陰翳

監視と無関心

同居人の両親がわたしたちの結婚のことを真剣に考えてくれればくれるほど、自分の両親の無関心が不安になる。

高校生まで、「どこに誰と何時に何をしに行くのか」を3日前には伝えないと外に出てはいけないと言われ、
新卒の就職活動の時は、わたしがインターンやエントリーをしようとした企業のひとつひとつを評価してここはやめろ、と「助言」をし、
精神科医に就職も就職活動も無理だから一旦やめなさい、と言われたわたしに、「じゃあ誰が食わせてくれるの?しないなんて無理よね笑」と帰り道に笑い、
とにかく内定を、と言うので、親の監視外で勝手に応募して内定を取ったことを告げたらそんな変な会社には行くなと激怒し、
一人暮らしをしたときは、まず引っ越す前は落ち込みまくって母は寝込み、引っ越し後は毎朝電話をかけて起きているか確認してきたのに、
どうしてわたしたちの結婚には一言もないのだろう。

社会的なトピックとしてのわたし

わたしは不安になる。
親がコントロールできる世界の外にわたしが出てしまって、親はわたしへの関心がなくなってしまったんじゃないか。
わたしの自立を認めたというより、自分たちの思うようにならないことで、私のことが急にどうでもよくなったんじゃないか。
だとしたら、わたしの人生や存在とはなんだったのか。
わたしは、父や母にとって、「結婚して子供を作り育てる」という人生上で「社会的に」「クリア」しなければならないトピックとしての存在でしかなかったのではないか。
子どもをいい学校に入れる。いい大学に入れる。いい企業にいれる。そういう「トピック」でしかなかったのじゃないか。
「本当のこと」は見る角度やその時の気分で誰にもわからないが、
わたしのなかではそうとしか思えなくて、
それはわたしが一番恐れている答えを弾き出している。

過去とこれからのコントラスト

新しい家族をつくり、これから自分の人生を始める。
今までの人生から脱却して、そんな道に立てたことが、とても喜ばしいことだ。
その前途の明るさが、対比して、暗くて苦しい過去を際立たせてしまう。
脱却といっても、過去はいつもわたしに寄り添っている。
過去に受けた苦しみは終生の友になり、同居人よりも長く添い遂げることになるだろう。
まあこれまでだってずっといっしょに来た訳だけれども。

わたしを見て

わたしは親に祝福されずに、新しい道に立たなければならない。
ことさら呪い罵られることはなくても、関心すら示されないのはそれはそれで傷つく。
それでいて、「祖母の着物を着てほしい」とか、また「子の成長を祝う」体で自分たちの希望、それも、わたしは喜ばず、外向きに「子に良くしている」という風にみえることを言われるので、同じような過去の事が思い返されて辛くなる。
そんなのどうでもいいから同居人のご両親への飛行機代くらい出してくれればいいのに。
築地に行って1ヶ月に何度も寿司を食っているんだろ。
祖母のミンクのコートを何万もかけて作り直すぐらいなら、毎月の食費を助けてくれ。
愛情はお金じゃないけど、私が、わたしたちが、本当に必要とするところにお金をくれたら、愛情と思えるのに。
わたしが本当に必要としていることをしてくれたら、愛情と思えるのに、いつもピントのズレた答えばかり帰ってくる。
外向きには、悪い親ではない。むしろ、いい親御さんじゃない、と、言われる。それは、そう見えるように彼らが振舞ってきたからだ。
どんなに努力しても認められず、ボロボロのわたしに彼らの希望通りの就活を強いて、希望通りにならないと拒絶し、自宅療養を履き違えて軟禁し、就職を拒否し、一人暮らしを拒否し、手を離れたら関心を無くすひとたちなのに。
一度でもいいから私を見てほしい。
私を見て、私のことを考えて、私を認めてほしい。

