2017.03.30 Thu. 目標になるひと

明日で退職する。今日は引き継ぎや、後任のひとのこと、自分の転職のことを考えていたらなんだかヘトヘトになってしまって、重力が15倍ぐらいに感じて、ベッドに磔になるように起き上がれなくなって19時くらいに眠ってしまった。4時間くらい眠って、いま午前3時だ。テレビは通販番組しかやってない。

中高生の頃、こんなことが毎日だった。ヘトヘトになって、疲れ切って片道1時間半を帰り、部屋のベッドに倒れ込んで夕飯も食べずに寝てしまう。数時間眠って起きると9時とか10時とかで、そこから眠れない。朝6時には起きなければならないと思うと余計に眠れなくて、眠れないまま学校へ行ってヘトヘトになってまたループする。

あのとき、母に話をきいてほしかった。わたしは学校が疲れる、と話しても、いつも母の「中高生の頃自分がいかに頑張ったか」「あなたは甘えている」という話が始まってしまうから、いつしか話すことを諦めた。

誰かになにかを話すことは諦めてインターネットに没頭した。だってどうせ聞いてもらえないし、わたしが悪いし。

先日、半年間だけ一緒に働いた人と食事をした。親子ほど年上のひとだけれど、なんとなく同類だと思っていたら、やっぱり母親の問題を抱えていて二人でお酒飲んでゲラゲラ笑った。

立ち入ったことはきけないけど、あのひとに子供がいないのは、母親のようになりたくないからかもな、と思った。

「結婚して30年、実家に泊まったことは一度もありません!でも老いた母に向き合えるようになってきました。」と55歳のひとが言ってくれることに、安心した。母はわたしの目標にならなかったし、他に目標になるひともいない。だから少し似ているこの人みたいに生きてゆきたいな。大人になってからの母との向き合い方を参考にさせてもらえるかもしれない。

お世話になったひとは本当に素敵な女性でみんなに好かれていて、ファンがたくさんいる。それは中身が空っぽだから、みんなその人に自分の見たいものを映してみるのだと思う。わかる。わかるよ。

わたしたち、いい伴侶をみつけて本当に幸運でしたね、と二人で話した。わたしは結婚しているわけではないし、苛立つときだってあるけど、そもそも苛立った時に、「対話する」姿勢のあるひとと居られることがラッキーな巡り合わせだ。

疲れた、と言ったら、お疲れ様、とねぎらいあえる、当たり前のようなそれだけのことを人生でずっと求めて飢えて、手首を切り薬を飲み、わたしが、疲れて悲しいことをわかってもらおうとしてきた。だからいまは幸せだ。

振り返るとどうしてこんな人生を、どうしてこんな職場で、と、虚しくなる。だけどお陰でいい相手と付き合うようになったし、目標になるひとが、ひとり見つかった。それだけでも、ここにいてよかった。

Yは、わたしが仕事を辞めることを否定せず受け入れてくれた。だけどそれによって実際Yの人生計画は変更されていて、わたしもはやく、Yに、安心して仕事辞めていいよ!といいたい。いい転職先がみつかりますように。さすがにそろそろ寝よう。

2017.03.29 Wed 無職でも好き だからちゃんとする

生活していて苛立つことが増えた。何度言っても、濡れたタオルが洗濯カゴに入ってる。わたしばかりが洗い物や洗濯をして、休みの日を潰しているように思う。Yはわたしと暮らしだしてからわたしに甘えてだらしなくなった。なんだか子育てをしているみたいで、自分のやりたいことが全然できない。腰が痛くて、わたしだってやりたい作業があるのに、座れる場所がないからできない。だけど、忙しそうでY本人には言えない。わたしがやればいいや。だけど、大事にしてくれるんじゃなかったの?好きなんじゃないの?


