をすぎた母が自分の人生を異なる物語として語り直すことは難しいだろう。
それはここまで築き上げて来たプライドとアイデンティティを失うことと同じだからだ。
人生も社会も、どこに視点を置くかでまったく違う見え方やストーリーが生じる。

たゆまぬ努力

全然関係ないけど、最近読んだ『クッキングパパ』と沢村貞子さんの『私の浅草』は、どちらも、過去の時代の常識と、その移り変わりを考えさせられる作品だった。
過去の時代というのは、つい、ひとところにとどまって完成していたかのように感じてしまうけれど、明治生まれの浅草の長屋で布団を縫ったり長唄を習ったりして育ったひとが晩年はテレビをみて海辺のリゾートマンションで余生を送っているのは、時代の流れがあるからだ。
クッキングパパ』では、九州男児のパパは、少なくとも3巻まで読んだ限りでは、機会があればどんどん料理を作るのに、それは奥さんや部下の女の子の手柄にしている。
男子厨房に立ち入らず、という考え方が85年頃はまだあったのだ。会社で大量のあて名書きで残業するなんて話もあった。飽くまでどちらもフィクションだけど。
仕事はできるが家事のできない娘を恥じ、男は仕事、女は家事と育てられたものだが…という義父に、パパは「お義父さんたちの時代は、それがいちばん二人の力が出せる形だったんでしょう。僕らには今のやり方がいちばんいいんですよ」と言う。すごい。
そんなパパも、wikipediaを読むと、130巻を超えた現在は料理もオープンだし、ちゃんとスマホも使うらしい。
時代は確かに移り変わるのだ。

誰しもが弛まぬ努力によって、より善い生き方を目指してきた(たぶん)。
父も母も、正しかったかはわからないが、そうだったのだ(たぶん)。
わたしたちも、これからもずっとその努力を重ねてゆくのだろう。
人生も四半世紀を過ぎて、まだまだたくさん知ることがある。
無限大の未来から自由になって、自分の身の丈がわかったいまが、いちばん楽しい。

寄り添って

生きていくライセンス

23才から先、自分が生きていくと考えたことがなかった。23才までに死んでしまおうと思っていたから。
でも、その約束の23才を過ぎて3年、わたしはまだ生きている。それどころか、これから先もずっと生きてゆきたいと思っている。
だけれど、これまで、死のうと思って生きてきた人間が急に方針転換をして、生きていくために生きていくのは難しい。考えたこともなかった大仕事だ。

いま、わたしがてらいなく生きてゆきたいと言えるのは、同居人のおかげだ。愉快でときどきうるさいこのひとと、これから先もずっとずっと生きてゆきたい。同居人といれば、わたしは生きるために生きることができる。恥とか、外聞とか、見てくれとか、そういう今まで気にしてきたことを気にしないで、わたしがわたしとして生きていくライセンスをくれる。
お互いに自立し、尊重しあって、これからも長く生きてゆきたい。

エッセイが面白い

寄り添って老後 (新潮文庫)

寄り添って老後 (新潮文庫)

酔って帰った夜、古本屋の100円の箱の一番上にあったこの本をふっと買った。発行されたのは私が生まれたころだ。
自分の祖母よりずっと年上のひとの話を聞ける機会を得たような気持ちで読み終えた。
さいきんはエッセイの類いが面白くて仕方ない。わたしがこれまでなげうってきた、生きること、生き続けることに必要なヒントを、いろいろな人生や生活のありようから学ぶことができる気がしている。

「生まれて四半世紀を過ぎて、ようやく人生のスタートラインに立った気持ちです。」
この間の仕事の面接のときに、ふっとこういう言葉が出た。
死ぬつもりだった23才でようやく生まれなおして、早回しで幼年期から思春期をやりなおして、今ようやく自立した人間になれる道をみつけた気がする。

味噌汁の味

著者が親から言い聞かせられていたという「お前がどうしてもしたいことは、していいよ。ただ、自分で責任を持つんだよ」という言葉は、自立し、お互いを大切にする同居人の家の人たちを彷彿とさせる。
わたしはいつでも、危ないからやってはいけないとか、それこれは外聞がわるいからやめろとか、そういうことを言われて育ってきた。
この人は「どうしてもしたいことはしてもいいが、他人様に迷惑はかけず、自分の責任でやること」としつけられてきたという。「世が世なら我が家は…」とかいうのもよく口に出す人がいるが、世は移り変わるもので、なかなかもとには戻らないから、そうした「型」にこだわるでなくそれぞれ「わが家の暮らし」「一緒に暮らすひと」を大切に…といったスタンスが好ましい。
「夫婦それぞれが違う家で育った以上、味噌汁の味の好みが違うのは当たり前のこと(中略)ふたりだけの味噌汁の味を作るのが大事」
この一文がいちばんいい。