もう嫌いになりたくない

この気持ちは一生続くのだろう。
父が死んでも母が死んでも。
母は、わたしが生まれる前に死んだ祖母の関心をいまも引きたいようにみえる。
父は、自分自身がそうされてきたように何もかもに無関心で責任から逃げている。
そう頭ではわかっても、同居人とその親族がわたしを溢れるほど受け入れてくれても、
自分の親から関心を持たれておらず、ずっと愛されていなかった、自分は愛情を感じられなかった、ということがわたしは受け止めきれない。
わたしの親は悪い親だ、なんて、言いたいわけじゃない。
むしろ、言いたくはない。それは、辛い。
ただわたしが辛かったことを知ってほしい。
わたしが辛く悲しかった、と話すと、親不孝だとか、親はあなたを思っていた、とか言われることが多い。
そうではなくて、親も彼らなりのベストを尽くし、それはわたしにとって最悪で、わたしは辛かったんだ。
もう、それを、ひとに説明するのも嫌だ。
また、親に「親らしい」振る舞いを求めてその度傷つくのもウンザリだ。
親を特別傷つけず、周囲にも喚き散らさず、ただそっと他人になって、遠くから手を振りたい。
親らしく振舞われるのもそれを求めるのも、できるだけ機会を少なくしたい。
もう悲しみたくない。嫌いになりたくない。

あるべき家族

学べたことがあるとすれば、他人を自分のいいように扱ってはいけない、そうされた人間は大変傷つく、ということと、自分の子どもには父母と同じように振舞ってはならないし、つまり彼・彼女の自立を助けるのが本当の親の役割だということだ。

同居人のご両親が真剣に考えて、助言をくれればくれるほど、嬉しい。家族というのはこうあるべきと思う。
そう思えば思うほど、そうした接し方をされたことのなかった自分の人生が虚しくなる。
理想とするひとたちと家族になれるだけでも、贅沢に幸せだ。それでも、そういうときもある。

フリーランスの住民税メモ

住民税について

住民税の正式名称は、「特別区民税・都民税」。ややこしいですね。
税金については個人事業主と会社員で、扱いがいろいろと違います。
国民保険、年金とはまた色々と別です。

役所への恨み

役所の回答は、用語や言い回しや構成が最高に読みづらいし落とし穴がいろんなところにあるので、「税金 フリーランス」とかネットで調べて知識をつけて挑むといいと思います。
電話するか、窓口に突撃するのがいちばんわかりやすいです。
「で、わたしの場合はどうしたらいいの?」「次になんの手続きをしらいいの?」「それをしたらどうなるの?」というのが見事にわからないのがお役所の文章です。

住民税を支払わなきゃいけない人は?

1.1月1日現在杉並区内に住所がある方。
2.住所は杉並区内にないが、1月1日現在、事務所や事業所、家屋敷を杉並区内に所有している方。
なお、年の途中で、他の区市町村に引っ越された場合も、その年度分の個人住民税は、前の住所地(杉並区)に納めていただくことになります。
特別区民税の課税|杉並区公式ホームページ

ただし、例外として、年間(1月-12月)の所得が35万円以下の場合は、課税されません。

住民税の支払い方法は?

方法①
銀行、コンビニ、区役所で支払えます。
紙を持って行って窓口か、レジにゆきましょう。
公共料金の支払いと同じ感じです。

方法②
それ以外にも、銀行に申込書を出せば「口座振替(引き落とし)」もできます。
区役所ではなく、銀行に申し込みをします。
申込書は、封筒に同封されているほか、銀行にも置いてあります。
特別区民税(普通徴収)の納税|杉並区公式ホームページ

住民税を支払いたくない!

所得(前年の1月-12月の収入)が、会社員なら100万円、フリーなら35万円以下の場合、住民税は課税されません。

住民税(特別区民税・都民税)の場合
所得が35万円(給与収入のみならば100万円)以下の方は、課税されません。
なお、それ以上の金額の場合でも、扶養親族の人数によっては課税されないことがあります。
よくある質問 何万円以上収入があると税金が課税されるのでしょうか。|杉並区公式ホームページ

去年、今年は会社に勤務してこの基準以上稼いでたので、なんにせよ払わなきゃいけません。

所得ってなに?

個人事業主の場合、所得とは、働いて得た収入額から必要経費を引いた額になります。
このへんは確定申告とかで関係してくる話ですね。他の税金も関係します。
税金は、働いて得たお金にかかります。
でも、個人事業主はそれを稼ぐための設備なども自分で揃えます。
稼ぐための設備や備品にかかったお金のぶんは、申請すれば、税金を計算するときに除外になります。

なので、個人事業主とやっていくのであれば、
レシートや証明書類はとにかくなんでもかんでもとりあえずハコにでもぶちこんで取っておいて、
「必要経費」として申請できる買い物(プラグインや機材の購入、机や椅子なんかもうまくやればなるかも)や、
課税対象にならないとくべつな積立貯金(個人事業主共済?など)について、よく知って、手続きできるようにしましょう。
収入と所得の違いとは?所得の種類など - 個人事業主メモ

