日々のメモ

仕事と挙式の準備に忙殺されこのブログの存在を忘れて8ヶ月経った。挙式してちょうど半年近くなる。
職場の人間関係は良くも悪くもコロコロと日ごと変わり、緊張感があってありがたい。変化がないものに自分は耐えられない苦痛を感じる。
まだまだ日々それぞれにしんどさはあるが、これでもし状況が膠着するときがあればその時は場を去ることをするだろう。
さいきんは古書店でなんとなく手に取った短歌の雑誌を読んでいる。自分でもいくつか作ってみた。
短歌にはあまり触れたことがないから、巧拙も気にならず楽しく作ることができている。何より、短歌であれば、初めから終わりまでなにを自分が意図したのか忘れる前に作り上げられる。短いからだ。フリック入力の速度にも合う。
今日も何か書きたいことがあったが、書き始めてそれをつかまえるまえに忘れてしまった。仕方ない。

結婚した

2018.2.11

婚姻届を提出した。
この言い回し、なんなのかと思ったが、土日祝に提出した婚姻届が受理されるのは実際には連休明けであり、その日には証明書も何にも出ない。
だから、提出した、としか言えない。入籍はたぶん出来てる…?って感じだし。
なんにも書類の手続きができないので、まだ実感も何もない。
福々しい、いい名字になった。ちょっとだけ珍しい名字なので、特定されるのが怖い。
新しい名前はなんとなくふっくらと笑顔の女の感じだ。
同居人のお父さんはちょっと涙が滲んでた。
お前たちは、自分たちの生活を二人で頑張って築き上げて、本当に偉かったね。と。
本当にそうだ。
誰も認める人はいない、とわたしは思ってきたけど、私たち二人は、私たち二人の生活をよく頑張った。
お金の管理、洗濯の干し方、皿の洗い方ひとつ取っても大変な道のりだった。その上、生活費も稼いでいる。
喧嘩をしては譲り合い、謝りあい、良くしていくために努力してきた。
本当によく頑張って1年と少し暮らした。そして、それはとても楽しかった。
この人とずっとこうして暮らしていきたい、と思った。
本当によかった。わたしは変な女だけど、夫の親御さんは芯から私を好きでくれているように感じていて、それが私を素直にさせている。
私は素直で騙されやすいから、いつも疑り深く、卑屈になってる。
こんなに、こんなに嬉しいことがあるなんて。
死にたい人に、生きてたらいいことあるよ、なんて、言えない。
夫がいなかったら、一生絶望したまま死んだかもしれないから。
そして、この嬉しいことも、努力と運で維持されるものにしか過ぎないから。
だけど。わたしは、わたし一人は、死ななくてよかった。
死ななくてよかった。生きててよかった。なんども手首を切った。吉祥寺のユザワヤで切り売りのロープを買った。薬をたくさん飲んだ。ひきこもって髪も洗えなかったり軟禁されたりしていた。だけど、死ななくてよかった。
辛くてどうにもならないことが多くて、本当に辛かったし、諦めなかったわけでもなく、もうずっと諦めてたけど、死ななくて良かった。
良かったよ。生きてて良かった。

親は後から効いてくる

祖母の一周忌

今日は祖母の一周忌だった。
親と、あまり会わない父方の親族とあって食事をした。
また帰ってからすこしずつ辛くなってきた。

認められたい

母は会話の途中、ぽつりと「大学にも入れて、勉強して、これからどうなっていくか、どんな仕事をしていくかねえ、と思って育ててきたのに、(仏壇屋なんかに就職して)…」と言っていた。
父は、「なんでメール返してくれないんだよ〜」と言っていた。
娘が、必死こいて、仕事を探して、生き抜こうとしていて、少ないお金で生活をやりくりしているときに、金持ちのインスタ代わりにされるのは辛い。
すしざんまいの初競りのマグロ、毎週の築地、銀座、上野、鎌倉、湘南、骨董市、楽しそうで何よりだけれど、私の身体や生活や心のことを心配されたことは無い。
同居人の親御さんが、結婚に際してお金を出してくれるそうだよ、うちってそういう話がないんだね。と話したら、え、俺も出さなきゃいけないの?じゃあ、50万くらい出すよ〜、いつまでにいるの?別にいつでも出せるよ?と、言われて、なんだか嫌になってしまった。

