結婚と、女として生きること

女らしさ

同居人と、付き合い始めてからもうじき2年になる。まだ2年経っていないことが不思議だ。
ということは、付き合い始めてから飼ったベタも、もうすぐ2年一緒に暮らしていることになる。
ベタの寿命は2年と言われる。近頃は冷えるからか、水槽のなかでよくボンヤリしている。
今朝みたら、長いヒレの裾が青白く怪我をしたようになっていた。
水温維持のためのヒーターで火傷することもあるらしいから、それかもしれない。
それでも平然とした顔をしている。魚はヒレに痛覚がないのだろうか。
とはいえ、わたしの方も体の末端まで痛覚があるのか怪しい。

転職活動のたびに履いたパンプスは薬指が当たる。それで薬指の爪が取れてしまった。
一度や二度ではなく三度も四度も気がつくと薬指の爪が取れる。
新しい爪が生えていてとくに痛くはない。歯が生え変わる感じだ。
繰り返すうちに次第に汚く生えるようになっていまは爪が乾いた米粒のようになってしまった。
母もこんな足の爪をしていた。

女はなぜこんな思いをしてまでパンプスを履かなければいけないのだろう。
そしてどうして、パンプスという靴は、履いてみると女らしくきれいにみえるのだろう。

レッテルへの抵抗

小学1年生くらいのときに、「女の子は虫取り少年になれない・男の子っていいな」という詩を書いた。
わたしは男の子になりたいわけではなかったし、女の子のことが好きなわけでもなかった。
どちらかというと、女の子として扱われることに居心地の悪さがあった。
なんなら、子どものころから「子ども」として扱われることも嫌いだった。
キャラクターものや、アニメや漫画は「子どもっぽい」「子どもだまし」だと思っている節があったし、その感じはいまもある。ずっと、キャラクターもののグッズをあてがわれるのがあまり好きでなかった。特にハローキティ
レッテルを貼られて、軽んじられることや、レッテルで、自分ができない振る舞いがあることに抵抗があった。
だからつまりわたしは生まれ持ってのパンクスなのだ。

「女の子なら・・・」

未だに自分が「女の子」「女性」として扱われる場面に、本当に吐き気を催す時がある。
男性から、(とてもゆるやかだとしても)性の対象として/相互理解できない別の生き物として取り扱われるときが一番気が楽だ。相互に理解できない別の性別のものとして、探りながらやっていこうという感じがある。
女性が苦手だ。もちろん、人による。同性だというだけで自分と考えが同じ、同じ文化に生きているだろうと考えるひとはとても多くて苦手だ。
女性はだいたい人生のセオリーが決まっているからだろう。恋愛をして、結婚し、出産し、母になって子育てをして、孫が生まれる。そうではない人生はたくさんあるのに。

世の中の「結婚」のイメージ

今度結婚するので、世間の結婚へのイメージサンプルを得るために、ゼク◯ィを隅から隅まで読んで本当に吐き気がした。
ぜったいキツいだろう、と思って床に3ヶ月くらい放置していたら同居人が足をぶつける事故がおきたので、処分のために読んで参考になる部分だけ切り取った。コミケカタログより重い。体重計に乗せたら2.5キロあった。
ホンネと常識、幸せな花嫁、心がときめくブライダル、家族に感謝、ゲストがよろこぶおもてなし、はずむ笑顔、、、わたしはいやだ。
わたしは、常識も、幸せも、ときめきも、感謝も、よろこびも、笑顔も、強要されたくない。
だけれど、これが世の中の結婚式を仕切っているのだ、と、思うと、世の中の求めに応じた振る舞いも必要なんだろうか、自分たちの簡素な結婚は、貧乏で粗末と思われるのではないだろうか、そういう不安が頭をかすめた。
わたしたちは、これから人生をやっていきます!というケジメと周囲への告知が必要なのであって、「幸せそう」だとか「感謝」だとかは、我々ができる範囲で、誠実にやっていけばいいだけなのに。

わたしは「世の中」に接して惑わされたり混乱しやすい。
そして、言葉を字面通りに受け止めやすい。
◯クシィのキャッチコピーを書いている人間だって、「ケッ、くそったれが、虚無が」と思いながら毎号仕事をしているかもしれない。「みんな!この情報を活かしつつ人生を頑張るんだ!」かもしれない。