老いの予習

老いていく身体のこと、億劫になる日々のいろいろ、死を思いながら寄り添う毎日のこと、「もったいない」と思うことと「切れ離れ」をよくすること、困ったときは助け合っても詮索はしない下町流の人付き合いのこと、どれもとても面白く愉快だった。愉快に老いるための予習をした気持ちだ。
なにを読んでも、見栄を張って欲張りなうちの家族とはまるで正反対だった。時代も一周して、経済成長がつっかえた後につつましく生きようとするわたしだから、父母よりも曾祖母の世代のこのひとに共感するのだろう。
自分の子どもや孫たちが生まれるとして、彼らの生きる時代はわたしたちの時代とはまた違うのだろう。そのときは、自分たちのやり方に執着するでなく、彼らの話をよく聞けるおばあさんになっているといいな。

仕事を辞めて、本が読める精神状態が戻ってきて楽しい。本はわたしをどこにでも連れて行ってくれるし、曾祖母のような年のひとともお話しさせてくれる。
わたしもこのひとのように、同居人と寄り添っておいしい食事を小さく食べて、長生きしたい。

break;

パソコン・iPhone問題

両親はパソコン関連に強くない。
わたしも長くインターネットをしているのに、パソコンもインターネットも、かなり苦手なほうだ。
実家のパソコンと母のiPhoneの一連のトラブルで、母は何度もわたしに連絡をしてくる。
挙動のおかしいパソコンを買い換えないことにはどうしようもないよ、と説明しているのに、何度説明しても、また同じ連絡が来る。
インターネットの契約をしている会社の、いつでも答えてくれるというパソコン関連サポートダイヤルの契約だかをしたと、誇らしげに言っていたのに、何度も同じ内容でわたしに連絡が来る。

コストはかけず・小手先で誤魔化す

毎回、「あなたがやってくれるといったのに、やってくれないから自分(母)が不利益をこうむっている」という口ぶりで連絡が来る。
専門家に問い合わせるつもりも、パソコンを買い換えるつもりはないようだ。
母の苦手なジャンルのことだからだろう。
いつもと同じ、重大で失敗をするかもしれない問題は、根本的な解決をするのではなくて、小手先でコストを割かずに解決したいと思っているのだろう。
無料で使えて、マウントを取れる相手だから、わたしに連絡が来る。
自分が苦手なことをするのが嫌という気持ちで、理解できない説明はなかったことにされる。
わたしに訴えたのに何もしてくれなかった、と言われる。毎回だ。

母の日の前、この件に加えて別件もあったので、時間を取ってわざわざ実家に帰った。
それで、また同じ説明をした。
一昨日、また母から同じ件で連絡があった。
「母の日にアップデートをしてくれるはずだったのにね!!!」という一文で、わたしは心底うんざりしてしまった。

親不孝だという気持ち

わたしは、自分は親不孝だという気持ちがある。
親に多額の投資をされたのに、精神を病んで大学も留年し、まともに就職もできず、お金持ちと結婚するでもない。
わたしは無駄の塊みたいな人間だ。
生きている価値がない。死なないとならない。
ずっとそう思って生きてきた。
あなたは、だめで、心が弱くて、いつもお金を無駄にして、だらしがなくて、なにもできないと母から言われて生きてきた。
でも別に、そんなことないのでは?と、実家を離れて思った。
自分は、愛嬌があって、好奇心が強くて、けっこうマメで、細かいところに気配りができて、真面目で、ずっと社会に関わろうとし続けてきた。

親との問題は、こうして考え始めると、いつも同じところで内にこもってループしてしまう。
自分の考えを補強しようと、被害妄想になっているのでは、と、自分で思うときもある。
実際、「母の日」というキーワードに、わたしは親不孝ではないか、という気持ちが刺激されてうんざりした。
自分は被害妄想なのではないか。自分の考えのために事実を曲げているのではないか。
だけど、わたしは、勘違いだとしても、被害妄想だとしても、怒っていいのだ。
わたしが、怒りを感じたときには怒っていい。
怒りを感じてはいけない、と、抑え込むから問題はこじれるしストレスになる。

繰り返す記憶

くだらないことで怒ってしまうのは、これまで自分がないがしろにされてきた記憶がこういうときに繰り返されるからだ。
自立をしようとする度に後ろから撃たれてきたいくつもの記憶が、毎回再生されてそのときに我慢した怒りがくすぶる。