扶養について

扶養に入ると、住民税を支払わなくていい場合があります。

「38万円+65万円(青色申告の場合)+経費」までなら、稼いでも夫の「扶養」に入ることができます。

しかし、「青色申告特別控除(最大65万円)」を受けられる人は、毎年2〜3月の確定申告の時期に”青色申告”をした人だけなんです。
青色申告ではなく”白色申告”をした人には、特別な控除は何もありませんので、稼げるのは「38万円+経費」までとなってしまいます。ということは、月3万円くらい・・・ですね。

今「38万円(+経費)の壁」なんて低いわ!と思ったあなた。「開業届」+「所得税青色申告承認申請書」を提出して、青色申告しましょう。

フリーランス妻はいつまでサラリーマン夫の「扶養」でいられるのか? – メモラビ

●クシィによる扶養のアレ

●クシィの付録でついてきたあれです。
扶養に入るとどうなるか?がわかりやすいかも。
つまりは収入額によって、税金を払わなくてよくなったり、ちょっとだけ支払えばよくなったりするということですね。
でもこれはパートとかの給与収入の扶養者ベースの考え方なので、個人事業主はまた細かい金額は変わってきます。
あくまでも参考に。


まあ、いろいろあるようです。

胃痛

中学の思い出

昨夜小学校からの友人Mに会った。
Mとは小学校、中学校、高校と同じ学校で、中学では3年間同じクラスだった。
なので中学の頃の話をした。

昔から押しに弱かった

中学の頃の同級生たちで、性質の悪いやつらがいる。
なんというか、(わたしたちと違って)要領がよくて、クラスでも目立つわけじゃないけど損な役回りにはぜったい回らないようなやつらだ。
具体的には、友達が行かなくなったとかいうオレンジレンジのライブに私がいつの間にかいくことに決定されていて、当然チケット代はタダなのかと確認したら8千円だったりしたことがあった(ギリギリで断った)。
つい先日もなぜか勝手に京都に行くことにされて日付まで決定していて、事後報告されたので「実はまだ内緒だったんだけど…その時期はちょっと結婚のことで忙しいんだよね…(笑)」とわざわざ微妙にマウントを取る嘘をついて断った。
他人を見下して、いいようにするのが好きな人間が2人くっついてヘラヘラしているからタチが悪い。
こいつらはマウントを取れる他人を絶妙に嗅ぎ分けてやってくる。

悪夢

その同級生2人組の夢をみて、叫び声をあげておきた。
叫び声というより、「キッ」「クェッ」みたいな甲高い猿みたいな声が出てた。
わたしがトイレをしていると「あっ、間違えた(笑)ごめ〜ん(笑)」と言いながらなんども開けてくる、という夢をみてた。
体調も悪くて、講義を休んだ。ここ最近の低気圧を耐えていたのが、限界を迎えた感じがした。

知らない小規模クラス会

昨日Mといろいろ話していた中で、Mがこの間コイツらが集まってたのって行ったの?ときかれて、よく訊いたら全く知らない集いをやっていたようだ。
わざわざクラス名をつけたLINEグループにわたしを入れてるくせに、それ以外でクラス名を冠してやるんだ〜、キモ〜と思った。
Mには、当日の昼に「今日の昼どう?」と声がかかったらしい。身勝手にもほどがある。
自分に声がかからないのは最高にありがたいことだ。
ブロックしておこうかな。iPhoneが壊れてアカウントが死んだとでも言っておけばいいし。
大人になってまで中学生のやることをやらないでくれよ。気持ち悪い。

キャパ越えのバッドバイブス

そういうバッドバイブスを受け取ってしまった。
MはMで色々と悩んでいるのでそれをツラツラときいて、帰ってきたら胃が重く、痛くなっていた。
悪いものが体に溜まって重たくなっている感じがまだ少しある。
濾過できる量のバッドバイブスをはるかに超えた受容があってダウンした。

生理がきたらなんとなくそれもデトックスされるきがするので、いい加減にきてほしい。
もう2週間ちかく遅れている。
妊娠可能性のあることを長らくしてないから、生理も有給とってバリにでも行ってるんだろう。