いまだに婚約報告にイラつく

結婚もいよいよ日取りが近づいてきた。年が明けたら割とすぐ苗字が変わる。
今日も知らない女性の「プロポーズされました♡感動♡」というツイートをみて、反射的に、ケッ!と思った。
ピンク色の花束と、金色のマリッジリングの写真が添えられていたのがわたしのカンに触ったのだと思う。
ピンク色、花、ダイヤのついた金色のリング、疑いなくそれを写真に配置してSNSに貼付できる自信、その全てが、わたしのひねくれて醜くみえる気持ちを呼び起こす。
受け入れがたく、だけれど、受け入れがたいがゆえに憧れるものであり、世の中的にはこれが「幸せ」ならそれをやるべきなのか、わたしも「世の中」に一矢報いたい、といったそれだ。

わたしは、人生の伴侶を得て十分に幸せだ。
本当にこのひとの家族になれて嬉しいと思う。この人の家族の家族になれることも嬉しい。
わたしは十分幸せなのに、どうしてこんな風な気持ちにならなければいけないのだろう?
幸せであることを、世の中に承認されたくなるように、育ってしまったこと自体に腹が立つ。

結婚という「ゴール」は「出産」のリミットから逆算される

良い大学に入って海外留学もして就職難を乗り越えて良い会社に入りキャリアを積んだ友人たちが、「婚活」という化け物じみたものに追われている。
夢中になれる趣味もいくつもあって、オシャレで可愛くて、収入もたくさんあって実家も都内で、そういう子たちだ。

女にはリミットがある。
「子どもを産むか、産まないか」という選択肢は、年齢を重ねれば消える。
つまりその前に、その選択肢を持てる社会的状況を作る必要がある。
わたしも彼女たちも、社会の求めに応じて努力を重ねてきた。受験、大学受験、就職、キャリア。私は努力が実らなかった。彼女たちは、実らせた(ようにみえる)。

結婚は、不確定で、要件も不明なのに、それをしただけでそこまでの全てをチャラにするような「女のゴール」だ。
キャリアを積んでも、その「ゴール」は、世の中で頑然としている。

そのあとにも、子供は作るのか、そのための貯蓄はどうするか、家を買うならその貯蓄も要るし、出産後働くか、働かないか、正社員として復帰できるのか、他の道を探るのか、つまり積み上げたキャリアはどうなるのか、保育園には入れられるのか、兄弟はつくるのか、どこの学校に入れるか、習い事はさせるか、そもそも夫とうまくやれるのか、弁当を鮮やかにするのか食材にこだわるのか、というのが続く。

「結婚」はゴールのようでいて、その後のトライアスロンの入り口だ。
子供の自立が言うなれば「ゴール」かもしれない。そもそも子供が自立しない・できない可能性だってある。
そんな不確定で先の見えない「ゴール」に向けて、「結婚」をするための婚活をする。
「結婚」はしたら終わりじゃない。というか、してからがすべてだ。本当にいまそう思っている。
だから、本当にそれをやっていける相手とできれば最高だ。そうはできない場合もあるかもしれない。
そもそもそこまで漕ぎ着けられる相手を、ある一定の年齢までに「得なければならない」。

「マウンティング」と思うこと自体認知の歪み

ゴールできたものだけが、高らかに勝利宣言をして、ゴールできただけで「幸せな花嫁」「心がときめくブライダル」になる。なんなんだ、それは。
本当になんなんだ、それは。なんなんだ。
蹴飛ばして、ドブに落としてやりたい。
それはわたしがそれらをすべてマウント行為ととらえているからだ。
だから叩きなおすのはわたしや、友人たちの根底にある「世の中」で「勝ちたい」という気持ちなのだ。

婚姻制度は都合がいい

わたしは、同居人と交際して、この楽しいひとならば毎日会いたいから同棲をした。
同棲をして、この楽しいひとならば一生一緒に人生をやっていきたいと思うようになった。
相手も相手の家族にもそう思ってもらえたようで、わたしはドラフト1位指名で婚約者となった。
婚姻制度は、わたしたちには便利だ。都合がいい。
しただけで、「世の中」に対して、なんだか身元が保証されてすべてオッケーな感じになる。
税金やなんやかやの都合もいい。
ふたりで食べると食事も倍おいしい。

ちょっとずつ死ぬとしても女として生きる

わたしは「ゴール」したはずなのに、このモヤモヤはなんなんだ。
わたしは女だ。
薬指の爪が壊死してもパンプスに足をねじこまねばならない。
ねじこまねばならない、と思うし、パンプスを履いた足をとても美しいと思う。
熱帯の魚が、火傷をするとしても、水槽ではヒーターを頼りにして生きるように、
わたしは、苦しむとしても、社会でのなかでは女というジェンダーアイデンティティに生きなければならない。
そうしてだんだん、薬指の爪のように何度も傷ついたことにすら無感覚に壊死して、それでもパンプスに足をねじこみ続ける。

