17/05/17 Wed. ステルス

今日はみえないものについて書く。

不機嫌の理由

不機嫌の理由はなかなかみえない。
前職に勤めていたころは、だいたい月に1度部屋で暴れていた。
「バカ!もうやだ!全部やだ!濡れたタオルを突っ込むな!わたしだって年金もらいたい!くそばばあしね!エクセルおぼえろ!」
確かこんな風な身も蓋もないことを言いながらパンチを繰り出したりベッドでジタバタとのたうったりして、同居人はパンチは引きうけ、のたうつわたしを体重で押さえ込み、よくできる看護人だった。
わたしは濡れたタオルに怒っていたわけではなかった。
将来の不安と、隣の席の人との相性の悪さ、Officeソフトも満足に扱えないおばさんに囲まれていることにわたしは怒っていた。さらには生理が近く、濡れたタオルが洗濯カゴに入れられ続けることは単なるきっかけだ。きっかけはきっかけにすぎない。
不機嫌の本当の理由は叫びの最後に出てくる。
感情に任せて叫んでみて、やっと自分がなにを不安に思っていたのかわかった。
わたしはなかなか思うことが言えなくて遠回りする。
そうできる場所がなかった。いまはあるから、身も蓋も外してたまには叫んだ方がいい。

 

わたしは中身がない。


ひとりでぼんやり家事などして過ごしていると不安になる。
自分が自分である時間がほしいとは思った、だけどそもそもその自分がかなり矮小だ。
はずれのピーナッツに似ている。外からみると形はしっかりしているのにあけてみると実は萎びて小さく食べれやしない。
ずっと出かけないでいると、自分が透明になってしまったような気がする。
「世間」から観測されないと存在できない。
いま、わたしの社会的立場は「無職」だ。結婚もしていない。
恋人の部屋に転がり込んで、ネットフリックスを毎日みてる。
(しかもネットフリックス代も恋人が支払ってる!)
わたしは自分が存在していない、と感じる。
とはいえ前職で働いているときもわたしは自分が存在していないように感じた。
仕事を覚えても認められず、ひとに説明してもわかりづらい仕事で、休みがランダムなので音楽イベントにもゆけず友人にも会えず、給与は上がらないので生活はずっと苦しく散財も貯蓄もできない。
それで自分が自分でいられる時間もなかったので最悪でどん底だった。
わたしは自分に肩書きをつけて、「世間」に認められている、と思わないと自分の存在を認められない。

中身のない人間には中身のない人間なりの戦い方があって、店員対客といった立場の虚構のコミュニケーションをしているとき、わたしは自分の「立場としてとるべき仕草」が自分の本心と思える。
よき店員として嫌なお客さんも心から心配して寄り添うようなことだ。
(機嫌が悪かったんだな、体が悪いのかな、いいセックスをしていないんだな、とか、来世は畜生道に堕ちるんだな、とは考えてるからタチは悪い。)
だけどよき団体職員というのはよくわからなかった。お客には雑に強情に、内部にはヘコヘコとこびへつらうのがあの職場では正しかったらしい。
そういう部族には所属できなかった。
小さい頃から母に「外面よし子」と言われていた。まあお前のせいだけどな。

17/05/10 Wed. 荷台を持つひと

パソコンから書くと、つい文章が長くなる。客観性がなくなる。

センチメンタルの速さはフリック入力に追いつけない、と昔書いたことがあった。思考スピードは入力方法に必ずしも追いつかない。

就職活動の相談に乗ってくれる担当者のひとが、全く同じことを言っていて、なんだかすごく嬉しかった。就職の書類を作るときはやっぱアナログでみてみると客観性が出て良いよ、キーボードの速さに思考は追いつけないから、と言ってた。ちなみにこれは、ガラケー打ちで書いている。

 

さいきん真っ当に人間らしく扱われて、対等に関係を結んで、幸せに生活している。だから実家にいた頃のことは少しずつ忘れている。

「わたしはここで働きたい」「わたしはこれができる」こういう自己PRがめちゃめちゃ苦手で、書いて手足から冷や汗を流していて、ああ、母と暮らしてたときはそういう自分の希望を言うと怒られたもんな、と、ちょっと思い出してしまった。

