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2017.03.20 Mon. 太陽のみる景色

家から駅までは、歩いて30分ほどだ。バス停も近いが、朝は大概歩いて駅に向かう。北から南に顔を向けて、日を浴びながら歩いてゆくのは気持ちがいい。甘いカフェオレを飲みながら人の庭の植木や景色を見ながら歩くことは、生活と仕事、用事の間に、一拍分の空白になる。わたしの生涯の友、鬱も不眠も、日を浴びて軽い運動をすることで、少しだけ遠ざけられる気がする。

いつも駅からの帰りはバスを使うが、今日は途中の銭湯に寄って歩いて帰った。気温・気圧が上下すると身体はすぐ鬱や不眠と仲良くしようとする。不自然な汗や動悸、身体のこわばりを感じたときは、銭湯をつかって身体をゆるめるようにしている。
毎日こうやって自分の身体とココロを維持するために、散歩、カフェイン、銭湯、他にも、早く職場にゆくとか、身綺麗にするとか人に優しくするとか、色々な方法をその日に合わせてブレンドして過ごしている。
銭湯に入って、北から南に、いつも通る道を、見たことのない向きから歩く。夜のうちに洗濯の干された窓をみて、太陽は北から南に、いまわたしが歩くのと同じように照らしている。

この向きの景色は太陽がみている景色だ。そう思って楽しく帰った。

2017.3.18 Sat. 目を閉じるとみえるもの

時々、目を閉じると恐ろしいものがみえてしまうときがある。眠りたくて眠りたくて仕方がないのに、目蓋を閉じると、顔がぐちゃぐちゃに捻じ曲がった女のひとや、グロテスクな何かや、死体、そういう目を背けたくなるような何かがみえてしまうときがある。

起きてからはそれがどんなだったかは思い出せない。目を閉じると現れて、開けば元の部屋だ。そう頻繁ではないけれど、そう珍しいことでもない。脳のなかの微弱な電流でできているというわたしの意識が、なにかの加減でそういうチャンネルに合うタイミングがあるんだろう。

無理に目をつぶって眠ってしまえば大丈夫なのだけど、目をつぶり続けるのはちょっと怖い、というか苦しい。自分がそちらの世界に行ってしまうんじゃないかと思う。それで、ひとと繋がりたくて携帯電話を見てしまう。チューニングが「そのチャンネル」を外れるまで。

昨日もそんな夜だったけれど、目をつぶっておどろおどろしい幻覚のひとたちをみて脂汗をかいてると、遠くから地響きのようなイビキが聞こえてきていて、耳栓越しにYのイビキが聞こえていることで、わたしは確かに現実と繋がっていると思いながら眠った。イビキがうるさいことには変わりないけど。

お母さんの鼓動を聴く胎内の赤ちゃんみたいだな、と、書きながら思った。

2016.03.04 Sat. 消去法のポジティヴ

一昨年の年末はtofubeatsのアルバム「POSITIVE」をよく聴いていた。

POSITIVE

POSITIVE

「いまここに存在していないものへの根拠のない期待をしなければ、キツいいま現在をやってゆけない」
「ちょっと気晴らしして誤魔化して発散してどうにかやってゆこう」
「忙しい、制約を感じているがどうにかやるしかない」
「夢、理想はあるがなかなかそうもいかない」
「報われると信じられなくても信じてゆくしか方法がない」
「各々の現実があるが各自うまいこと闘ってゆこう」

このアルバムは、こういったニュアンスの歌詞が繰り返し繰り返し歌われる。しんどいがどうにかここを乗り越えよう、どうにかここを踏ん張ろう、楽しいこともあるから、各自やってゆきましょう。成功や幸福が確約されることはないけど、それでもメゲることだけはしないでゆきましょう、そういう感じ。
同い年の知人が自分たちの世代について「僕たちは過渡期の人間で、そして、多くは報われることがないまま死ぬ世代だ」と述べていて、わたしがこのアルバムに感じる印象はすごくその言葉に近い。
仕事合わなくて毎日動悸が激しくて、でも実家に帰るわけにはいかなかった一昨年と去年の自分は、このアルバム全体に漂う、「前向きな諦念」が気に入っていたのだと思う。
ネガティヴにだけはなってはいけないから、消去法でポジティヴであり続けるしかない。とにかく挫けないこと、挫けたらおしまいだから。
「365歩のマーチ」も「負けないで」も「それが大事」も、言ってることは変わらないとは思うのだけど、どうも切迫感が違う。悠長なことは言ってられないのだ。わたしがしているのは、一歩でも後に退けたら元に戻るには倍の力がいる、前に進むためじゃなくて、とにかくこれより後に下がらないための戦いだから。後に下がったらおしまいだから。