わたしたち家族と、これまでの家族

人に会う元気がなくても苦にならない

いろんな友達に会いたい。けど気力とお金がない。いろいろな約束を取り付けて体調を管理する自信がない。
今週末も体調がよくなくて、それから、人に会う元気がどうにもでなくて約束を二つ反故にしてしまった。
そんな状態でも同居人と話すことは苦にならないから不思議なものだ。
そういうひとだからいっしょに暮らしてるのだけど。

関係を写した写真

同居人と自然な表情で写っている写真を印刷して小さなフォトフレームに飾った。
気合いの入りすぎていない、普段の間の抜けた表情が写っていて、いい写真だ。
見るたびに、この人とこれからずっと生きていくのが楽しみになる。

黒幕は父だった

母のことについて今まではずっと考えてきたけれど、ついに、本当にヤバいのは父親だということに気がついてしまった。
父は、責任のある場から逃れ続け、適当な発言をし、そもそも家にいることがほぼ無く、直接的な嫌な思い出というのが母に比べて少ない。
でも、父は、そもそも、責任ある立場に立つべきだった。母の相談やわたしの相談に乗るべきだった。家庭をかえりみるべきだった。
なにより、よく思い返すと父の発言は割とクリティカルヒット率が高い。
趣味も合う、母より嫌な思い出が少ない、物腰が優しい、そういうところで今まで気がつかなかったが、家庭をあの状況に追い込んだのは父だ。
毎日、目の前にいて戦わなければいけない母のことに取り紛れて、父はわたしの味方だとさえ思っていた。
別に彼は誰の味方だってこともないのだ。
ホラー映画のドンデン返しぐらいビックリした。身近なあの人が黒幕だったなんて、それも悪意なく。そんな感じだ。
母は、言葉こそ強気だけどいつも父に振り回されて困らされて参ってしまった気の毒な人なのかもしれない。
なんにせよ、わたしがいろいらと辛い気持ちで成長してきたことは変わらないが。
同居人や同居人の家族を見て、ついに、ついに気がついてしまった。

体調とメニュー

今夜のメニューは、カブ入りポトフとカブの葉の炒め物にした。
ストラテラのお陰なのか、今日は脳みそは割とはっきりしていて、講義の作業も料理も買い物もよくできた。けど身体が限界だ。
幸い副作用の吐き気も出てない。
夜尿症っぽいというか、寝ようとすると不安でお手洗いに何度も立つクセが再発してしまったのだけが難点だ。

陰翳

監視と無関心

同居人の両親がわたしたちの結婚のことを真剣に考えてくれればくれるほど、自分の両親の無関心が不安になる。

高校生まで、「どこに誰と何時に何をしに行くのか」を3日前には伝えないと外に出てはいけないと言われ、
新卒の就職活動の時は、わたしがインターンやエントリーをしようとした企業のひとつひとつを評価してここはやめろ、と「助言」をし、
精神科医に就職も就職活動も無理だから一旦やめなさい、と言われたわたしに、「じゃあ誰が食わせてくれるの?しないなんて無理よね笑」と帰り道に笑い、
とにかく内定を、と言うので、親の監視外で勝手に応募して内定を取ったことを告げたらそんな変な会社には行くなと激怒し、
一人暮らしをしたときは、まず引っ越す前は落ち込みまくって母は寝込み、引っ越し後は毎朝電話をかけて起きているか確認してきたのに、
どうしてわたしたちの結婚には一言もないのだろう。

社会的なトピックとしてのわたし

わたしは不安になる。
親がコントロールできる世界の外にわたしが出てしまって、親はわたしへの関心がなくなってしまったんじゃないか。
わたしの自立を認めたというより、自分たちの思うようにならないことで、私のことが急にどうでもよくなったんじゃないか。
だとしたら、わたしの人生や存在とはなんだったのか。
わたしは、父や母にとって、「結婚して子供を作り育てる」という人生上で「社会的に」「クリア」しなければならないトピックとしての存在でしかなかったのではないか。
子どもをいい学校に入れる。いい大学に入れる。いい企業にいれる。そういう「トピック」でしかなかったのじゃないか。
「本当のこと」は見る角度やその時の気分で誰にもわからないが、
わたしのなかではそうとしか思えなくて、
それはわたしが一番恐れている答えを弾き出している。