自分のやりたいことを言っても、却下される。あなたは未熟だからまだ任せられない、あなたのような人間にはできない、世間にどう思われるか考えろ、失敗して恥をかかせないで、いつもいつもそう言われてきた。いつの間にかひとの顔色ばかりみて発言するようになった。

だからわたしの接客はハッキリ言って素晴らしい。相手の顔色をみて欲しい言葉を探るのが得意だからだ。

それで今度は営業職になってそれを役立てたいと思っている。お母さんありがとう、昔の嫌な思い出は嫌だったと覚えてるうちに記録しときます、わたしは自分の子供にはお母さんみたいになりたくないから。絶対にこの気持ちは忘れない。

自転車にはまだ乗れない。補助輪なしじゃ自走できない。だけど自立の補助輪は外れた。Yが後ろをしっかり持ってくれている。いつか一人で走れるといいなあ。それでどこが好きなところに二人で走っていけるといいなあ。

17/05/08 Mon. 生活はパズルゲーム

きのうは夢中になって某パズルゲームをやった。
子供の頃よりずっと簡単にクリアできるのが面白くて仕方ない。
連鎖だってすごく簡単に組める。

子供の頃は連鎖を組むのが苦手だった。
連鎖を組むことに集中すると、途中でよくわからなくなって発動しない連鎖になってしまうことがあった。それから、敵の攻撃で連鎖が台無しになってどうしたらいいかわからなくなることもあった。
適度に単発でも消化しつつ連鎖を組もうとするのだけど、そうすると連鎖がうまく組めない。
大人になった今は、連鎖を適度に組みつつ、邪魔されたり失敗したら単発で消化したりを上手にやることができるようになっていた。

対戦の中で気がついたことがある。連鎖を組むにしろ、単発で消してゆくにしろ、一色(一組)だけに集中してやるとうまくいく。
連鎖をいくつも組もう、とか思わないで、ひとつの連鎖を完成させることに集中する。
完成させたら、連鎖を発動させる色を消化することに集中する。
結果的に3連鎖くらいができたりする。
邪魔されて台無しになっても、手近で消せそうな確率が一番高い色から単発でコツコツと消してゆく。
焦らず落ち着いてそれをやれるようになると、落下速度が上がっても操作と判断力がおいつくようになる。

生活や仕事も某パズルゲームと同じで、全部いっぺんに(時には「連鎖」を組んで)やろうとするからうまくいかなくなる。
ひとつひとつに集中して目の前にあるものから片付けてゆくことが大事だ。
他をやらなくていいということではなくて、つまり、連鎖を組むならその連鎖をつくることにまずは集中し、発動させるなら発動させることに集中する。
洗濯をすることなら、洗濯はとにかく回し、干すのは同居人が帰ってから手伝ってもらえばいい。そしたら同居人が帰ってくるまでは、わたしは洗濯のことは考えなくていいし、他のことに着手していい。手伝ってもらえなかったらそのときはそのときで単発で干すことに集中すればいい。取り込むのを考えるのはまた次だ。
「スイッチを押す」・「干す」の間に「同居人の帰宅」をはさみこんだら、わたしは「同居人の帰宅」にだけ神経を向けておけばいい。「同居人の帰宅」がふってきたら、『(スイッチ押す+干す)洗濯』は勝手に消える(ようなものだ)。「洋服を取り込んで」「クローゼットにしまう」は、『洋服の管理』という別の色だ。

もうひとつ大事なのは、自分のキャパを10割使いきって動くのではなく、最高まで8割まで使って動くこと。というより、2割を残して動くことか。
パズルが積み上がってきてしまっても、2割残しておけば、そのあともどうにか動ける。リカバリも早い。フィールドを全部使い切ったらゲームオーバーだ。
ポケモンでいえば、2割HPが残っていたら「きずぐすり」で回復できる。でも使い切って瀕死になったらおしまいだ。
今日は調子がいいけれど、明日と明後日はきっと不調だ。雨と低気圧の予報に加えて生理前が重なってくる。今日は2割どころか3割ぐらい残しておくと、明日がすこし緩和される可能性がある。
それで今日の夕飯は放棄した。うちで冷凍餃子を食べる。サラダも外で買ってきた。