わたしは、お金が欲しいとかじゃなくて、親に心からお祝いされたいなあ。
親に、あなたが生まれて来てくれてよかった、と言われたいなあ。
親に、一時は社会に復帰できないとまで言われたあなたが、努力を重ねて、仕事をして、自分に合う仕事を探して、いいパートナーも幸運にみつかって、本当にがんばったね、偉かったね、良かったね、と言われたい。
今更そう言われても、本当に心からそう言ってると思えなくて気持ち悪いんだろうな。

一人でいる感じ

一人で、一人だと、外に出るのもうまくできなくて、冷凍ドリアと冷凍枝豆を温めて食べた。
そういえばわたしはこういうひとだった。
他にも辛くなっている原因はある。
単に昨日夜遅くまで飲んでいたこと。
その前からの疲れも溜まってる。
今日は同居人もいない。明日も、明後日もいない。
ひさびさに一人だ。
自分の作る食事が一番美味しいけどその気力がない。台所もカオスだ。でも洗い物と、流しネットのゴミ捨てはして、偉かった。

明日は早出なので今日はあったことだけを書くようにした。
お母さん、お母さんに本当は言いたいなあ。
わたしはとてもがんばったんだよ。
ずっとがんばってたんだよ。
ずっと頑張って、やっていて楽しい仕事につけて、楽しいよ。
いいパートナーができて毎日たのしくて幸せだよ。
わたしが幸せなことを喜んでほしい。
わたしが楽しく生きてることを喜んでほしい。
お母さんが望むような人生をできなくてごめん。
お母さんの愛情が付与される条件を、本当はずっと満たして、お母さんに大事にされ続けたかったよ。

ああ、甘やかされたい。大事にされて何でも先回りしてやってもらいたい。
お皿洗いも洗濯も明日の朝ごはんの用意も考えず、沸かしてもらったお風呂に入って寝ていたい。
でもよく考えたらほとんどもう手に入ってるな。
なーんだ、楽しいな。

母メール

新しい仕事

1月9日から新しい仕事を始めた。
新しい仕事は面白い。楽しい。立って笑顔をしているのは楽しい。
つくり笑顔をして声を出して動いてると、脳みそから何らかの物質がドバドバ出てきて楽しくなってしまう。
難しい人はいるが、デスクワークではないので、ダメな時もタイミングを待ってその場から逃げ出せる。
高校生の時、ブックオフでアルバイトをして良かった。
あのとき、若さに叩き込んだニセモノの接客仕草が、わたしを助けてくれる。
ニセモノの笑顔をしている間は、人生のことは考えなくていい。休憩時間みたいなものだ。
お金が介在しないでは、なかなかこうなれない。

祖父と婚約者を会わせる

母からまた盛り上がったメールが来ている。
年明けには祖父と婚約者を会わせる、という話があって、母は祖父に認められたくて飢えているから、ポイントが稼げる行事にテンションが上がっている。
わたしだって、ちゃんと祖父と婚約者を引き合わせたい。
むしろ一刻も早く話してあげたい。
だけど、祖父が興奮しないように、年明けにしてほしいと母たちから頼まれていたから、待っていた。

その上で、母がまたわたし中心ではなく、母の思い描く通りに物事を動かそうとしてきたと、わたしは感じて、無力感に襲われてしまった。

わたしは道具

わたしは、ライフイベントの度に「わたしは母が世の中に見せびらかすための道具だ」と感じてきた節がある。
わたしのことなのに、わたしがいつも置き去りになっている感じがする。
わたしは、寂しい。
わたしは、愛されてると感じたかった。
わたしは、わたしが怒ったり悲しんだり疲れたり困ってることを、受け止めて向き合ってほしいと思ってきた。
わたしが怒ると、悲しむと、母は背中を向けるか、答えられなくなるほど大きな声で怒鳴るか、あなたに責任がある!というもの言いをする。
わたしはスゴスゴと部屋にこもって、翌朝には何事もなかったことにされる。