過去とこれからのコントラスト

新しい家族をつくり、これから自分の人生を始める。
今までの人生から脱却して、そんな道に立てたことが、とても喜ばしいことだ。
その前途の明るさが、対比して、暗くて苦しい過去を際立たせてしまう。
脱却といっても、過去はいつもわたしに寄り添っている。
過去に受けた苦しみは終生の友になり、同居人よりも長く添い遂げることになるだろう。
まあこれまでだってずっといっしょに来た訳だけれども。

わたしを見て

わたしは親に祝福されずに、新しい道に立たなければならない。
ことさら呪い罵られることはなくても、関心すら示されないのはそれはそれで傷つく。
それでいて、「祖母の着物を着てほしい」とか、また「子の成長を祝う」体で自分たちの希望、それも、わたしは喜ばず、外向きに「子に良くしている」という風にみえることを言われるので、同じような過去の事が思い返されて辛くなる。
そんなのどうでもいいから同居人のご両親への飛行機代くらい出してくれればいいのに。
築地に行って1ヶ月に何度も寿司を食っているんだろ。
祖母のミンクのコートを何万もかけて作り直すぐらいなら、毎月の食費を助けてくれ。
愛情はお金じゃないけど、私が、わたしたちが、本当に必要とするところにお金をくれたら、愛情と思えるのに。
わたしが本当に必要としていることをしてくれたら、愛情と思えるのに、いつもピントのズレた答えばかり帰ってくる。
外向きには、悪い親ではない。むしろ、いい親御さんじゃない、と、言われる。それは、そう見えるように彼らが振舞ってきたからだ。
どんなに努力しても認められず、ボロボロのわたしに彼らの希望通りの就活を強いて、希望通りにならないと拒絶し、自宅療養を履き違えて軟禁し、就職を拒否し、一人暮らしを拒否し、手を離れたら関心を無くすひとたちなのに。
一度でもいいから私を見てほしい。
私を見て、私のことを考えて、私を認めてほしい。

もう嫌いになりたくない

この気持ちは一生続くのだろう。
父が死んでも母が死んでも。
母は、わたしが生まれる前に死んだ祖母の関心をいまも引きたいようにみえる。
父は、自分自身がそうされてきたように何もかもに無関心で責任から逃げている。
そう頭ではわかっても、同居人とその親族がわたしを溢れるほど受け入れてくれても、
自分の親から関心を持たれておらず、ずっと愛されていなかった、自分は愛情を感じられなかった、ということがわたしは受け止めきれない。
わたしの親は悪い親だ、なんて、言いたいわけじゃない。
むしろ、言いたくはない。それは、辛い。
ただわたしが辛かったことを知ってほしい。
わたしが辛く悲しかった、と話すと、親不孝だとか、親はあなたを思っていた、とか言われることが多い。
そうではなくて、親も彼らなりのベストを尽くし、それはわたしにとって最悪で、わたしは辛かったんだ。
もう、それを、ひとに説明するのも嫌だ。
また、親に「親らしい」振る舞いを求めてその度傷つくのもウンザリだ。
親を特別傷つけず、周囲にも喚き散らさず、ただそっと他人になって、遠くから手を振りたい。
親らしく振舞われるのもそれを求めるのも、できるだけ機会を少なくしたい。
もう悲しみたくない。嫌いになりたくない。

あるべき家族

学べたことがあるとすれば、他人を自分のいいように扱ってはいけない、そうされた人間は大変傷つく、ということと、自分の子どもには父母と同じように振舞ってはならないし、つまり彼・彼女の自立を助けるのが本当の親の役割だということだ。

同居人のご両親が真剣に考えて、助言をくれればくれるほど、嬉しい。家族というのはこうあるべきと思う。
そう思えば思うほど、そうした接し方をされたことのなかった自分の人生が虚しくなる。
理想とするひとたちと家族になれるだけでも、贅沢に幸せだ。それでも、そういうときもある。

フリーランスの住民税メモ

住民税について

住民税の正式名称は、「特別区民税・都民税」。ややこしいですね。
税金については個人事業主と会社員で、扱いがいろいろと違います。
国民保険、年金とはまた色々と別です。

役所への恨み

役所の回答は、用語や言い回しや構成が最高に読みづらいし落とし穴がいろんなところにあるので、「税金 フリーランス」とかネットで調べて知識をつけて挑むといいと思います。
電話するか、窓口に突撃するのがいちばんわかりやすいです。
「で、わたしの場合はどうしたらいいの?」「次になんの手続きをしらいいの?」「それをしたらどうなるの?」というのが見事にわからないのがお役所の文章です。

住民税を支払わなきゃいけない人は?