いつの間にか、「POSITIVE」はあまり聴かなくなった。
表題曲の「君には期待したいし」というフレーズが不吉でイヤになった。
だって、「君には」ということは、「君以外」がいるのだ。過去期待を裏切った誰か、または、もっと期待ができそうな次の代替案の誰かが。「期待したいし」は、まるで、期待が裏切られることを予期しておくことで、事前に自分を慰めているようだ。
そんな「期待」は虚しすぎる。過去のことをいつまでも引きずって最初から諦めて、「期待したいし」なんて、まるで自分のことしか考えられていないときの自分の傲慢さのようだ。最初から諦めて、そんなのにはもううんざりしていた。
過去の異性関係をすべて整理したタイミングでできた新しい恋人には、そもそも、なんらかの期待すらしていなかった。よくわからないまま付き合って、なんだかよくわからないまま、楽しく愉快にお互いを知り合って生活が続いている。いまも期待はしていない。相手がどこまでできるか、どう考えるかの実測値を把握しているから、実情を超えた「期待」なんてする必要が無い。言う必要が無いほど根っから無条件に信じているし、裏切られることはないから。

今夜は、けっこう試行錯誤したiphoneの復元がほぼ無理そうだとわかって、久々に「君には期待したいし」というフレーズが頭に浮かんだ。
この記事を書いていたら少し疲れた気持ちがまぎれてよかった。
「今日は踊ってください 未来には期待したいし」って感じで今日はもう眠って、明日同居人によくみてもらおう。

2017.02.16 THU 母とサプリメント

冬はボディクリームが欠かせない。アトピーだったわたしは今も肌が乾燥しがちで、荒れやすい。小さい頃は、風呂上がりに母が必ずカモミールの絵が描いてあるクリームを塗ってくれた。
母はわたしに色々な物を「体にいいから」と塗ったり食べさせたりした。母自身も、海外製のプロテインを飲んだり、特徴的なマークのサプリメントを飲んだりしていた。
大人になってから知ったことだが、母が飲んでいたサプリはどうもややカルトじみたものだったようだ。
18才の誕生日に、わたしは名前を変えられた。占い師にあなたのことを相談したら、字画が悪いと言われたから、表記をひらがなで書くように、と、言われた。
衝撃的だった。母が占いを信じることも、私に相談もなく突然決定事項として言い渡してきたことも、母が当時のわたしの荒れた生活にそこまで悩んでいたことも。

絶対に本人は認めないけれど、母はどうも精神的に弱い部分があるようだ。いつも、ここではない未来を恐れて備えすぎたり、過去を後悔して呪ったりして、すぐ何かに頼ろうとする。問題を抱えているいま現在には向き合わずに、だ。
さいきん、発達障害向けのカルトじみた怪しいサプリ商売が盛り上がっているらしい。それも、発達障害を抱える子供の保護者向けの商売だそうだ。
それをきいたとき思わず母のことを連想した。わたしがもし子供の頃に発達障害と診断を受けていたら、母は確実にそういったものに頼っただろう。わたしに相談も説明もせずに。
最近の母のブームは、水素水と塗るコンドロイチンだ。わたしにもミドリムシサプリメントをくれたことがあったし、実家に帰ったときには水素水の風呂に入れられそうになった。身体に悪影響がなく、経済を圧迫しない限りはそんな怪しい代替医療にもわたしは口出ししない。
ふと気がつくと、「これが身体にいいから」「こうすると健康になるから」と、同居人に言っている自分がいる。なんとなく、神社だってよく参拝して同居人の出世を見守ってくれるようお願いしている。
このままいくと、自分も20年後には謎のサプリや神様を頼っていそうだ。

2017.02.06 Mon.  冠婚葬祭のペナペナ鞄

インフルエンザで高熱を出し、誕生日を寝てすごした。

わざわざ実家から葬儀用のペナペナの薄くて硬い鞄と数珠を持って帰ってきたのに祖母の通夜も葬式も出られなかった。

結婚式も葬式も、女が儀礼的に持つ鞄はどうしてみんなペナペナに薄かったり小さかったり固かったり持ちづらかったりして物が入らず、持っている意味のないようなものがほとんどなのだろうか?オシャレや伝統的な衣裳ならまだしも、オシャレでもなく洋装だし。