読書には筋肉がいる

読書には実は筋肉がいる。
これは本当のことだ。
ベッドに寝そべって本を読むなんて、腕立て伏せが上手でないとできない。
かといって、長時間同じ姿勢で腰掛けているのもなかなか難しい。つい姿勢が悪くなって肩や腰も痛くなってくる。
でもツイッターはのべつまくなしできる。違いは、集中力もあるけれど、筋肉だと思う。
まず腕の筋肉が足りない。
腕を伸ばして本を保定しているのがけっこうきつい。
スマートフォンを持つだけならそれは必要ない。
疲れ果てた時にカバンの奥底から本をひっぱりだしてページを探すのにもなかなかの労力と筋力がいる。
つまり、「本を読む」という行動にかかる労力と、「情報を頭に入れる」という学習にかかる労力の2つがかかってるということだ。

UI

さいきん、電子書籍だと本がよみやすい。
電子書籍だと、iPhoneKindleさえあれば、手元で指を少し動かすだけでいい。
満員電車の揺れる中でもバランスを維持しながら読める。
どこを読んでいたか探す必要がない。
どの本を持ち歩くべきか、複数の本の間で悩む必要もない。
「本を読む」という行動にかかるコストがかなり削減されて、「情報を頭に入れる」に直行できるからいいんだろう。
集中力や体力にキャパがあるわたしには、とても助かる。

準・自炊

自炊というほどじゃないけど、今夜は試しに買って読んでいなかったリアル書籍をカメラで全ページ撮影してdropboxに入れてみた。
そのままiPhoneの内部に入れておいて読んでもいいのだけど、
けっこうな枚数があるので読み終えたら削除したいのと、タテ横が回転しているのをPCで直したい。
それから、PCから続きを読めるのもいい。
明日、読んでみるのが楽しみだ。
よく考えたら、手帳についてはずっとカメラで撮影して管理してたのに、どうして思いつかなかったんだろう。
(手帳は、書いて整理する行為に関してはアナログでやりたくて、予定の確認をページ撮影してやっていた)

「本との出会い」はアナログで

それでもどうして紙の書籍を買うかというと、書籍の検索機能はやっぱりアナログでの方がぐっと精度が高いからだ。
出版社の確認、大まかな内容の確認、紙質や装丁から書籍としての質の類推がしやすいので、それが「どういう立ち位置の本」なのかがわかりやすい。
また、いろいろな書籍をみていて、自分にとって隠れたニーズのある書籍と偶然に出会う「ブラウジング」も、アナログならではだと思う。
(まあ、今は「検索ワードで思わぬものがひっかかって」という新しい形でのブラウジングもあるのかなーと思う。でもやっぱりそれは今までの出会い方とは質が違う気がしてる)

アナログで買ってデジタルで読みたい

アナログでの「出会い」とデジタルでの「利便性」、両方がうまく合わさった形が生まれれば、いいのになあ、と思う。
アナログで買ってデジタルで読みたい。
CDなんかだと、ダウンロードコードがついてることも最近は多くなってきた。

情報へのアクセス

わたしは、本を読みたい気持ちはあるのに、ハード面でなかなか読めない。
司書課程で勉強した図書館の障害者サービスを思い出す。
なんというか、いまは後天的、極軽度ディスレクシア状態、とでも言おうか。
学習障害で苦しんでいるひとには失礼に思われるかもしれない。
ただ本当に、なんというか、自分がこうやって少し苦しんでいることの解決の糸口は、ディスレクシアや発達のひとたち向けの学習教材などにあるような気がする。
いろいろなアプローチで読みやすく、アクセスしやすくするということは、障害のあるなしに関わらずいろいろな人に役立つことだ。年をとったり、病気で判断能力や体力が落ちたり、そういうときに。
それがもっと広く広まれば、ひいては商機もあるのでは、、

本との出会いは一瞬その現実から自分を離れさせてくれる。
だから小さい頃、本はずっとわたしの味方だった。
電子書籍が本当に手に取りやすくなってきて、よかったなあ。
もっとモリモリ本を読もう!そろそろ画像のアップロードが終わったはずだ。

生活リズムと仕事のこと

細切れの眠り

食事を食べ終わると寝てしまう。
ここ1ヶ月くらいになるだろうか?ハッキリとはわからないが、気温が下がってからのような気がする。
帰ってくるとすぐお腹がすいてしまって、ごはんを作って、ごはんを食べると寝てしまう。
なにか用事があって外食したような日は、帰ってきてすぐ寝てしまう。
それで、数時間後の23時から0時くらいに目を覚まして、2時くらいまで起きている。
睡眠自体は細切れにとっているので、寝不足というわけではないのだけど、なんとなくすわりがわるい。