1.1月1日現在杉並区内に住所がある方。
2.住所は杉並区内にないが、1月1日現在、事務所や事業所、家屋敷を杉並区内に所有している方。
なお、年の途中で、他の区市町村に引っ越された場合も、その年度分の個人住民税は、前の住所地(杉並区)に納めていただくことになります。
特別区民税の課税|杉並区公式ホームページ

ただし、例外として、年間(1月-12月)の所得が35万円以下の場合は、課税されません。

住民税の支払い方法は?

方法①
銀行、コンビニ、区役所で支払えます。
紙を持って行って窓口か、レジにゆきましょう。
公共料金の支払いと同じ感じです。

方法②
それ以外にも、銀行に申込書を出せば「口座振替(引き落とし)」もできます。
区役所ではなく、銀行に申し込みをします。
申込書は、封筒に同封されているほか、銀行にも置いてあります。
特別区民税(普通徴収)の納税|杉並区公式ホームページ

住民税を支払いたくない!

所得(前年の1月-12月の収入)が、会社員なら100万円、フリーなら35万円以下の場合、住民税は課税されません。

住民税(特別区民税・都民税)の場合
所得が35万円(給与収入のみならば100万円)以下の方は、課税されません。
なお、それ以上の金額の場合でも、扶養親族の人数によっては課税されないことがあります。
よくある質問 何万円以上収入があると税金が課税されるのでしょうか。|杉並区公式ホームページ

去年、今年は会社に勤務してこの基準以上稼いでたので、なんにせよ払わなきゃいけません。

所得ってなに?

個人事業主の場合、所得とは、働いて得た収入額から必要経費を引いた額になります。
このへんは確定申告とかで関係してくる話ですね。他の税金も関係します。
税金は、働いて得たお金にかかります。
でも、個人事業主はそれを稼ぐための設備なども自分で揃えます。
稼ぐための設備や備品にかかったお金のぶんは、申請すれば、税金を計算するときに除外になります。

なので、個人事業主とやっていくのであれば、
レシートや証明書類はとにかくなんでもかんでもとりあえずハコにでもぶちこんで取っておいて、
「必要経費」として申請できる買い物(プラグインや機材の購入、机や椅子なんかもうまくやればなるかも)や、
課税対象にならないとくべつな積立貯金(個人事業主共済?など)について、よく知って、手続きできるようにしましょう。
収入と所得の違いとは?所得の種類など - 個人事業主メモ

扶養について

扶養に入ると、住民税を支払わなくていい場合があります。

「38万円+65万円(青色申告の場合)+経費」までなら、稼いでも夫の「扶養」に入ることができます。

しかし、「青色申告特別控除(最大65万円)」を受けられる人は、毎年2〜3月の確定申告の時期に”青色申告”をした人だけなんです。
青色申告ではなく”白色申告”をした人には、特別な控除は何もありませんので、稼げるのは「38万円+経費」までとなってしまいます。ということは、月3万円くらい・・・ですね。

今「38万円(+経費)の壁」なんて低いわ!と思ったあなた。「開業届」+「所得税青色申告承認申請書」を提出して、青色申告しましょう。

フリーランス妻はいつまでサラリーマン夫の「扶養」でいられるのか? – メモラビ

●クシィによる扶養のアレ

●クシィの付録でついてきたあれです。
扶養に入るとどうなるか?がわかりやすいかも。
つまりは収入額によって、税金を払わなくてよくなったり、ちょっとだけ支払えばよくなったりするということですね。
でもこれはパートとかの給与収入の扶養者ベースの考え方なので、個人事業主はまた細かい金額は変わってきます。
あくまでも参考に。