自分の本当のこと、本当の気持ちを言おうとすると涙が出てきてしまう。
わたしの気持ちなんて口に出すべきじゃない、と感覚的に思う。
怒っているとか、困っているとか、助けてほしいとか、言っても跳ね返ってきて、ムダなのだから。
(母によれば)そういう状況に陥ること自体が「事前に対策を講じなかった能力の足りないあなたの責任」なのであり、「全部自分で対処できるようにならないと『ダメ』」なのだから。

祖父や周囲に認められそうな、喜ばれそうなライフイベントはいつも、わたしはお道具みたいになってなんにも思い通りにならない。
わたしを祝おう、わたしを励まそう、認めよう、喜ばせよう、そう本当に思われていると思えたことがない。
父母が、どう自分を世の中にみせたいかの演出の道具のようになってきたし、その通りにならないと怒鳴られたり失望されたりお金をもらえなかったりした。
愛情はいつも条件付きだ。それに舞台がないときは道具部屋で放り投げられてる。

虐待された犬と同じで、手が振りかざされる動作をみる度に過去に戻り、叩かれることをイメージして怯えてしまう。そのあと撫でられるとしても。
新しい飼い主に、何度も何度も撫でられて怯えず撫でられることを覚えようとしてる矢先に、昔の飼い主がまたひょこっと顔を出すような感じ。

だからたとえ、そんなことをひとつも母が言っていなくても、
わたしに十分確認をしないで物事を進めようとされるだけで、拒否反応がでて頭が真っ白になる。
もうわたしの人生に触らないでほしい、そう思って混乱してしまう。
そういう自分が母そのもののようにみえて、さらに訳が分からなくなる。

時間を一時停止したい

ずっと動悸がおさまらなくて、婚約者にも当たり散らした。
わたしはいま、わたしの思い通りにならなくて怒っている。
結婚までにやらなければならないタスクは山積みだ。
部屋には服がごちゃごちゃと片付けられず溜まっている。
優先順位をつけて片付けないとならないが、片付けられない。
シフトがいいようにならなくて、病院もうまく通えない。
仕事している間は、考えなくていいのに、休みになった途端一気に押し寄せて混乱した。
疲れた。時間を一時停止したい。そういえば昔もよくそう思っていた。
一旦すべての出来事に止まってほしい。
つかれた。

年末年始からの近況

新しい仕事

新しい仕事が週明けから始まる。
ブランクが1年ちかくあるので、自分がうまく社会へ戻ってゆけるのだろうか、という不安感が強い。
慣れない場所で、慣れない仕事をする。失敗を必ずするだろう。それは織り込み済みだ。また落ち込むのが怖い。

ストラテラ40mg・約1ヶ月

2017年11月22日からストラテラを飲み始めた。
2017年12月6日から、10mgから40mgに増量。
夜に飲むとテンションが上がりすぎて眠れなくなる、
早朝に目が覚めてしまう、
頭がギンギンになって動ける以上に動いてしまう、
などの作用もありつつ、基本的には、以前より動けるようになって、ダウンすることが少なくなったように思う。
ここ1〜2週間ほどは、上に書いたようなこともなく、適度に動けつつ、ときどきはダウンしつつ、頭がはっきりしている。
生理のせいか、リズムの乱れのせいか、朝の目覚めはすこし悪くなった。
それでも、冬にしてはよく動けている。そう思う。

友達との飲み会で、みんなの話を黙ってきいて、間合いを図っていたら、
今日は普段よりしゃべらないね、と驚かれた。
それから、酒に酔うことがなくなった(そういう人もいるという)。
たぶん、酔わないなーと調子に乗って飲むと、酔って失敗すると思うから、それに一番気をつけないとならない。