パソコン問題での連絡をいい加減にしろ、前にパソコンを買い換えるしかないとすでに説明した、わからないなら専門家に質問して、と、わたしが怒ってから、母は連絡をよこさなくなった。
結婚の話が進捗を見せて、顔合わせの件で連絡しているが、父からだけ返信が来る。
さっき、「いよいよiPhoneの調子が悪いので明後日auに行くまで連絡がつきません!沈黙の母より」とだけ連絡が来た。
やっぱりヘソを曲げて連絡してこないらしい。
沈黙だか岸壁だか知らないが、この一文でわたしの被害妄想は加速して、いよいよカッと来てしまった。
いつもそうだ。わたしが怒って反発して口もきかなくなると、翌朝は何事もなかったかのように話しかけて来て、わたしの怒りを茶化して困惑させて、問題をそのままにする。

ゼクハラ加害者

結婚の話は、どこで話してもモヤモヤする。
手放しに喜ばれるか、聞き手にストレスを与えるか、その両方かだからだ。
手放しに喜ばれても、母の問題や、今後の不安で、わたしは嬉しいというよりも、大きな仕事に覚悟してかからねばならないという気持ちでいるので、この不安を話せなくなる。
結婚、とか、恋人、とか、ゼクシィ、とかという単語を聞くだけで、「けっ!」となってシャッターが降りてしまう気持ちは、自分自身が少し前まで経験していた。

仕事やメンタルや母の問題を書くためにつくったツイッターのアカウントがあるが、どうもそこでも知人にストレスを与えているような気がするので、今後結婚に絡んだことを書くのはやめようとおもった。
ストレスを吐き出せる場所をもっと作らないと、破裂してしまう。だけど結婚の話は、地雷を踏みすぎる。
これから話が進めば進むほど、母の問題はまた出てくるだろう。
そう思うと気が遠くなる。

前進、でも、わからない不安

就職活動は、イヤな気持ちになることも多いが、ゆっくりと前進している。
結婚の話も、イヤな気持ちになることも多いが、相手のご両親に後押しされて進んでいる。
どれも前進しているけれど、あやふやで、グラグラしている。
いくつものことがあやふやで先がわからない状態なので、不安になる。
さいきんすぐイライラして不安になって、同居人には申し訳ない。

お茶を囲んで

2LDKの部屋で、苛立ちで煮詰まったとき、ふたりでお茶を飲むとなんとなく場がほぐれる。
いろいろなことを話し合いたいし、我慢しすぎないようにしている。だからぶつかるときもある。
向かい合って真剣に話し、話を聞いてもらえることは、今までの人生とは違う。
お茶を飲んで向き合うとほっとするし、今後もこの人とやってゆきたいと改めて思う。

明日は前職の同僚と会う。結婚して長野かどこかに引っ越すときいた。
結婚祝いに、お茶の缶と茶さじと、ほうじ茶を買った。
彼女は本当にいいひとなので、幸せに暮らしてくれるといいなと思う。

ゴーストバスターズ

よくインターネットで揶揄されるような(だから自分が出会うことはないと思っていた)企業戦士みたいな人種と面接で当たってしまって、あまりの考え方の違いに、ショックを受けて寝込んだ。
もっと正確に表現するならば、「コミュニケーション可能だと判断した後で考え方が全く違うことに気がつき、他にもそうした人間が『社会』の多数派なのかもしれない、と思って不安になって」寝込んだ。
社会の多数派があんな感じならわたしはやっぱり社会でやってゆけないかもしれない…。
考えが内に内にこもってゆくことから抜け出すには、違う世界が必要だ。
部屋から一歩も出られなくても、いまのわたしにはAmazonFireTVがある。
プライムビデオで『ゴーストバスターズ』(2016)をレンタルして観た。
ホルツ博士にめちゃくちゃ似てる友達がいるので、気になっていてずっと観たかったやつだ。ゴーストバスターズも好きだし。
当時は仕事でヘロヘロになっているうちに、興行成績が振るわなかったのかすぐに公開が終わってしまっていた。


観終わる頃にはなんとなく元気になった。下品なギャグがよかった。
ポリコレの匂いがするけど、わたしが嫌いな感じではなかった。
というか、ポリコレ的なものを見かけるたびに、わたしはより、みんな自由に互いに下品になってしまえばいいのにとか思うから、割と理想の温度感で、これまで女性に適用されがちだったメソッドを使って男を小馬鹿にしつつ愛している映画でよかった。
スーパーマンのような記号を持った男性が、頭が空っぽ、とか面白かった。
でもWikipediaを読んで見ると、正しさが十分でない!みたいな批判もあったみたいだ。
逆に、男性からの批難もあったんだろうか?それはちょっと読んだだけではいまいちわからなかったけど、たぶんあっただろうと思う。