①その時にしか使えないような衣裳を揃える財力がある、というアピールをする文化があった

②商業的な戦略で冠婚葬祭衣裳業界にニッチな需要を生み出した

③着物の時に持ったなにがしかの道具や荷物入れに由来する

④日本ではポーズとして、特に女が、荷物を持たないことが美徳とされている

下調べしないで想像してみるとペナペナ鞄の由来として考えられるのはこの4つだ。

ペナペナ鞄の成立については、寝込んでいる間の課題にしてもいいかもしれない。

ペナペナ鞄の普及によって、冠婚葬祭時にはサブバッグとしての紙袋の需要が高まり、実家のお母さんたちがやたらと紙袋を取っておく文化が広がったのではないか…。

そして中高生時代、ギャルショップのショップバッグ(紙袋)に荷物を入れて登校していた我々は確実にそのお母さんたちの娘なのではないかということ…。

熱はまだ37℃より下がらない。まだ少し頭がおかしいみたいだ。

仕事も家事もできないで寝たきりでいると、こうしてペナペナ鞄に思いを馳せたり、Twitterで流れてくる気になる記事をリンク先まで飛んでひとつひとつ読んでみたり、精神活動は無心に働いている時や家事をしている時よりぐっと活発だ。少なくとも社会で生きているよりグッと自我がある。自我に苦しむから、社会に出ているのだけれど。

こうしてみると、病気や障害などで意思の疎通が不可能と言われるひとたちでも、いかばかりの精神活動がその中にあるのだろうかと思う。

亡くなる前にわたしが駆け付けたこと、祖母はわかっただろうか。感ぜられただろうか。

2017.02.03 Fri.

頭がいたい。

一昨日、祖母が危篤になり、家族と合流して顔を見に行ったあたりから、すこし調子が悪かった。

翌日、頭がいたいと思いながら仕事をして、1時間半かけて実家に帰り、頭がいたいと思いながら焼肉を食べて、頭がいたいと思いながら風呂に入り、お腹と頭がいたいと思いながら眠った。

今日、頭がいたいと思いながら起きて、頭がいたいと思いながら車に乗って祖父の老人ホームと祖母の老人ホームを経由して自宅に着き、頭がいたいと思いながら暫く横になっていて、2時間くらい寝転がって眠れずにいて浅い眠りが1時間半くらいあって、駅前で恋人と夕食をとったあとからまた頭痛がしたりやんだりしている。

つらいし怖いし、イライラする。眠れない。どうしたらいいんだ。

2017.02.01 Wed. 雪見だいふく

昼寝をして醒めたら、祖母が危篤だと連絡が入っていた。
祖母は92歳だ。14年ほど前からアルツハイマーで、ここ2年は言葉も表情もほぼない。骨と内臓、ハード面がかなり丈夫だったので長生きしたらしい。
わたしには祖母が祖母でなくなってからの思い出の方が多い。病気の初期は元の思考と病気の思考をいったりきたりして、いつも不安で混乱していてかわいそうだった。なまじ行動に出られるので、部屋に物を積み上げて、(妄想の)泥棒よけのバリケードを築城してみたり、自分以外はあなたもみんな全員偽物だ!と言ってみたり、周りの人間も大変だった。だからここ数年は、病状が進んだことで正直みんなホッとしていたと思う。
それなのに祖母の元へ向かう途中に思い出したのは、元気だった頃の祖母だった。
ちいさいころ、祖父母の家に預けられると、いつもインスタント味噌汁(なめこ入り)とCCレモンが出てきた。後から知ったが、祖母は料理が苦手だったのと、CCレモンはビタミンCで身体にいいと思って飲ませていたらしい。食事の後は祖父と時代劇をみて、その後にある「お江戸でござる」が楽しみだった。
そういうことを思い返したら、もうずっと覚悟はできていたはずなのに少し涙が出た。
でもこの涙も自分の心からのものでなく、何か他人事の涙のようだ。

口を開けて反応なく眠る祖母の手を握って、おばあちゃん、来たからね、と声をかけて、正直これ以上することが何もなくて困った。小さい頃、家に行く度にこの手でほっぺたをもみくちゃにされるのがマジでいやだったなと思い出す。子どもの好きなひとだった。
顔の色がこれまでとは明らかに違った。祖父の葬式のときにみた、棺に入った祖父の顔と同じ色だ。母に「お別れしなさい」と言われて一応触った祖父の額の肌はしっとりとやわらかくドライアイスでギンギンに冷たく、力を入れて触ったらズルッと骨からずれそうな感触で、雪見だいふくに似ていた。夏の葬式だった。
祖母の額は、まだ骨とくっついて血が通っている感じであたたかかった。