そういえば学生のころも、こんな生活リズムをしていたことがあった。
夕方帰ってきて、ごはんを食べたり食べなかったりして寝てしまう。
寒い季節だったかどうかは覚えていない。
当時は、朝6時には起きなければ遅刻だったので、真夜中に目が覚めてなかなか再び寝付けないのには参った。

大人になって知ったこと

発達障害自閉傾向の強いひとには、体内時計が24時間ではない型で回っている人がけっこう多いらしい。
定義はいろいろあるようだけど、DSPS(睡眠後退症候群)とか、非24時間睡眠覚醒症候群とかいうものがあると聞いた。
自分は、生きている時間の流れが違うから、大多数の人の社会的な動きに合わせると肉体的に無理がくる、と昔から言っていた。
(わたしは宇宙人なので、地球の重力がむちゃくちゃきつい…ともよく言ってた)
怠けてたり、努力してないわけではなくて、人一倍頑張っているつもりだけど、どうしても生活リズムが乱れる。
自分ではそう思うけれど、怠けてるとか努力が足りないとか言われて、やっぱりそうなんだろうな、と思っていた。
大人になって、こういうことを自分で知れるようになってよかった。

体内時計のズレ

さいきんの生活リズムの乱れは、急な気候の変化や季節の変化で体内時計が少しズレてしまったのだと思う。
同居人も家にいるものだから、夕方帰ってきたらすぐ食事を作って食べて、ついつい寝てしまう。
帰ってくると、どうにもすっごくお腹が空いている。
で、19時ぐらいにお腹いっぱいになって寝てしまう。
これをどうにかした方が良さそうだ。
帰ったらすこし、おやつみたいなものを軽く食べて、夕飯の時間をずらしていく、とかになるだろうか。

睡眠の時間を別にすれば、今の生活リズムはけっこう幸せだ。
毎日行く場所があって、社会性が保たれている。
買い物をゆったりして、それなりに適当でそれなりに手の込んだ食事を数品作る時間・心・体のキャパがある。
家事もするし掃除もときどきできる。
パートの主婦のような生活リズムだ。

就労のステップ

全く違う話だけれど、就労のステップについて思うことがある。
社会復帰的な場面での就労のステップについて、よく「アルバイト・契約社員・正社員」というステップが示される。
職種や業種の質で違う部分はあるだろうが、自分は、あまりそのステップがしっくりこない。
確かに、わたしのように生活リズムが乱れがちなひとは、例えば生活リズムとして約束通り職場に出勤する、ということを訓練してゆく必要はあると思う。

ただ実際、アルバイトとしても、契約社員としても働いて、正社員のひとたちの姿をみるにつけ、この3つの雇用形態はそもそも仕事をすることで達成しなければならない目的が異なる、質の違うものだと思った。
階段のようにステップアップしていくものではないと思う。

雇用形態での働き方

アルバイトは、時給分働く。決められた指示、マニュアルの中で、決められた作業を時給のクオリティで遂行する。
わたしはサービス精神が旺盛なので、時給(=勤務時間)の中で最大のクオリティの仕事が出力できるようにしていた。
なので、賃金がちょっとずつ上がっていったりした。

契約社員は、もうすこし長期的なスケジュールでの仕事があった。担当者として自分の仕事に責任を持つ必要があって、マニュアルはなかった。ただ、仕事は正社員以上の人から天の声のようによくわからない理由で割り振られた。そういう一定以上の権限と、賞与と、昇給はなかった。
マニュアルもなく、誰も教えてくれないけれど、割り当てられた仕事をする中で、自分なりのやり方で出力をあげようとすると、「自分のやり方を否定された=私を否定された」という理由で抵抗する人がいて面倒臭かった。それに、やり方に工夫をして出力をあげたところで月給も変わらず賞与もなかった。
前職は特に評価で給料が変わったり、契約を切られたりすることもなかった。だからモチベーションが維持しづらかった。
アルバイト時代と勤務時間はほとんど変わらなかったのに、いつも仕事のことを切れ間なく考えていて疲れた。