パズルとかPCとかゲームとか、そういうものが持っている概念はわたしの実生活を救うことがある。
暇ならゲームでもしたら?といわれて、まあやってみるか、としたことに意外なひらめきがあった。
昨日はそのあとパズル熱が盛り上がって数独とロジックをやった。これからも盛り上がりそうだ。

17/05/06 Sat. 蚕

どうにか8時に起きて散歩に出ることができた。
延滞していた本を図書館まで返しにいく道のりはちょうど往復で2キロ弱。ちょっとした散歩にはいい距離だ。
ストレスの発散にはランニングがいちばんいいけれど、8割くらいの精度、密度で終わる運動の方が後々キャパを残して、習慣化しやすいかもしれない。気楽にできるのが一番だ。
走るとなると、荷物とか汗とか日焼け対策とか化粧とか、いろいろなことが気になってしまう。

春に芽吹いた植物が葉をさらに繁らせ、あちこちで花を咲かせている。
蝶が飛んでいるのも見かけた。
植物を見ていると気持ちが安らぐ。
民家の脇に突然クワの葉が芽吹いているのもみた。小学校の時、理科の課題で蚕を育てていたときは、こういうクワの新鮮な新芽を一生懸命探したものだった。

蚕はクワの葉しか食べない。
クワの葉を食べて肥え太り、糸を吐いて繭をつくる。
繭は羽化する前に収穫されて、なかの蛹が羽化することはない。
羽化しても蚕は飛べない。体は丸く太っていて、のそのそと歩いて交尾して卵を産む。そして数日で死ぬ。

自分も、人間ではなく、蚕だったらいいのにと思う。
自分の人生は自分の所有物である、と思っているひとには信じられないことだろう。
わたしの気持ちは無視され、わたしの人生は親のためのものだった。出来は悪かったけれど。
自分のために生きるなんて、自分のやりたいことをするなんて、許されてこなかったことだ。
よく、羽ばたけ!とか、飛び立て!とかいうフレーズが若者に向けられるけど、いつもウンザリしていた。
中二病のひとつと見ることもできるけど、そもそも羽ばたいたり飛び立ったりするために生きていなかったし、できなかったから、苦しかった。
蝶はその羽根で遠くへ飛ぶことができる。花の蜜を吸ったり自分の力で遠くへ行ったりできる。
蚕は羽ばたくために生まれていない。繭を取られて殺されるために生きている。運良く羽化しても羽根は形式的についているだけで、人間のつくった箱の中の狭い世界で子供を残す。ただ生きるために生きている。
いきなり野生に、さあ!いっておいで!と放たれても、すぐ死ぬのが関の山だ。
でもそれは蚕に生まれたのだから仕方ない。
わたしは蚕ではないから、人間らしく生きる努力を覚える必要がある。
ただ生きるために生きているだけではいけない、と、世の中のひとが言う。目的をみつけないといけないと。
わたしにはわからない。明日生きるために生きていてはいけないんだろうか。
クワを食べて繭をつくり収穫するためだけに生きたい。
仕事をして金を稼ぎ生きて行くためだけに生きたい。
ただ、Yと一緒にいろいろな景色を見られたらいいとは思っている。
そうしたら子供をつくり子供のために生きてゆくでもいいだろう。わたしは空っぽだ。なにもない。一応蛾のカタチになる蚕のように、一応人間のカタチをしている感じだ。

卯月妙子の漫画に時折出てきた「期限付きで生きていない奴ら」という言葉がある。
わたしたちは、そんな風に何十年も生きるなんてことは考えたことがない「期限付き」サイドの人間だ。
次のデートまで生きる。
次のパーティーまで生きる。
だから、夜中走るのも、ライブでダイブして怪我するくらいむちゃくちゃやるのも、危ないとか怖いとは思わない。そこで死ぬならそこまでだとしか思わない。それが運命だ。諸行無常だ。
だけど、例えば、次の旅行まで生きる、次の子どもの卒業まで生きる、そうできたら、結果的に、この苦しさには追われずに生きられるかもしれない。生活や、人間と関係することなどの別の苦しさには追われるかもしれない。
もう少し君といろいろな景色を見たい。ただそれだけのために私はまだ生きたい。