まあ、いろいろあるようです。

胃痛

中学の思い出

昨夜小学校からの友人Mに会った。
Mとは小学校、中学校、高校と同じ学校で、中学では3年間同じクラスだった。
なので中学の頃の話をした。

昔から押しに弱かった

中学の頃の同級生たちで、性質の悪いやつらがいる。
なんというか、(わたしたちと違って)要領がよくて、クラスでも目立つわけじゃないけど損な役回りにはぜったい回らないようなやつらだ。
具体的には、友達が行かなくなったとかいうオレンジレンジのライブに私がいつの間にかいくことに決定されていて、当然チケット代はタダなのかと確認したら8千円だったりしたことがあった(ギリギリで断った)。
つい先日もなぜか勝手に京都に行くことにされて日付まで決定していて、事後報告されたので「実はまだ内緒だったんだけど…その時期はちょっと結婚のことで忙しいんだよね…(笑)」とわざわざ微妙にマウントを取る嘘をついて断った。
他人を見下して、いいようにするのが好きな人間が2人くっついてヘラヘラしているからタチが悪い。
こいつらはマウントを取れる他人を絶妙に嗅ぎ分けてやってくる。

悪夢

その同級生2人組の夢をみて、叫び声をあげておきた。
叫び声というより、「キッ」「クェッ」みたいな甲高い猿みたいな声が出てた。
わたしがトイレをしていると「あっ、間違えた(笑)ごめ〜ん(笑)」と言いながらなんども開けてくる、という夢をみてた。
体調も悪くて、講義を休んだ。ここ最近の低気圧を耐えていたのが、限界を迎えた感じがした。

知らない小規模クラス会

昨日Mといろいろ話していた中で、Mがこの間コイツらが集まってたのって行ったの?ときかれて、よく訊いたら全く知らない集いをやっていたようだ。
わざわざクラス名をつけたLINEグループにわたしを入れてるくせに、それ以外でクラス名を冠してやるんだ〜、キモ〜と思った。
Mには、当日の昼に「今日の昼どう?」と声がかかったらしい。身勝手にもほどがある。
自分に声がかからないのは最高にありがたいことだ。
ブロックしておこうかな。iPhoneが壊れてアカウントが死んだとでも言っておけばいいし。
大人になってまで中学生のやることをやらないでくれよ。気持ち悪い。

キャパ越えのバッドバイブス

そういうバッドバイブスを受け取ってしまった。
MはMで色々と悩んでいるのでそれをツラツラときいて、帰ってきたら胃が重く、痛くなっていた。
悪いものが体に溜まって重たくなっている感じがまだ少しある。
濾過できる量のバッドバイブスをはるかに超えた受容があってダウンした。

生理がきたらなんとなくそれもデトックスされるきがするので、いい加減にきてほしい。
もう2週間ちかく遅れている。
妊娠可能性のあることを長らくしてないから、生理も有給とってバリにでも行ってるんだろう。

読書には筋肉がいる

読書には実は筋肉がいる。
これは本当のことだ。
ベッドに寝そべって本を読むなんて、腕立て伏せが上手でないとできない。
かといって、長時間同じ姿勢で腰掛けているのもなかなか難しい。つい姿勢が悪くなって肩や腰も痛くなってくる。
でもツイッターはのべつまくなしできる。違いは、集中力もあるけれど、筋肉だと思う。
まず腕の筋肉が足りない。
腕を伸ばして本を保定しているのがけっこうきつい。
スマートフォンを持つだけならそれは必要ない。
疲れ果てた時にカバンの奥底から本をひっぱりだしてページを探すのにもなかなかの労力と筋力がいる。
つまり、「本を読む」という行動にかかる労力と、「情報を頭に入れる」という学習にかかる労力の2つがかかってるということだ。

UI

さいきん、電子書籍だと本がよみやすい。
電子書籍だと、iPhoneKindleさえあれば、手元で指を少し動かすだけでいい。
満員電車の揺れる中でもバランスを維持しながら読める。
どこを読んでいたか探す必要がない。
どの本を持ち歩くべきか、複数の本の間で悩む必要もない。
「本を読む」という行動にかかるコストがかなり削減されて、「情報を頭に入れる」に直行できるからいいんだろう。
集中力や体力にキャパがあるわたしには、とても助かる。

準・自炊

自炊というほどじゃないけど、今夜は試しに買って読んでいなかったリアル書籍をカメラで全ページ撮影してdropboxに入れてみた。
そのままiPhoneの内部に入れておいて読んでもいいのだけど、
けっこうな枚数があるので読み終えたら削除したいのと、タテ横が回転しているのをPCで直したい。
それから、PCから続きを読めるのもいい。
明日、読んでみるのが楽しみだ。
よく考えたら、手帳についてはずっとカメラで撮影して管理してたのに、どうして思いつかなかったんだろう。
(手帳は、書いて整理する行為に関してはアナログでやりたくて、予定の確認をページ撮影してやっていた)