考えていて、ハッと突然きがついた。この考え、客観的にみて全然スジが通ってない。
まず、好きなこと、大事にすることは、生活をちゃんとすること(社会的にちゃんとする、家事をちゃんとする)こととイコールじゃない。逆に言えば、ちゃんとしてないから、わたしを大事にしてない、という訳じゃない。濡れたタオルをそのまま洗濯カゴにいれて他の洗濯物が生臭くなったって、やらないには理由があるし、わたしのことが大事でない訳でもない。
次に、やりたいことがあるのにできないのは、作業環境の問題だ。わたしが作業する場所がなくてゴロゴロしたり暇そうにしてるからYが暇になると構いに来るだけで、明らかに忙しそうなら邪魔もしないだろう。腰が痛くならない椅子とデスクがあれば解決できる。デスクを置くためにカラーボックスを廃止して本棚を買いたい。
最後に、負担が大きいなら遠慮せずY本人に相談すればいい。それから、仕事が雑でも信頼して任せればいい。人を信じて、胸を打ち明けることだ。わたしはその悩みのトピックが洗濯物でも洗い物でもなかなかそれができない。
わたしは、「ちゃんとしている」ことが愛情であり、相手を幸せにするために必要なこと、だと思ってしまう。それは認知の歪みだ。
愛情や、好きということは、相手が生きていて幸せなこと、できれば自己実現していることを願い応援し支えることだ。その結果、社会的に「ちゃんとする」、また、社会的にちゃんとすることによって応援が成り立つ、「ちゃんとする」は結果でしかない。
社会的に「ちゃんと」してるひとが、ヨレヨレのシャツを着ている割合は、そうでない場合よりも高いだろう。
だけど、収入に見合わないクリーニング代を払ってシャツだけちゃんとさせててもその人は幸せか?という話だ。シャツがちゃんとしてることは、イコール社会的にちゃんとしてることじゃない。
ちゃんとしてなくても、無職でも、好きでいいし、好きは変わらない。好きだから働いて一緒に暮らすことを守りたいけど。
人にはいろんな考えややり方があるから、相手を信頼して相談したり分担したりすればいい。
認知の歪みがまたひとつ発見できた。

 

 

思えば母はいつも家事に追われて、手伝いたくても細かく文句ざかりで、子どものわたしの意見は絶対に聞かず、いつも、わたしのことを誰も愛してくれない大事にしてくれないと怒っていた。父はあまり家にいなかった。
母も大変だったんだな、と、思う。結婚して幸せになってエリートの子供を作ろう!と、キャリアの道を捨てて子供を作ったら、父は家事なんか1ミリもやらない上にいつも仕事で家におらず、子供は風変わり、赤坂で「先鋭的なバイリンガルOL」として国際的に働いていた過去とは全然違う世界にひとり取り残されて、そのイメージが捨てられなくて、プライドはエベレストより高いままだから助けなんて求められなかった。
(完璧な)自分の子供だから、なんでも完璧にできるかと思ったけどそんなことはなくて、わたしが子供の頃はもっと凄かった、といつもわたしは言われていた。でも、子供だからできないのは当たり前で、母にもそういうときはあったはずなんだ。
わたしが自立してゆこうとすると母はいつも怒った。理由もなく出かけるなんて許されなかった。ヒールを履くことも、新しい服を買うことも、やりたいことを探すことも。だけど自分の娘だから、社会的には「ちゃんと」してほしかった。そこに歪みがあった。
子供の期間は、やりたいことや向いていることをじっくり探す期間だ。そして、それを生業にしたり、心の支えにしてその後の人生を生きて行く。わたしはそれができなかった。正確には、なにをしても拒まれた。わたしが考えるということを。
だけど空っぽ人間には空っぽ人間の生き方があって、それはまた今度書くけれど、どうにかここまで人間らしさを取り戻せた。
母も辛かったんだろう、でも知ったこっちゃない、楽に死ねるとは思わないでほしい。わたしは子供を作るのも怖い。わたしが母のようになってしまうことが。
これは人に読ませる文章ではなく、頭を整理する文章でした。

2017.03.20 Mon. 太陽のみる景色

家から駅までは、歩いて30分ほどだ。バス停も近いが、朝は大概歩いて駅に向かう。北から南に顔を向けて、日を浴びながら歩いてゆくのは気持ちがいい。甘いカフェオレを飲みながら人の庭の植木や景色を見ながら歩くことは、生活と仕事、用事の間に、一拍分の空白になる。わたしの生涯の友、鬱も不眠も、日を浴びて軽い運動をすることで、少しだけ遠ざけられる気がする。

いつも駅からの帰りはバスを使うが、今日は途中の銭湯に寄って歩いて帰った。気温・気圧が上下すると身体はすぐ鬱や不眠と仲良くしようとする。不自然な汗や動悸、身体のこわばりを感じたときは、銭湯をつかって身体をゆるめるようにしている。
毎日こうやって自分の身体とココロを維持するために、散歩、カフェイン、銭湯、他にも、早く職場にゆくとか、身綺麗にするとか人に優しくするとか、色々な方法をその日に合わせてブレンドして過ごしている。
銭湯に入って、北から南に、いつも通る道を、見たことのない向きから歩く。夜のうちに洗濯の干された窓をみて、太陽は北から南に、いまわたしが歩くのと同じように照らしている。