17/05/05 stress

ベタを飼い始めて1年以上が経った。
ベタの寿命は2年程度だとインターネットでみて、成体になってからうちに来ているということは、寿命は近いのかもしれないと思っていた。2月や3月ごろは動きも緩慢だった。水槽の底に沈んで眠っているようにみえることが多かった。
せめて居心地よくしてやろうと、底砂を買いにアクアリウムショップに行って色々と相談してみた。水質維持のこと、流木の入れ方、ベタの寿命など。するとその中で店員さんが言うには、2年より長く生きることだって多いという。
「大事なのはストレスで、よくフレアリングをさせてやったり、他のオスを見せたり、張り合いがある環境にするのが大切ですよ」と、店員の男のひとは言った。
なるほど、確かにしばらくフレアリングもしていなかった。それから毎日1分程度鏡を見せてフレアリングをさせると、少しずつ元気が戻ってきたように見えた。

ストレスは一概にマイナスに働くだけではない。
アクアリウムショップできいたようなプラスに働くストレスは、「外的な刺激」とでも解釈した方が正しい気がする。
(『ストレス』という単語にはマイナスのイメージがまとわりつきすぎている。)
アプリ版の大辞林で引くと、『ストレス』の意味はこうだ。

①精神的緊張・心労・寒冷・感染などごく普通にみられる刺激(ストレッサー)が原因で引き起こされる生体機能の変化。一般には、精神的・肉体的に負担となる刺激や状況をいう。「ーを解消する」
②強弱アクセントで、強めの部分。強勢。
③物体に加えられる圧力。
④外的圧力に対する弾性体内部の反発力。

どちらかというと『ストレス』は、刺激を受けた結果をいうものだが、刺激そのものについても一般には『ストレス』といいならわしているみたいだ。正しくは刺激そのものは『ストレッサー』のことなのだろう。

さて、わたしには今、「(外的刺激としての)ストレス」がない。
仕事をしていないから、外に出ない。お金がないから、あまり外にもでない。眠りたいときに眠り、義務も明日の予定もない。
水槽のなかで一人でぼんやり泳いで、餌を与えられているベタと同じだ。
わたしにも、毎日すこしの適度なフレアリングが必要だ。

最近、夜によく眠れない。寝付こうとすると、いろいろな思いが頭を巡ってしまう。
眠りに落ちるあわいのところが、いつも恐ろしい。恐ろしい幻覚や、過去の出来事や、終わっていない家事や、自分の人生のむなしさだ。
それでも仕事で疲れきっていたときは眠れていた。
まるで、ひきこもっていた頃のようだ。最悪だ。あの頃に戻りたくはない。

同居人は、人間関係に苦しんだわたしを見て、「フリーランスになったら」とか「詩人になったら」とか言う。だけど、そうじゃない。
人間関係に苦しみ疲れるのは、もちろん嫌だ。
だけど、自分で自分の仕事を管理するような人生を選んだら?わたしは、食えるようになる前にまた自己肯定感を失って、精神から身体を、身体から精神を壊すだろう。
わたしには仕事が必要だ。
毎日出かけて行って、人前で働くことが必要だ。身だしなみを整えて、健康を保って、緊張感を持って人間と関わることが。そういえば、そうだった。
ただ、そうするとわたしのキャパは終わってしまうかもしれない。
キャパが終わった分、気晴らししたりできる時間とお金、食事を外食にしたりするお金が必要だ。
それだけの休日とお金が得られる仕事に就きたいから、仕事を辞めたんだった。