「本との出会い」はアナログで

それでもどうして紙の書籍を買うかというと、書籍の検索機能はやっぱりアナログでの方がぐっと精度が高いからだ。
出版社の確認、大まかな内容の確認、紙質や装丁から書籍としての質の類推がしやすいので、それが「どういう立ち位置の本」なのかがわかりやすい。
また、いろいろな書籍をみていて、自分にとって隠れたニーズのある書籍と偶然に出会う「ブラウジング」も、アナログならではだと思う。
(まあ、今は「検索ワードで思わぬものがひっかかって」という新しい形でのブラウジングもあるのかなーと思う。でもやっぱりそれは今までの出会い方とは質が違う気がしてる)

アナログで買ってデジタルで読みたい

アナログでの「出会い」とデジタルでの「利便性」、両方がうまく合わさった形が生まれれば、いいのになあ、と思う。
アナログで買ってデジタルで読みたい。
CDなんかだと、ダウンロードコードがついてることも最近は多くなってきた。

情報へのアクセス

わたしは、本を読みたい気持ちはあるのに、ハード面でなかなか読めない。
司書課程で勉強した図書館の障害者サービスを思い出す。
なんというか、いまは後天的、極軽度ディスレクシア状態、とでも言おうか。
学習障害で苦しんでいるひとには失礼に思われるかもしれない。
ただ本当に、なんというか、自分がこうやって少し苦しんでいることの解決の糸口は、ディスレクシアや発達のひとたち向けの学習教材などにあるような気がする。
いろいろなアプローチで読みやすく、アクセスしやすくするということは、障害のあるなしに関わらずいろいろな人に役立つことだ。年をとったり、病気で判断能力や体力が落ちたり、そういうときに。
それがもっと広く広まれば、ひいては商機もあるのでは、、

本との出会いは一瞬その現実から自分を離れさせてくれる。
だから小さい頃、本はずっとわたしの味方だった。
電子書籍が本当に手に取りやすくなってきて、よかったなあ。
もっとモリモリ本を読もう!そろそろ画像のアップロードが終わったはずだ。

生活リズムと仕事のこと

細切れの眠り

食事を食べ終わると寝てしまう。
ここ1ヶ月くらいになるだろうか?ハッキリとはわからないが、気温が下がってからのような気がする。
帰ってくるとすぐお腹がすいてしまって、ごはんを作って、ごはんを食べると寝てしまう。
なにか用事があって外食したような日は、帰ってきてすぐ寝てしまう。
それで、数時間後の23時から0時くらいに目を覚まして、2時くらいまで起きている。
睡眠自体は細切れにとっているので、寝不足というわけではないのだけど、なんとなくすわりがわるい。

そういえば学生のころも、こんな生活リズムをしていたことがあった。
夕方帰ってきて、ごはんを食べたり食べなかったりして寝てしまう。
寒い季節だったかどうかは覚えていない。
当時は、朝6時には起きなければ遅刻だったので、真夜中に目が覚めてなかなか再び寝付けないのには参った。

大人になって知ったこと

発達障害自閉傾向の強いひとには、体内時計が24時間ではない型で回っている人がけっこう多いらしい。
定義はいろいろあるようだけど、DSPS(睡眠後退症候群)とか、非24時間睡眠覚醒症候群とかいうものがあると聞いた。
自分は、生きている時間の流れが違うから、大多数の人の社会的な動きに合わせると肉体的に無理がくる、と昔から言っていた。
(わたしは宇宙人なので、地球の重力がむちゃくちゃきつい…ともよく言ってた)
怠けてたり、努力してないわけではなくて、人一倍頑張っているつもりだけど、どうしても生活リズムが乱れる。
自分ではそう思うけれど、怠けてるとか努力が足りないとか言われて、やっぱりそうなんだろうな、と思っていた。
大人になって、こういうことを自分で知れるようになってよかった。

体内時計のズレ

さいきんの生活リズムの乱れは、急な気候の変化や季節の変化で体内時計が少しズレてしまったのだと思う。
同居人も家にいるものだから、夕方帰ってきたらすぐ食事を作って食べて、ついつい寝てしまう。
帰ってくると、どうにもすっごくお腹が空いている。
で、19時ぐらいにお腹いっぱいになって寝てしまう。
これをどうにかした方が良さそうだ。
帰ったらすこし、おやつみたいなものを軽く食べて、夕飯の時間をずらしていく、とかになるだろうか。