この向きの景色は太陽がみている景色だ。そう思って楽しく帰った。

2017.3.18 Sat. 目を閉じるとみえるもの

時々、目を閉じると恐ろしいものがみえてしまうときがある。眠りたくて眠りたくて仕方がないのに、目蓋を閉じると、顔がぐちゃぐちゃに捻じ曲がった女のひとや、グロテスクな何かや、死体、そういう目を背けたくなるような何かがみえてしまうときがある。

起きてからはそれがどんなだったかは思い出せない。目を閉じると現れて、開けば元の部屋だ。そう頻繁ではないけれど、そう珍しいことでもない。脳のなかの微弱な電流でできているというわたしの意識が、なにかの加減でそういうチャンネルに合うタイミングがあるんだろう。

無理に目をつぶって眠ってしまえば大丈夫なのだけど、目をつぶり続けるのはちょっと怖い、というか苦しい。自分がそちらの世界に行ってしまうんじゃないかと思う。それで、ひとと繋がりたくて携帯電話を見てしまう。チューニングが「そのチャンネル」を外れるまで。

昨日もそんな夜だったけれど、目をつぶっておどろおどろしい幻覚のひとたちをみて脂汗をかいてると、遠くから地響きのようなイビキが聞こえてきていて、耳栓越しにYのイビキが聞こえていることで、わたしは確かに現実と繋がっていると思いながら眠った。イビキがうるさいことには変わりないけど。

お母さんの鼓動を聴く胎内の赤ちゃんみたいだな、と、書きながら思った。

2016.03.04 Sat. 消去法のポジティヴ

一昨年の年末はtofubeatsのアルバム「POSITIVE」をよく聴いていた。

POSITIVE

POSITIVE

「いまここに存在していないものへの根拠のない期待をしなければ、キツいいま現在をやってゆけない」
「ちょっと気晴らしして誤魔化して発散してどうにかやってゆこう」
「忙しい、制約を感じているがどうにかやるしかない」
「夢、理想はあるがなかなかそうもいかない」
「報われると信じられなくても信じてゆくしか方法がない」
「各々の現実があるが各自うまいこと闘ってゆこう」

このアルバムは、こういったニュアンスの歌詞が繰り返し繰り返し歌われる。しんどいがどうにかここを乗り越えよう、どうにかここを踏ん張ろう、楽しいこともあるから、各自やってゆきましょう。成功や幸福が確約されることはないけど、それでもメゲることだけはしないでゆきましょう、そういう感じ。
同い年の知人が自分たちの世代について「僕たちは過渡期の人間で、そして、多くは報われることがないまま死ぬ世代だ」と述べていて、わたしがこのアルバムに感じる印象はすごくその言葉に近い。
仕事合わなくて毎日動悸が激しくて、でも実家に帰るわけにはいかなかった一昨年と去年の自分は、このアルバム全体に漂う、「前向きな諦念」が気に入っていたのだと思う。
ネガティヴにだけはなってはいけないから、消去法でポジティヴであり続けるしかない。とにかく挫けないこと、挫けたらおしまいだから。
「365歩のマーチ」も「負けないで」も「それが大事」も、言ってることは変わらないとは思うのだけど、どうも切迫感が違う。悠長なことは言ってられないのだ。わたしがしているのは、一歩でも後に退けたら元に戻るには倍の力がいる、前に進むためじゃなくて、とにかくこれより後に下がらないための戦いだから。後に下がったらおしまいだから。


いつの間にか、「POSITIVE」はあまり聴かなくなった。
表題曲の「君には期待したいし」というフレーズが不吉でイヤになった。
だって、「君には」ということは、「君以外」がいるのだ。過去期待を裏切った誰か、または、もっと期待ができそうな次の代替案の誰かが。「期待したいし」は、まるで、期待が裏切られることを予期しておくことで、事前に自分を慰めているようだ。
そんな「期待」は虚しすぎる。過去のことをいつまでも引きずって最初から諦めて、「期待したいし」なんて、まるで自分のことしか考えられていないときの自分の傲慢さのようだ。最初から諦めて、そんなのにはもううんざりしていた。
過去の異性関係をすべて整理したタイミングでできた新しい恋人には、そもそも、なんらかの期待すらしていなかった。よくわからないまま付き合って、なんだかよくわからないまま、楽しく愉快にお互いを知り合って生活が続いている。いまも期待はしていない。相手がどこまでできるか、どう考えるかの実測値を把握しているから、実情を超えた「期待」なんてする必要が無い。言う必要が無いほど根っから無条件に信じているし、裏切られることはないから。