正社員は、見ている限りでは、さらに仕事の質が違った。
我々契約社員が実務の実行部隊であるのに対して、管理的な仕事や人事、総務、報告書などの作成が倍ぐらい多いように見えた。
ただ、我々とは権限が分断されているので、見ていても何を忙しそうにしているのかがわかりづらく、溝があったと思う。
契約社員の多い職場だったので、幅広い年齢の契約社員たちのマネジメントも大きな仕事だっただろう。
権限があるぶん仕事が多く、帰れず休めない時も多いようだった。
祝日振替休、賞与昇給昇格があるのはうらやましかったが、あの職場で試験を受けて正社員になる気はしなかった。
異動や出向もあるし、実務に熱意を抱いている人だったとしても、あの中でそれを維持し続けるのは難しかっただろう。

どこに属するか

人には、職種業種業務内容の向き、不向き以上に、アルバイトに向いている人、契約社員に向いている人、正社員に向いている人、というのもいるように思う。
指示を受けてマニュアル通りに狭い範囲の仕事するひと。
決まった月給の中である程度の範囲の中である程度のクオリティの仕事を維持するひと。
経営的な視点を持って組織の中で仕事をしていくひと。
わたしの狭い了見の中なので、当てはまらないことは大いにあるとは思う。ただわたしの人生ではそういうように見えた。
人間は属する場所で変わってくる部分がある。どれに向くかは属してみないとわからない部分がある。

自分が今パートの主婦、みたいな生活をずっとしていて、それはそれなりに私に向いている「仕事」だと思う。
と同時に、いまパートの主婦、みたいな立場の人の中も、パートより正社員の働き方が向いていて、機会さえあれば正社員の仕事量をして、自信を持ってそれだけの賃金の仕事をやれる人がたくさんいるだろうな、と思う。
ただ、出産や子育てという主に体の理由で一度仕事を辞めてしまうとそれが難しくなるのは本当に惜しいことだ。

今度受ける会社、受かるといいけどなあ。出張がたくさんある営業、なんとなく向いていそうな気がする。
人生が刺激的だと、刺激にごまかされて生活リズムはどうにでもできる。というのは、オールナイトイベントに通いまくってわかったことだ。
次はモチベーションを維持できる場所で、死なない給料をもらって、自信をもって仕事できるといいと思う。

頑張り屋の中学生だった

発達障害の診断材料

母親から受け取ったむかしのわたしの資料を受け取った。
だいぶ前に、「発達障害の診断を受けるのに必要になるかもしれないから、母子手帳など発育などの資料がほしい」と依頼していたのだが、母子手帳などない!と拒否されて、でも数年経って申し訳程度に中高生以降の資料が出てきた。

母を信じたい

母は、認めたくない事実に直面すると、まず荒唐無稽な拒否をカマしてみて、その後下手にでてきたり、微妙にトンチンカンにダウングレードしたリターンをして誤魔化してくる。今回は発達の診断というワードだ。
わたしはやっぱり、母は、本当は理性的で社会常識がとてもあって、神様のようになんでも知っているひとだ、という母自身の主張を信じたい気持ちがある。
今度こそ、母の「本来の」「マトモ」な面、「親らしい」振る舞いみたいなものに出会えるんじゃないか、と、いつもほんの少し期待する。だって、本当は母は「マトモないい母親」のはずだし、本人はそのつもりだ。
それでシッカリ毎回裏切られて、こういうトンチンカンな振る舞いをされて、ちょっと傷つく。
私は母を信じたい、と、いつもいつも思っている。
だけどもう遅くて、もし「親らしく」振る舞われたとしても、またどこかで裏切られると思ってビクビクしてしまうんだろうな。

先生のコメント

成績などの資料は、いろいろな時期、いろいろな種類の資料がぐちゃぐちゃに、ファイルにとりあえず挟んであった。
あんなに、ファイリングをちゃんとしろ、できないなんてだらしがない、といっていた母なのに。
おおまかに分類して、ひとつひとつを読んだ。
成績について先生がコメントをくれている紙というのがあった。
体育の先生は、結構わたしのことを買っていたみたいで、いつも、苦手なのに真面目に逃げずによく頑張ってる!とコメントをくれていた。
当時すごく嫌いだった英語の教師は、平均くらいの成績をとっているのに、わたしが怠けていると思ってるようだった。
美術や書道の先生は、作品をすごく褒めてくれていた。