飲む時間は、眠る前の0時くらいに落ち着いた。
眠る直前に、眠剤と一緒に飲む。
こういう記録はつけておかないと、あとから振り返りづらいので、記録しておく。

初めての帰省

今年の年末年始は初めての帰省もあった。
初めての場所、慣れない布団、慣れない人、慣れない台所、慣れない飛行機、とても疲れた。
だけれど、得るものがたくさんあった。
同居人の親族には、会うたびに得るものがある。
皆、まっすぐに自分の人生を生きて、それを全うしているからこそ他人の人生にも寛容なひとたちで、人生に指針をくれる。本当に尊敬できる。
兄嫁よりも動作のノロい自分に落ち込んで、いろいろやろうと思うのですが、体が思うようにならないタチですみません、と卑屈にこぼすと、あなたはそうして素直なところがいいところなのだから、何も気にしなくていいし、できるだけのことをしてくれればいいし、そのままでいい、ここにきたら何も考えなくっていいのよ、と大叔母にあたる方が言ってくれた。
同居人の父上も、あなたはあなたのままでいたらいい、失敗もするだろうし、落ち込みもするだろうけど何も変わらなくていい、一生懸命やればいいし、困ったら助けて!と大きな声で言えばいい、と言ってくれた。
わたしは本当にこの人たち家族が大好きだ。
自分の親を親と思えないから、こうした人たちと結婚によって家族になれることが本当に幸運だと思う。
そう思うにつけ、だけど本当の親から真摯に向き合ってもらえたという実感は、今後一生得られないまま死んで行くのかとも思う。
たぶんその通りになるだろう。それが私の変えようがないかけがえのない人生なのだと思う。

母への視線

大晦日の台所で、大叔母に親のことを語るなかで、突然気がついたことがあった。
洗い物をしながら話しているときに、突然ブレイクスルーがあった。

母は、たぶん相当な苦労をした人なのだろう。
物心ついた頃から、彼女は人生とは不如意で理不尽で、我慢と忍耐と努力でやっていくものだと思ったのだと思う。
そして、今だにその苦労の果実を得られていないと感じているのかもしれない。
だからわたしにも、人生とは不如意で理不尽だけれど、我慢と忍耐と努力をしなければならない、と教えてきたのだろう。
努力しても努力しても、まだまだ、と言われ続けたのは、彼女自身がそうだったのだろう。
ふと、そう思った。
自分と同じメソッドで、娘が成功すれば、自分自身の成功として、彼女は自分を認められると考えたのだろう。
いつまでも承認に飢え、自己を拡大してゆこうとする、かわいそうな人だ。
かといって、許す気は全然ないし、彼女自身の人生を認める懐の大きさは少なくとも今はない。

それでも、想像はできる。
帰国子女として、物珍しがられ、1年生を2回やり、言葉に不自由して、文化にも衝撃を受けて、女性の社会進出とか国際化とかそういうものを担わされて、我慢と、苦労と、忍耐と、努力をして人生をやってきたのだと思う。
社会や世間、それから自分の母親(わたしの祖母)に自分の生き方は間違っていないのだ、わたしは成功しているのだ、と示すために、結婚と出産をやった可能性がある。
なんだかんだ、父の言うこともいつもきいている。
最近、90年代の女性の社会進出に関する数字などをみて驚いた。自分たちが生まれていた時代でも、こんなものだったのだ、と。
そう思うと、母は仕事上も相当な苦労をしただろう。
彼女が生きたかった未来を易々と掴めるわたしが、それを掴む努力をせずに生きているように見えていたのだろう。
他人が自分と同じ苦労をしないで済むことにも、苛立っていたのかもしれない。
よく似た性格だから、そう想像する。
だけど、やっぱりそれは親の態度ではないし、許せない。自分の子供にも同じことをしてしまったらどうしよう、と思う。

とにかく、そういう考えが初めて、自分の中に生じた。

バッチ処理より逐次処理

それから、大叔母のいる本家のモノのない風景は、やはり衝撃的だった。
食事をしたらすぐに片付けて洗い物をする。
行動のひとつひとつにすぐ逐次的に処理をする。
不要なものはどこにもない。
普段から使わないものは、きっちりとしまって管理されている。
飾りものもあるけれど、簡素で、空間を居心地よくするためにある。

同居人との同棲の時に、わたしはモノを相当捨てた。
だけれど、まだまだ足りないな、と感じた。
モノを捨てるには、持たないには、どうしたらいいのだろう?と感じて、いまそういう本を読んで、モノを捨てている。
いらないものが本当に山ほどあって、家の中がゴミ袋だらけになった。
ミニマリストになるのはなんかダサいな、と思っていたけど、これは結構ハマりこんでしまうかもしれない。