わたしはマイノリティに立つし、サブカルに立つ人間だから、本当はもっと悪趣味で下品でいたい。
悪趣味で下品で投げやりでいたいのだ。
だけど、世の中が醜悪になりすぎて、いやいやちょっと、メジャーのひとたちはもうちょっと考えないと全員死ぬぞ、と思うことが多くて、ポリコレみたいなことを考えるようになった。
でもそういうことを常に考えているとどんなギャグでも、笑うときにちょっと心にひっかかるものがあって苦しい。
太ってる同居人はほんとうに見た目も陽気で愉快で楽しくて大好きだし我々には信頼関係があるから太っていることを笑うけど、そうやって太っていることを面白がる流れを作ることで他の誰かが嫌な思いをするのじゃないかとか…
めんどくさい。
とにかくめんどくさい。
ゴーストバスターズは、そのあたり、意識してつくられてることは感じ取ったけど、めんどくさい気持ちにはならなくて楽しかった。
わたしはいい映画だったと思う。昨日観たのに今日も観た。愛とオマージュとバランス感覚のある楽しい映画だった。
忘れてたけど、いくら大統領がやってきたって、アメリカは映画で問題解決するとき核兵器ばかり使うなーと思ってウケてしまった。ウケてしまったし、ウケていたいのよ。

リアクション

うちの家族は、コミュニケーションというものが取れない。
コミュニケーションとは、情報が相互に交換される行いなのだとわかったのは、さいきんだ。
今日、親と夕飯を取って、結婚に向けて、あちらのご両親と会ってほしい、という話をした。
でも、わたしがその話を、この話をするために今日はセッティングしたんだ、と切り出して話し出すと、ちょっとしたタイミングですぐ母に遮られるので、疲れてしまった。
実家に届いたわたし宛の郵便物。ムール貝の酒蒸し。猫が冷蔵庫を開けられるようになった話。向かいの家に救急車が来ていた話。近所の家の男の子がドラムを始めたという話。ひとつひとつ、終わるまで、急かさず遮らず待って、また話の続きをして、ようやく全部話せた。
わたしは、親に、特に母に、話を聞いてもらうには、母の長い無意味な話が終わるのをまずは待たなければならない。
わたしの話に、特に踏み込んだ質問がされたり、大きなリアクションがされることは無い。
何かを達成して、喜んでもらいたくても、猫が冷蔵庫をあける話に流されてしまう。
リアクションがないと、わたしはどんどん話を大きくするしかない。会合にはおじいちゃんを呼びたいとか、ナントカ倶楽部の会館でやりたいとか、後で詳細が決まって可能であればやりたいことではあるけど、急ぎではないことで、ただ母がなんであれリアクションしそうな話題を必死に出してしまう。わたしだってまだ、そんなこと決めたくはないのに。

手首を切ったときも、同じだった。わたしが苦しいことを話そうとしても、母には話す隙もないし、話してもマウントを取られて叱責される。こうすれば、さすがに心配してくれるだろうと思った。でもやっぱり叱責されただけだった。
母とわたしは、あのとき永久に離れてしまって、もう戻らないように思う。
「みっともない」と母は怒って、自分の友達でもそういうことをする子がいたが、心の弱い子だった、親戚と食事する日が近いんだから、はやく治しなさい、と言った。
わたしは母にとってみっともなくて心が弱くてダメな子供で、わたしが辛いことより外聞が大事なのだと思った。
初めて手首を切って数年経ってから、なんのタイミングだったが、「あなたが話してくれるのを待ってたのに、どうしてなにも言ってくれないの?」と抱きしめられたことがあった。
だけどもう遅くて、わたしはもう母にはなにも話せないのに、今更そんな風に言われてもなあと思った。
時間を撒き戻せるなら、母との関係をやり直したい。
母に話を聞いてもらいたい。
母に喜んで、誇りに思ってもらいたい。
もう母に縛られて生きるのはやめたのに、まだ辛くなる。
わたしはただ、真剣に話を聞いてもらいたいだけ、それでどう思ったか教えてほしいだけだ。
そういうきもちで、同居人のことを面白おかしく話して疲れてしまった。でも、何にでも素直に反応する同居人のモノマネはややウケてた。
誰とコミュニケーションしても、わたしが突飛なことをしがちなのは、リアクションがほしくて不安だからなんだな、と、今日はなんとなくわかった。