セルフイメージの中高生時代

中学2年以降からの成績は惨々たるものだった、と、わたしは今まで思っていた。
手首を切ったり、髪を抜いたり、鏡が見られなくなったり、人としゃべれなくなったのもこの頃からだ。
わたしは落ちこぼれで怠け者で、もう人生には取り返しがつかないのだと思っていた。
母にも、怠け者だとかだらしないだとか、成績が低すぎるとずっと言われていた。だからそうだと思っていた。

客観的な中高生時代

大人になって見てみると、そんなことなかった。
わたしはあの長時間通学を耐えながら、よく勉強して、苦手な数学以外は平均を下回ることは少なかった。
成績のいい教科もいくつかは必ずあったし、本当によく頑張っていた。
いまだって机に座ると眠ってしまうのに、本当に本当によく頑張っていたのだと思った。
ただ、小学校までや、中学に入った頃に、すこし頭が良すぎただけだった。
クラスで2番や4番をとっていた成績が、平均ぐらいまで下がったので、周りも驚いたんだろう。
小学校と中学校では、勉強の量も質も違う。特に座学で話を聞いて理解するものが増える。
それがわたしには難しかったのかもしれない。家もものすごく遠くなった。中学に入ると必要になる社会性も大きく変わってくる。
わたしはとにかくがむしゃらに頑張っていた。傍目には居眠りばかりしていた、不真面目な落ちこぼれだったかもしれないけど。

SOSを出していた

母にはとにかく叱られて怒られていた。
あなたは運動はできないのだから、勉強だけでも頑張りなさい!と言われたこともあった。
だらしがない、とか、信じられない、とか、心が弱い、とか、努力が足りない、とか、
わたしが郊外の家に引っ越して朝早く起きるのが辛いと言っても、だいたい、母の体験談で打ち返されて、
母が学生の頃は自分で弁当も作ったのにあなたは何もできない、とか、母が学生の頃はひどい満員電車にも耐えた、とか、
同じようにできないあなたは怠けていると言われた。
母と父が選んだこの家に文句があるのか!とも、よく怒鳴られていた。
そうじゃなくて、わたしは、ただ、睡眠が思うように取れなくて体が辛い、というシンプルな話をしていただけだった。
疲れていて、大丈夫?と気遣って欲しいだけだった。
SOSを何度も発していた。誰も受信してくれる人はいなかった。
わたしがボロボロになりきったころ、母は、どうしてなにも話してくれなかったの!?わたしはいつも待っていたのに!と芝居掛かった口調でいって私を抱きしめたことがあった。
それは4、5年、タイミングが遅かったんだった。わたしは払いのける気力も、文句を言う気力もなかった。
ただ、何度母に話そうとしても、近所の犬の話だとか、他人の娘の話だとかをずっと脈絡を無視して被せてきてわたしの口を塞いでいたじゃないか、と、思ったことは覚えている。
むしろ私は、母以外の大人に話すべきだったのだ。だけど、信用できるひとはいなかった。
それに、自分のお母さんが敵だなんて、その頃はやっぱりどうしても認められなかった。

わたしは汚かった

夏休みや長期の休みはひたすら眠り続けて歯を磨く気力も髪を洗う気力もなかった。
母には、汚ギャル、とか、臭い、だらしない、とかいって、笑われたり蔑まれたりしていた。
前髪を切れ、だらしない、と言われても、お金がなくて、お金が欲しいというと、自分の小遣いから出せと言われて、わたしはそんなボロボロで部屋も当然散らかっていたので、部屋が汚いから小遣いは出さない、と言われて、わたしはずっとだらしなくて汚くて小遣いをもらう資格もなく前髪が長いままだった。床には洋服や本が海のように敷き詰められていた。
時々祖父がくれるお金で髪を切った。
わたしは心も体もただ疲れ果てていて、自転車も乗れず、お金もなく、近所に友達もいたことのない子どもだったから、逃げ出す先もわからないだけだった。
布団の中ではてなダイアリー2ちゃんねるを巡回するのだけが、家族や学校以外との繋がりだった。
いま、こうやって書いて見ると、ネグレクトや虐待に近いな、と思う。