徐々に霧が晴れる

ストラテラと寝起き

ストラテラを飲みだしてから、かなり調子がいい。
睡眠時間が少なくても、この真冬の寒さの中でも、朝スッキリと起きられている(ストレスがないからかもしれないが)。
だけど、睡眠不足時の身体の活動限界が延びるわけではないので、動ける!と思って動くと途中で電池が切れるときはよくある。
6時間以上は寝ないとやはり厳しい。

薬を飲むタイミング

薬を飲むタイミングが難しい。
わたしの理解では、ストラテラは、脳みそのドーパミン系をちょちょっと調整して働きを理想の状態に近づけるもので、
脳みそに作用する成分が一定濃度ある間はパフォーマンスを維持できる。
だいたい24時間周期で薬を飲むことで、血中の濃度を維持できる。
と、いうことのようだ。

薬の特徴としては、胃に負担の大きい薬だと思っている。
副作用が吐き気などであるのとは別に、単純に空腹時飲むと胃に刺激が多い印象がある。
なので、ほぼ確実に胃に食べ物を入れている夜、22時〜24時頃に飲むことにしている。
厄介なのは、夕食後にすぐ飲むと、寝るまでの時間に覚醒してくる感じがあって、
こうしてなにか書いたりツイートしたりにテンションが上がって夜更かししがちだ。

できれば朝に飲む周期に変えて行きたい。ときどきは、飲酒もするし。
課題は、朝食を取れるか。
新しい仕事のためにもいいリズムを作りたいところだ。

人間への興味

近況としては、人間への興味がゼロになってきた。
というか、誰かと話したいとか、やりとりをしたいとか、注目を浴びたいとか、かまってほしいとか
そういう対人コミュニケーションへの欲求が一切なくなっている。
アルジャーノンに花束を、じゃないが(読んだことないが)、ストレスが除かれて、薬で徐々に頭がはっきりして、
自分の振る舞いのマズさ、またこれまで人間関係を築いてきた同類たちの不器用さが目につくようになってきた。
LINE上やツイッター上でも、「黙って微笑む」というような所作をしていたい気持ちだ。
いまは他人に興味のない奴としか飲みたくない、会いたくない。
飲みに行く時だけ、必要があればラインするような友人たちのことだ。
わたしの対人的な欲求は、すべて同居人に吸収されている。
鬱とかいうのともすこしちがって、なんとなく誰とも関わりたくない。誰とも継続的な人間関係をこれ以上動かしたくない。
本当にもう同居人と、森の奥にこもって必要な時だけ里に降りて黙ってニコニコとしていたい、できればそれもしたくない。
そんな感じがする。
同居人には、外に出なよ、人と話しなよ、インプットなければアウトプットなし!!!などと言ってるのに自分を棚に上げている。
なーんもかんもめんどくさい。いや、めんどくさいことばっか続いてるせいかも。とにかく、今日はもう寝る。

結婚と、女として生きること

女らしさ

同居人と、付き合い始めてからもうじき2年になる。まだ2年経っていないことが不思議だ。
ということは、付き合い始めてから飼ったベタも、もうすぐ2年一緒に暮らしていることになる。
ベタの寿命は2年と言われる。近頃は冷えるからか、水槽のなかでよくボンヤリしている。
今朝みたら、長いヒレの裾が青白く怪我をしたようになっていた。
水温維持のためのヒーターで火傷することもあるらしいから、それかもしれない。
それでも平然とした顔をしている。魚はヒレに痛覚がないのだろうか。
とはいえ、わたしの方も体の末端まで痛覚があるのか怪しい。

転職活動のたびに履いたパンプスは薬指が当たる。それで薬指の爪が取れてしまった。
一度や二度ではなく三度も四度も気がつくと薬指の爪が取れる。
新しい爪が生えていてとくに痛くはない。歯が生え変わる感じだ。
繰り返すうちに次第に汚く生えるようになっていまは爪が乾いた米粒のようになってしまった。
母もこんな足の爪をしていた。