わたしの大切な話を、ちゃんと真剣に聞いて欲しかったよ。
そういうのができないひとなのはわかってるけど。
未だになにを考えてるのか、全然わからない。
今さら何されても、今さらそんなことして、としか、思えないのわかってるけど。
わたしには戻れる家族も家も故郷もない。
いくら綺麗なレストランで食事できても面白くない。
頑張るしかない、とにかく死なないことに、決めたのだから。

バッドバイブス、塩の風呂

ライブハウスへ久しぶりに足を運んだ。
手伝いを頼まれたのでスタッフとして楽屋に顔を出すといきなり、長年悶着のあったバンドマンに「◯◯◯ちゃん!若さの『わ』の字もないね!!!」と声をかけられた。いちばん嫌な奴に最初に出くわして、いちばん嫌なタイプの声のかけられ方をした。ここで抵抗しても、どうせ声を荒げられたり小馬鹿にされたりするだけなので、ああそうですね、もうババアですからね〜と荷物を置いてその場を立ち去った。居たくない場所からは立ち去っていいのだ。俺は知ってるぞ。
わたしが嫌な気持ちになったのは、自分が「若くない(からもう価値がない)」と思っているからではない。
わたしはいま、人生でいちばん美しいと思う。本当は、見た目で言えば23ぐらいの頃がいちばん綺麗だったけれど、今の私は見た目も中身も美しくなった。
毎日、君は綺麗だし美しいし素晴らしいね、と言ってくれる人間と暮らしているのだからそう考えるのは当たり前だ。
わたしが嫌な気持ちになった理由は2つある。
1つは、7つも年上のひとがまだそんなことを言って、自分で自分の首を絞めていること。
もう1つは、その人間が、まだ(かつてのように)わたしをそんな風に粗雑に扱っても平気だと思っていること。
居るのは知っていた。さすがにもう、わたしに対して粗雑な振る舞いはしないだろう、と舐めていたのが仇になった。
思った通り、そのあとになって「でも前よりだいぶいいよね」というマウントをかけられて、ああ、こいつのこういうやり口、とうんざりしてなるべく近寄らないようにしてイベントを過ごした。
久々に見ることのできたいくつかのバンドは面白かった。
面白かったけども、やっぱり小さなライブハウスは少し居心地がわるい。さっきのひとと顔を合わせなかったとしても、だ。音もちょっと粗すぎた。
ひとあし早く帰らせてもらって、風呂を沸かしてバスソルトを入れた。バッドバイブスと肩こりを退けるには清めの塩が要る。
スピリチャルは全く信じていないけれど、悪い「気」みたいなものにアタる、つまり嫌な人にあったりムカついた時に、対処として「清め」という行為が規定されているならそれをとってみるのもいい。
自分が、「もう大丈夫だ」と思えるようになって、その気分から離れられるのだから。

今日はだめな日だった。
朝起きて、外に出る用意をしようと下着をつけた瞬間、今日はだめだとわかった。
こういうときは、時々ある。
「わたし、調子よくなりました!」みたいになって、たくさん、人とも会って楽しく過ごして予定も詰まってきて、よ〜し、頑張るぞ!楽しむぞ!みたいなときに、突然くる。
いま、こう書いてみて初めてわかったけど、たぶん、わたしが受けられる情報量が満量になって、それでもまだ先の予定(情報)がある場合、ダウンするのかもしれない。
7月は、予定や、普段にはないイベントの多い月だった。書き出してみる。
・同居人の友だちの家での食事
・水道管工事(1日)
・水道管工事のあとの喧嘩(?)
・同級生との飲み会
・同級生と知らない人との飲み会
・同居人のご両親の来訪(2日間)
・就職活動(ニガテ)
・スーツの購入(ニガテ)
・月に一度の精神科
・行き違いで喧嘩(?)2度目
・両家顔合わせのセッティング
12日間のうち、重複するところもあれど、わたしにとっては大変なイベントがたくさんあった。気力に溢れてはいたが、やっぱり疲れた。
夏には強いはずなのに、今年は夏バテも加勢して体力と気力を奪ってくる。あたたかく、胃に優しいものを摂っているのに胃痛と頭痛が何度もぶり返す。
同居人に心配をかけて、不安にさせて不甲斐ない。申し訳ない。
今後の予定がたくさんあるけど、キャンセルしてしまおう。
・14日 婦人科
・15日 同級生の飲み会
・16日〜17日 泊まりがけで昔のバイトの飲み会
・17日 ライブイベント
・19日 面接
飲み会2つはキャンセルしよう。ライブイベントは保留。
頑張り過ぎてしまった。
夏は元気が出る。参ってしまうような暑さでも 元気が出る。元気が出るから無理して、参ってしまった。
温かいポカリスエットを飲んだ。明日には元気がでていますように。