わたしには、やりたいことなんてない。
ただできるだけ、世間に恥ずかしくないように生きていたいという気持ちだけが強い。
家でダラダラとしているなんて、世間に申し訳が立たない気がして、眠ってしまう。または、家の中で家事をしていると疲れてキャパが終わってしまって、眠ってしまう。そういう自分が嫌で、「嫌だ」と思う気持ちでキャパが終わって、また眠ってしまう。
小さな子供のころは、やりたいことや興味のあることがたくさんあった。だけど、失敗したり、興味を持ったこと自体を叱責されたりしたことが多すぎた。
他にも色々と、わたしがわたしであることを苦しいと思い、親を恨む原因はあるけれど、ここにはまだ書けない。惨めすぎるからだ。それは性的なことだ。きっと、同居人には理解ができないだろう。素っ頓狂なことを言われたらまた心を閉ざさないといけないかもしれない。それは嫌だ。
やりたいことなんてない。本当なら何もしたくない。積極的に死にたいとは考えなくなっただけ、褒めて欲しい。わたしはわたしでいることが嫌だ。
だから社会に必要とされなければならない。

まだ生きることがよくわからない。人のことを信用もできない。
一生懸命話して、わかってもらえなかったら悲しい。
実際わたしはヘンでわかってもらえなかったことが多かった。
来週ぐらいまで死ぬことは先延ばしにしようと思えるようになったのが2014年で、
今後も引き続き生きて行こうと思ったのが最近だ。

わたしは、ただ、もう少しYと生きていきたい。もっとずっと生きていきたい。
やりたいことないの?なにかしないの?と言われると、全くそんな願望がないので、叱られているようで悲しくなってしまう。存在してはいけないような気がしてきて苦しくなってしまう。
やりたいとしたら、こうして机に向かって考えたりすることだけど、すぐに気が散って何にも集中できない。夜に走るのが大好きだけど、危ないからだめだよと言われてる。ラジオをオープンエアで適当に素早くかけて机に向かいたいけど、作業をしてるとためらうしもっといい音で聴きなよと言われる。いい音でききたいんじゃなくて、音のシャワーで他のことをシャットダウンしたい。わかってもらえない、と思うと、頑固になってしまう。
目的にいつも到達できない。やり遂げられない。机にそもそもたどり着けない。
やっぱり長く生きて行くのは難しいのだろうか、と思ってしまう。
人に迷惑をかけて生きたりしたくないなあと思う。
わたしのような娘でお父さんとお母さんに悪いなあ、と思う。
代替案を出せばいいのに、いまはそれができない。イライラしている。セックスもない。自分がふがいなくて相手に迷惑なんじゃないかと思うと、それを認めたくなくて攻撃的になる。
前提条件が間違っているとはわかってるんだけど。やることがないんだ。

そんなわけあるか、という話だけど、部屋の水槽のなかにずっといると、真剣にそう思うんだよ。
どうしてこんな風になってしまったんだ、と考えるよりも、外に出て気を紛らわしている方が早い。この先のことを考え込むより働いた方が早い。考え込むとこうなることはわかっている。
はやく働きたい。5月8日まではゴールデンウィークでなにも動かないから動けない。外の人混みも辛い。アルバイトしろっていわれても、キャパを終わらせない程度のアルバイトじゃ生活費に足りない。
特定の音が辛い。光も、辛い時がある。履いている靴下の縫い目が気になって具合が悪くなる日もある。辛いことを避けるためには完璧に自分を守らなければいけない。自分で自分を守ろうとすると脳のキャパが死ぬ。これがワガママなのか、障害なのか、わたしにはわからない。目先のことから逃げているだけなのかもしれない。
このループから逃げるためには金と休日を手に入れて、自分を守る行動を外部に金で委託して気晴らしと安静を得ないといけない。

言い訳ばかりで、ワガママだなと思う。わたしは、言い訳じゃなくて、恐れと、普通には理解されない理由が多いから、一生懸命説明しているんだけど、いつもメンヘラ以外にはワガママとしか言われたことがない。普通の人は、そんなこと我慢してるんだよって。だから、わたしは、甘えていて、ワガママなんだろう。本当にそうなんだろうか、わからない。
自立できない、甘えていて、ワガママなやつは、いけないことだから、死ねばいいとしか思えない。わたしは自分を死ねばいいなんて思えない。