女はなぜこんな思いをしてまでパンプスを履かなければいけないのだろう。
そしてどうして、パンプスという靴は、履いてみると女らしくきれいにみえるのだろう。

レッテルへの抵抗

小学1年生くらいのときに、「女の子は虫取り少年になれない・男の子っていいな」という詩を書いた。
わたしは男の子になりたいわけではなかったし、女の子のことが好きなわけでもなかった。
どちらかというと、女の子として扱われることに居心地の悪さがあった。
なんなら、子どものころから「子ども」として扱われることも嫌いだった。
キャラクターものや、アニメや漫画は「子どもっぽい」「子どもだまし」だと思っている節があったし、その感じはいまもある。ずっと、キャラクターもののグッズをあてがわれるのがあまり好きでなかった。特にハローキティ
レッテルを貼られて、軽んじられることや、レッテルで、自分ができない振る舞いがあることに抵抗があった。
だからつまりわたしは生まれ持ってのパンクスなのだ。

「女の子なら・・・」

未だに自分が「女の子」「女性」として扱われる場面に、本当に吐き気を催す時がある。
男性から、(とてもゆるやかだとしても)性の対象として/相互理解できない別の生き物として取り扱われるときが一番気が楽だ。相互に理解できない別の性別のものとして、探りながらやっていこうという感じがある。
女性が苦手だ。もちろん、人による。同性だというだけで自分と考えが同じ、同じ文化に生きているだろうと考えるひとはとても多くて苦手だ。
女性はだいたい人生のセオリーが決まっているからだろう。恋愛をして、結婚し、出産し、母になって子育てをして、孫が生まれる。そうではない人生はたくさんあるのに。

世の中の「結婚」のイメージ

今度結婚するので、世間の結婚へのイメージサンプルを得るために、ゼク◯ィを隅から隅まで読んで本当に吐き気がした。
ぜったいキツいだろう、と思って床に3ヶ月くらい放置していたら同居人が足をぶつける事故がおきたので、処分のために読んで参考になる部分だけ切り取った。コミケカタログより重い。体重計に乗せたら2.5キロあった。
ホンネと常識、幸せな花嫁、心がときめくブライダル、家族に感謝、ゲストがよろこぶおもてなし、はずむ笑顔、、、わたしはいやだ。
わたしは、常識も、幸せも、ときめきも、感謝も、よろこびも、笑顔も、強要されたくない。
だけれど、これが世の中の結婚式を仕切っているのだ、と、思うと、世の中の求めに応じた振る舞いも必要なんだろうか、自分たちの簡素な結婚は、貧乏で粗末と思われるのではないだろうか、そういう不安が頭をかすめた。
わたしたちは、これから人生をやっていきます!というケジメと周囲への告知が必要なのであって、「幸せそう」だとか「感謝」だとかは、我々ができる範囲で、誠実にやっていけばいいだけなのに。

わたしは「世の中」に接して惑わされたり混乱しやすい。
そして、言葉を字面通りに受け止めやすい。
◯クシィのキャッチコピーを書いている人間だって、「ケッ、くそったれが、虚無が」と思いながら毎号仕事をしているかもしれない。「みんな!この情報を活かしつつ人生を頑張るんだ!」かもしれない。

いまだに婚約報告にイラつく

結婚もいよいよ日取りが近づいてきた。年が明けたら割とすぐ苗字が変わる。
今日も知らない女性の「プロポーズされました♡感動♡」というツイートをみて、反射的に、ケッ!と思った。
ピンク色の花束と、金色のマリッジリングの写真が添えられていたのがわたしのカンに触ったのだと思う。
ピンク色、花、ダイヤのついた金色のリング、疑いなくそれを写真に配置してSNSに貼付できる自信、その全てが、わたしのひねくれて醜くみえる気持ちを呼び起こす。
受け入れがたく、だけれど、受け入れがたいがゆえに憧れるものであり、世の中的にはこれが「幸せ」ならそれをやるべきなのか、わたしも「世の中」に一矢報いたい、といったそれだ。

