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2016/8/6 Sat. 七夕祭り

阿佐ヶ谷は七夕まつりだった。
人混みを歩きながら、手前のコンビニで買った缶ビールを飲んだ。手の中でビールはどんどんぬるくなっていって、飲んだ側からすぐ汗になって噴き出してくるような湿度と気温の高い夏の夜だった。特にこの祭りではなにが催される訳でも無いのになんだか人が集まってきてみんな浮ついている。こういう空気は好きだ。七夕まつりが近くなるだけで街が浮かれた雰囲気になるのが楽しい。夜の商店街では文化祭準備日みたいにみんなハリボテを準備して、このときだけは子供たちも特別に夜更かしを許されて手伝ったり道を転げ回ったりしている。区役所と駅前、中杉通りに黄色い提灯がついて、商店街や駅にはキラキラするテープのついたボンボンが吊り下げられて、仕事終わりにぼんやりと歩いていると、ザァッという音が上からしてまたスコールかと見上げるとキラキラした飾りが風に吹かれている音だ。
パール商店街の終わりのあたり、リサイクルショップ「ちゃちゃ」は今年も七夕セールですべての服が216円だ。ついまたおばさんが着ているような服を3着買ってしまう。学生時代からいつもここの古着を買ってしまうけれど、帰って着てみてロクなものだった試しがない。自分は学習能力がないというか、そういう自分から変わりたいと思ってきたのにまた時々そういうことをしてしまう。くだらない、ひしゃげた、おかしなものを安価に手に入れて心を慰めては、本当に手に入れなければならないものを手にいれることができない。案の定部屋に帰って着てみるとサイズ感とか、質感とかがどれも絶妙に微妙だったし古着の匂いに辟易した。自分は見るだけで満足できずすべて手に入れなければ気が済まない、このままでは一生気が済まないままだ。気持ちが元気な時でも、ずっと不安で飢えている感じがしている。
歩き疲れて近所の銭湯に行くことにした。
湯船で、冷たい水まくらに頭を預けて寝そべって、錦織圭がブラジルで戦っているのを見ていると眠たくなってきたので、ネガティヴな独り言をさせる雑念を排除できるか、身体から力を抜いて、なるべく自意識や、毎日のことを追い払い、身体感覚に注意を向けて、身体が感じているすべての感触に意識を割り振ってみた、頭の下の冷やされたパイプやなまぬるいお湯に集中しても雑念は消えなかった、仕方が無いので錦織圭のプレイするブラジルのテニスコートの人工芝の一房になったことを想像してみる、自分が脳みそをもたない緑色のプラスチックでいることに意識を集中する、蛍光グリーンの日傘の下で休憩する錦織圭の足元から私には眩しい青空しか見えなかった。気持ちは静けく落ち着いたけれどこうして魂を別のところへ飛ばさないと心の平静がやってこないというのは、健康でない感じだ。自分の身体感覚に埋没しきることができないということは現実を感じられていないということじゃないか。自分は現実をインターネットに放たれた言葉や写真からしか感じられない。誰かの視線の中に身を置いてやっとそれが自分の身に起こったことだと思える。自分ではない場所と時間へ魂を飛ばした方がよっぽど現実らしくそれを感じられる。ブラジルの人工芝になって眺めたコントラストの強い青空とか、存在しないものに現実らしさを感じてしまう。フィルターを濾過しないと現実らしいという感覚を得られない。ちょっと前には現実の身体感覚を取り戻して楽しく遊んでいたと記憶しているけれど暴動もお酒も汗まみれのひとたちもすべて私から遠く離れてしまった。まあみんな高円寺あたりに住んでるはずなんだけど。
男子更衣室から声変わりしたばかりみたいな男の子たちの声が聞こえていた。なんだか耳をそばだててしまう。あとでロビーでみかけたのは真っ黒に日焼けした肌のツルツルした男の子たちでみんな運動部の持ってるエナメルの大きい鞄を持ってた。というかわたしはロビーで少しそれがみたくて待っていた。気持ち悪いやつだ。
明日は午前中は自由な時間があるから、シン・ゴジラをみようか迷っている。今夜のうちに良い席をとっておいて早起きするのもいいな。