考え方がねじれている。ねじれを少しずつ解くために書いた。どこがねじれて癒着しているのか、どこが改善点なのか、まだ今なら改められるはずだ。

ここまで書いて思うのは、わたしは、マズローの五段階欲求説で言えば、「所属と愛の欲求」が強いけども、そもそも日々の身体のコンディションにいつも振り回されていると、まだ「安全の欲求」だって満たせていないんだろう。自分のコンディションを保つことで、いつも精一杯になってしまう。そこから上は全部中途半端だ。

自己実現理論 - Wikipedia


わたしはわたしを、オールオッケーと思いたいよ。足るを知るというか。大丈夫、って思いたい。
もう10年もこんな考えをウロウロしている。だけど堂々巡りじゃない。思える時間はかなり多くなってきているはずだ。

17/05/04 認知の歪み

親とお金のことを考えると苦い気持ちになる。必要があってお金をもらおうとすると、両親はいつもひどくいやがったという記憶がある。
中学生の時か高校生のときか、ちゃんとした下着が欲しいけれどよくわからなくて、地元のオーパに入っているよくわからない下着屋の1500円の下着をつけているのはまずいのではと思い、母に頼みこんで下着屋に連れて行ってもらったことがある。ブラジャーがひとつ5千円くらいして、母が高い高いとブツクサいいながら会計していた。揃いのパンツは買ってもらえなかった。
中学生のときは月に3千円くらいお小遣いをもらっていたと思う。美容院にいくお金もそこから出すように言われていたけれど、カットだけでも5千円くらいかかるし、中学生にもなると染めたりストパーをかけたりしたくて、そのお金では足りなかった。だから美容院に行くのは正月や誕生日に祖父がお金をくれたときだけ、あとは髪を切らなくなって伸ばしっぱなしのことが多かった。中学の部活のコーチに、髪切らないの?と言われて説明すると、必要なら普通はその分お金をくれるものじゃないの?と言われてびっくりした。母は母で、髪を切れとか、鬱陶しいとか毎日のようにわたしに言ってくるのに、お金をちょうだいというと自分のお小遣いでまかなえというのだった。
洋服も同じだ。わたしはいつも少ないお金でどうにか買い物していて、失敗したくないから黒い服ばかり着ていた。そうするとやっぱり、黒い服ばかり着るとか、もう少し女の子らしくしろとか、きちんとしろとか言われるのだった。わたしはどうしたらいいか、わからなかった。試行錯誤をするにはお金がなかったし、自分のスタイルもなかった。だからいつも「なんにでもつかえそうな」ちんちくりんの中途半端な服とかばかり着ていた。
大学生になって精神科に通い始めても文句ばかりだった。そもそも精神科への通院自体に強い抵抗を示していて、就職できないとか犯罪者になるとかそういう言われ方をして、わたしは辛くて死にたいのに就職して生き続けないといけないのかと思うと絶望的だった。どうにか言いくるめて通い始めても、通院費をおねがいするといつもひどく嫌がられた。薬代が高い、2週間でこんなにかかるのか、と。当時、2週間で3〜5千円分くらいの薬を飲んでいたと思う。それならと、保険の1割だけの支払いでよくなるように自立支援医療制度の利用を提案してみたけれど、将来会社にバレるとかわけのわからないことを言って拒否しつづけ、最後の1年でやっと申請していた。多分、お金に絡んで行政の制度を利用することは、負け犬だけがやること、というような意識が父母にはあるのだと思う。精神科についても、偏見が強かった。わたしは父母にそう言われることが悲しくてなかなかお金をくださいと言い出せなかったり、そもそも精神の調子が崩れていて毎日起きられず、病院の予約を飛ばしたりしてばかりいた。医師から、いまの状態では働けないから就活はいったん休んで、と言われているのに、父母は、そんなこと言われてもやるしかないでしょう、と笑ってわたしに就活させた。というか、わたしは父母を悲しませたくなかった。結果として最終面接までいった行きたくもない会社の結果が出る前日にわたしは2度目の自殺未遂をした。
母は、救急車にサイレンを消してくるように言ったと後でわたしに話していた。あとでご近所になにか聞かれたとき、世間体が悪いから。
わたしは心配されたかった。親を反省させたかった。