睡眠の時間を別にすれば、今の生活リズムはけっこう幸せだ。
毎日行く場所があって、社会性が保たれている。
買い物をゆったりして、それなりに適当でそれなりに手の込んだ食事を数品作る時間・心・体のキャパがある。
家事もするし掃除もときどきできる。
パートの主婦のような生活リズムだ。

就労のステップ

全く違う話だけれど、就労のステップについて思うことがある。
社会復帰的な場面での就労のステップについて、よく「アルバイト・契約社員・正社員」というステップが示される。
職種や業種の質で違う部分はあるだろうが、自分は、あまりそのステップがしっくりこない。
確かに、わたしのように生活リズムが乱れがちなひとは、例えば生活リズムとして約束通り職場に出勤する、ということを訓練してゆく必要はあると思う。

ただ実際、アルバイトとしても、契約社員としても働いて、正社員のひとたちの姿をみるにつけ、この3つの雇用形態はそもそも仕事をすることで達成しなければならない目的が異なる、質の違うものだと思った。
階段のようにステップアップしていくものではないと思う。

雇用形態での働き方

アルバイトは、時給分働く。決められた指示、マニュアルの中で、決められた作業を時給のクオリティで遂行する。
わたしはサービス精神が旺盛なので、時給(=勤務時間)の中で最大のクオリティの仕事が出力できるようにしていた。
なので、賃金がちょっとずつ上がっていったりした。

契約社員は、もうすこし長期的なスケジュールでの仕事があった。担当者として自分の仕事に責任を持つ必要があって、マニュアルはなかった。ただ、仕事は正社員以上の人から天の声のようによくわからない理由で割り振られた。そういう一定以上の権限と、賞与と、昇給はなかった。
マニュアルもなく、誰も教えてくれないけれど、割り当てられた仕事をする中で、自分なりのやり方で出力をあげようとすると、「自分のやり方を否定された=私を否定された」という理由で抵抗する人がいて面倒臭かった。それに、やり方に工夫をして出力をあげたところで月給も変わらず賞与もなかった。
前職は特に評価で給料が変わったり、契約を切られたりすることもなかった。だからモチベーションが維持しづらかった。
アルバイト時代と勤務時間はほとんど変わらなかったのに、いつも仕事のことを切れ間なく考えていて疲れた。

正社員は、見ている限りでは、さらに仕事の質が違った。
我々契約社員が実務の実行部隊であるのに対して、管理的な仕事や人事、総務、報告書などの作成が倍ぐらい多いように見えた。
ただ、我々とは権限が分断されているので、見ていても何を忙しそうにしているのかがわかりづらく、溝があったと思う。
契約社員の多い職場だったので、幅広い年齢の契約社員たちのマネジメントも大きな仕事だっただろう。
権限があるぶん仕事が多く、帰れず休めない時も多いようだった。
祝日振替休、賞与昇給昇格があるのはうらやましかったが、あの職場で試験を受けて正社員になる気はしなかった。
異動や出向もあるし、実務に熱意を抱いている人だったとしても、あの中でそれを維持し続けるのは難しかっただろう。

どこに属するか

人には、職種業種業務内容の向き、不向き以上に、アルバイトに向いている人、契約社員に向いている人、正社員に向いている人、というのもいるように思う。
指示を受けてマニュアル通りに狭い範囲の仕事するひと。
決まった月給の中である程度の範囲の中である程度のクオリティの仕事を維持するひと。
経営的な視点を持って組織の中で仕事をしていくひと。
わたしの狭い了見の中なので、当てはまらないことは大いにあるとは思う。ただわたしの人生ではそういうように見えた。
人間は属する場所で変わってくる部分がある。どれに向くかは属してみないとわからない部分がある。

自分が今パートの主婦、みたいな生活をずっとしていて、それはそれなりに私に向いている「仕事」だと思う。
と同時に、いまパートの主婦、みたいな立場の人の中も、パートより正社員の働き方が向いていて、機会さえあれば正社員の仕事量をして、自信を持ってそれだけの賃金の仕事をやれる人がたくさんいるだろうな、と思う。
ただ、出産や子育てという主に体の理由で一度仕事を辞めてしまうとそれが難しくなるのは本当に惜しいことだ。

今度受ける会社、受かるといいけどなあ。出張がたくさんある営業、なんとなく向いていそうな気がする。
人生が刺激的だと、刺激にごまかされて生活リズムはどうにでもできる。というのは、オールナイトイベントに通いまくってわかったことだ。
次はモチベーションを維持できる場所で、死なない給料をもらって、自信をもって仕事できるといいと思う。