今夜は、けっこう試行錯誤したiphoneの復元がほぼ無理そうだとわかって、久々に「君には期待したいし」というフレーズが頭に浮かんだ。
この記事を書いていたら少し疲れた気持ちがまぎれてよかった。
「今日は踊ってください 未来には期待したいし」って感じで今日はもう眠って、明日同居人によくみてもらおう。

2017.02.16 THU 母とサプリメント

冬はボディクリームが欠かせない。アトピーだったわたしは今も肌が乾燥しがちで、荒れやすい。小さい頃は、風呂上がりに母が必ずカモミールの絵が描いてあるクリームを塗ってくれた。
母はわたしに色々な物を「体にいいから」と塗ったり食べさせたりした。母自身も、海外製のプロテインを飲んだり、特徴的なマークのサプリメントを飲んだりしていた。
大人になってから知ったことだが、母が飲んでいたサプリはどうもややカルトじみたものだったようだ。
18才の誕生日に、わたしは名前を変えられた。占い師にあなたのことを相談したら、字画が悪いと言われたから、表記をひらがなで書くように、と、言われた。
衝撃的だった。母が占いを信じることも、私に相談もなく突然決定事項として言い渡してきたことも、母が当時のわたしの荒れた生活にそこまで悩んでいたことも。

絶対に本人は認めないけれど、母はどうも精神的に弱い部分があるようだ。いつも、ここではない未来を恐れて備えすぎたり、過去を後悔して呪ったりして、すぐ何かに頼ろうとする。問題を抱えているいま現在には向き合わずに、だ。
さいきん、発達障害向けのカルトじみた怪しいサプリ商売が盛り上がっているらしい。それも、発達障害を抱える子供の保護者向けの商売だそうだ。
それをきいたとき思わず母のことを連想した。わたしがもし子供の頃に発達障害と診断を受けていたら、母は確実にそういったものに頼っただろう。わたしに相談も説明もせずに。
最近の母のブームは、水素水と塗るコンドロイチンだ。わたしにもミドリムシサプリメントをくれたことがあったし、実家に帰ったときには水素水の風呂に入れられそうになった。身体に悪影響がなく、経済を圧迫しない限りはそんな怪しい代替医療にもわたしは口出ししない。
ふと気がつくと、「これが身体にいいから」「こうすると健康になるから」と、同居人に言っている自分がいる。なんとなく、神社だってよく参拝して同居人の出世を見守ってくれるようお願いしている。
このままいくと、自分も20年後には謎のサプリや神様を頼っていそうだ。

2017.02.06 Mon.  冠婚葬祭のペナペナ鞄

インフルエンザで高熱を出し、誕生日を寝てすごした。

わざわざ実家から葬儀用のペナペナの薄くて硬い鞄と数珠を持って帰ってきたのに祖母の通夜も葬式も出られなかった。

結婚式も葬式も、女が儀礼的に持つ鞄はどうしてみんなペナペナに薄かったり小さかったり固かったり持ちづらかったりして物が入らず、持っている意味のないようなものがほとんどなのだろうか?オシャレや伝統的な衣裳ならまだしも、オシャレでもなく洋装だし。

①その時にしか使えないような衣裳を揃える財力がある、というアピールをする文化があった

②商業的な戦略で冠婚葬祭衣裳業界にニッチな需要を生み出した

③着物の時に持ったなにがしかの道具や荷物入れに由来する

④日本ではポーズとして、特に女が、荷物を持たないことが美徳とされている

下調べしないで想像してみるとペナペナ鞄の由来として考えられるのはこの4つだ。

ペナペナ鞄の成立については、寝込んでいる間の課題にしてもいいかもしれない。

ペナペナ鞄の普及によって、冠婚葬祭時にはサブバッグとしての紙袋の需要が高まり、実家のお母さんたちがやたらと紙袋を取っておく文化が広がったのではないか…。

そして中高生時代、ギャルショップのショップバッグ(紙袋)に荷物を入れて登校していた我々は確実にそのお母さんたちの娘なのではないかということ…。

熱はまだ37℃より下がらない。まだ少し頭がおかしいみたいだ。

仕事も家事もできないで寝たきりでいると、こうしてペナペナ鞄に思いを馳せたり、Twitterで流れてくる気になる記事をリンク先まで飛んでひとつひとつ読んでみたり、精神活動は無心に働いている時や家事をしている時よりぐっと活発だ。少なくとも社会で生きているよりグッと自我がある。自我に苦しむから、社会に出ているのだけれど。

こうしてみると、病気や障害などで意思の疎通が不可能と言われるひとたちでも、いかばかりの精神活動がその中にあるのだろうかと思う。

亡くなる前にわたしが駆け付けたこと、祖母はわかっただろうか。感ぜられただろうか。