わたしはずっと頑張っていた

今回はシンプルに短く書こう、と、一瞬は思ったのだけど、やっぱりこころのデトックスのために長くなってしまった。
成績表をみると、わたしはずっとずっと頑張っていた。
ときどき力尽きたり、投げ出したりしてもまた食らいついて取り戻してみたり、授業中たくさん寝てたのに本当によく頑張っていた。
対人関係が恐ろしいのに毎日学校に行って、家に帰ればずっと母と二人きりだったのに、死なずに、中退せずに、成績も普通程度は維持して、本当に頑張っていた。
わたしはずっと頑張っていたんだね、と、思ったら涙が出た。
わたしは生粋の怠け者なのだとわたし自身が信じていたところがあったけれど、わたしはずっと頑張っていた。
ただ、郊外からの通学に疲れていたのと、とんでもない母に育てられただけだった。

if

ただでさえもみくちゃの満員電車に制服で乗り込み、さらに痴漢にももみくちゃにされながら、往復3時間近く。
ボロボロになっても誰も省みてくれなかった。
今思えば、高校2、3年の担任はよく気遣ってくれていたような気がする。だけど、もう遅くて誰も信用できなくなっていた。
あの頃だれか、大人が気づいてくれたら。
あの頃、母がわたしをいたわってくれたら。
そう思えばキリがない。

過去が塗り替えられた

それでも、今回成績表を見ることができてよかった。
わたしは昔から頑張っていたし、頑張れる人間だ、と、大人になって思うことができた。
過去の自分のストーリーを、客観的な事実ですこし塗り替えることができた。
わたしは、だめな人間じゃなかった。
失敗しても疲れてもつまづいても、真面目に頑張って良くなってゆける人間だった。
だからよかった。
これからも過去と同じように、つまづいてもまた頑張ってゆけばいいのだから。

わたしのことを優先する

わたしは、わたしのことを優先することにした。
それから、生活のストレスが減った気がする。
要は、最優先事項を選定する基準を決めたということだ。

帰宅したらタスクはたくさん

「あなた、お風呂にする?ご飯にする?それとも、わ、た、し?」ってフレーズが昔あったけど、帰宅したらその瞬間からこなすべきタスクが存在するから大変だ。
自分の帰宅後のタスクは、2つに分けられる。自分のためのタスクと、家族全体のためのタスクだ。
自分のためのタスクは、化粧を落とす、ブラジャーを外して部屋着に着替える、風呂に入る、髪を乾かす、体のメンテをする、ご飯を食べる、寝る。
余裕があれば本を読んだりネットをしたり、求人を探したりする。
家族全体のためのタスクは、買い物の荷ほどきをする、食事を作る、洗濯をする、食卓の皿などを片付け洗い物をする、麦茶をつくる、などだ。

わたしは、わたしのために行動することが難しい。
「わたしがこんなことしていいのか?」
「わたしがしているこれは正しいやり方なのか?」
「わたしは何か他にやるべきことがあるんじゃないか?」
「それなのにわたしはわたしのことをしていていいのか?」
わたしの体や心のメンテナンスにかかることを、すぐネグレクトしようとする。自罰的なのだと思う。
それで、判断力が落ちて行動がゆっくりになって、色んなことがずっと気にかかったまま、1日が終わる。

同居して家族全体の共同生活のタスクが生じてから、自信は回復してきた。
他人のために、なにかをすると、わたしは動けるし、動けないわけではないということ自体が成功体験になって、いろいろと仕事をすることができる。
だけど、ついつい自分のことは後回しになる。特に風呂と就活!
それで、勝手に不満に思って文句を言いたい気持ちになってしまう。
Yもっと家のことやってくれたらいいのに、とか、わたしばっかり我慢してる!とか。

だけど、それはそもそも、わたしが風呂や就活という「自分」を「家庭」タスクの料理や片付けの後回しにしていることに問題がある。
「わたしは自分より家庭のことを優先にしてるのに(あなたはしないでのびのびして!)」というメソッドが生じる。
それに気がついたので、まず自分を優先してみることにした。
いまはなるべくまず最初に風呂に入る。
ヘビーなタスクはとっとと終わらせて、それから料理にかかる。多少夕飯が遅れようと、誰も死なない。
そういうとき、「自分のこと優先!」と心の中で呟いてる。
自分のケアがきちんとできると、不満も生じないし、家庭のタスクの速さもクオリティも上がる。

自分という資源を確保することが大事なんだ。
それから、家で手をつけづらいことは外でやることにした。
求職活動やgmailの整理は、他人から見えて恥ずかしいけど、どうせ家でやらないからなるべく学校でやるようにした。
それも自分優先!他人がどう思うかは関係ない。
自分がすっきりしてると余裕ができて、人ともコミュニケーション取れるし求職活動も進む。

なんかすごくいい感じになってきた。いい流れだなあ。