わたしは、人生の伴侶を得て十分に幸せだ。
本当にこのひとの家族になれて嬉しいと思う。この人の家族の家族になれることも嬉しい。
わたしは十分幸せなのに、どうしてこんな風な気持ちにならなければいけないのだろう?
幸せであることを、世の中に承認されたくなるように、育ってしまったこと自体に腹が立つ。

結婚という「ゴール」は「出産」のリミットから逆算される

良い大学に入って海外留学もして就職難を乗り越えて良い会社に入りキャリアを積んだ友人たちが、「婚活」という化け物じみたものに追われている。
夢中になれる趣味もいくつもあって、オシャレで可愛くて、収入もたくさんあって実家も都内で、そういう子たちだ。

女にはリミットがある。
「子どもを産むか、産まないか」という選択肢は、年齢を重ねれば消える。
つまりその前に、その選択肢を持てる社会的状況を作る必要がある。
わたしも彼女たちも、社会の求めに応じて努力を重ねてきた。受験、大学受験、就職、キャリア。私は努力が実らなかった。彼女たちは、実らせた(ようにみえる)。

結婚は、不確定で、要件も不明なのに、それをしただけでそこまでの全てをチャラにするような「女のゴール」だ。
キャリアを積んでも、その「ゴール」は、世の中で頑然としている。

そのあとにも、子供は作るのか、そのための貯蓄はどうするか、家を買うならその貯蓄も要るし、出産後働くか、働かないか、正社員として復帰できるのか、他の道を探るのか、つまり積み上げたキャリアはどうなるのか、保育園には入れられるのか、兄弟はつくるのか、どこの学校に入れるか、習い事はさせるか、そもそも夫とうまくやれるのか、弁当を鮮やかにするのか食材にこだわるのか、というのが続く。

「結婚」はゴールのようでいて、その後のトライアスロンの入り口だ。
子供の自立が言うなれば「ゴール」かもしれない。そもそも子供が自立しない・できない可能性だってある。
そんな不確定で先の見えない「ゴール」に向けて、「結婚」をするための婚活をする。
「結婚」はしたら終わりじゃない。というか、してからがすべてだ。本当にいまそう思っている。
だから、本当にそれをやっていける相手とできれば最高だ。そうはできない場合もあるかもしれない。
そもそもそこまで漕ぎ着けられる相手を、ある一定の年齢までに「得なければならない」。

「マウンティング」と思うこと自体認知の歪み

ゴールできたものだけが、高らかに勝利宣言をして、ゴールできただけで「幸せな花嫁」「心がときめくブライダル」になる。なんなんだ、それは。
本当になんなんだ、それは。なんなんだ。
蹴飛ばして、ドブに落としてやりたい。
それはわたしがそれらをすべてマウント行為ととらえているからだ。
だから叩きなおすのはわたしや、友人たちの根底にある「世の中」で「勝ちたい」という気持ちなのだ。

婚姻制度は都合がいい

わたしは、同居人と交際して、この楽しいひとならば毎日会いたいから同棲をした。
同棲をして、この楽しいひとならば一生一緒に人生をやっていきたいと思うようになった。
相手も相手の家族にもそう思ってもらえたようで、わたしはドラフト1位指名で婚約者となった。
婚姻制度は、わたしたちには便利だ。都合がいい。
しただけで、「世の中」に対して、なんだか身元が保証されてすべてオッケーな感じになる。
税金やなんやかやの都合もいい。
ふたりで食べると食事も倍おいしい。

ちょっとずつ死ぬとしても女として生きる

わたしは「ゴール」したはずなのに、このモヤモヤはなんなんだ。
わたしは女だ。
薬指の爪が壊死してもパンプスに足をねじこまねばならない。
ねじこまねばならない、と思うし、パンプスを履いた足をとても美しいと思う。
熱帯の魚が、火傷をするとしても、水槽ではヒーターを頼りにして生きるように、
わたしは、苦しむとしても、社会でのなかでは女というジェンダーアイデンティティに生きなければならない。
そうしてだんだん、薬指の爪のように何度も傷ついたことにすら無感覚に壊死して、それでもパンプスに足をねじこみ続ける。