わたしは、自分が、金食い虫で、父と母にとって迷惑な存在で、働いてお金を返すこともできず、できそこないの、世間体の悪い娘で、両親に嫌われているんだと思った。
世の中にいい顔ができなければ、わたしの存在意義はないのだと思った。親が投資した分のお金も返せない自分は、死ぬべきなのだと思ってしまった。

いまはそんなことは思わないし、両親はどうしてあんなにお金を出し渋ってばかりいたのかと思うと不思議だ。高校生くらいまでは、周囲が度を越した金持ちだったこともあって自分の家は貧乏なのだと思い込んでいたけど、どちらかといえば裕福だしそんな少しのお金で生活に困るような家計ではなかったはずだ。
自分の一人娘が困っていても、いつも自分達が自由に使うお金や、世の中にいい顔をすることばかり考えてわたしのことは見ていなかった。

仕事を辞めてから眠ってばかりいる。こころはすこぶる健康だ、だけど、たくさん眠ってぼんやりしていたら久しぶりに昔のことを思い出した。恨んでいるわけではない。もうどうしようもないことだから。お互いにそんな過去は忘れて人生を大団円に向けてまとめあげてゆくしかない。
「思春期にはぶつかったこともありましたね。それでも感謝しています!」みたいにいけしゃあしゃあと記憶を塗り替えるしかない。
だけど時々、とくに母については、楽には死ねると思うなよ、と考える時がある。

17/05/01 机の上にスポットライト

雇用保険受給についてはよく理解したつもりでいたが、「待機」の概念を勘違いしていて、思った半分しかお金が入らない。うっかりしていた。こまった。
お金が入ったら使うことばかり考えてしまう。それでも、現金で持っておくことでだいぶ貯められるようになった。
うちの両親もさいきんはいつもお金がない、という話をわたしにしてくる。わたしは父母の収入や貯蓄について、きいたことがないけれど、あの様子ではあまり貯蓄などもしていないのだろう。いつも買い物や外食をしている両親だった。わたしもそういう経済活動しかみたことがないから、いつも買い物ばかりしてしまっていたけれど、さいきんは同居人を見習って考え方を改め、だいぶよくなってきた。
いまここにある以上のお金は使わない。そう決めてデビットカードを作った。いま使っているMacBookAirの毎月の支払いが地味にキツイ。30歳までもあっという間だろう、

さいきんはラジオをかけるようになった。好きなコラムニストのジェーン・スーさんがラジオをやっているというのがききたくて、radikoを久々に使うようになったからだ。
ラジオをきいて作業をすると、作業の進みが不思議と良い。そういえばそうだった。まだとても成績がよかった中学生の頃、わたしはラジオをかけて机に向かって勉強するのが常だった。
テレビでは気が取られる、無音ではあちこち他のことが気になる。ラジオはわたしの脳みそをノイズからシャットダウンするのに丁度いい。ラジオをつけて手元のライトだけをつけると、机の上のこと以外はブラックアウトして集中することができる。
高校生くらいになってそれをやらなくなったのは、学習机にしていた机の高さが成長によって合わなくなったからだった。勉強するときはいつもチェアの上であぐらをかくか、膝を立てるかしていて、中学2年の後半から3年くらいから机に膝がつっかえるようになった。母にそれを話したけれど、わがままばかり言うとあしらわれて終わってしまい、その頃メンタルの問題を抱えてインターネットに没頭するようになったこともあって、勉強しなくなった。成績はがくっと落ちて家庭は余計に荒れた。
自分に合う環境を構築し、維持することが、わたしが何かを続けるためには必須だ。だけれど、何が正解かわからないものを果てしなく求めて行くのはなかなか大変だ。しばらく上手くいっても、他の要因からくるコンディションによって上手く行かなくなる場合もある。ほんとうに難儀だ。
成長して膝が机につっかえるようになったことで家庭が荒れるなんて、本当に、風が吹けば桶屋がもうかるみたいで笑える。

今日は、雇用保険給付のあまりの少なさにショックを受けて眠ってしまった。だめだ。今夜こそ、4月の家計簿の集計データを作りたいが、このまま眠って明日の日中にやるべきか悩んでいる。だけどとにかく、机には向かえている。ラジオ様様だ。さて、どうしよう。