2016.9.9 Fri.俺の後ろに立つな

ここ数日少し調子が良かったが、今日はかなり調子が悪かった。

仕事や他人への呪詛を吐くのはもうまっぴらだ、と思いながら携帯電話から目が離せない時は、だいたい調子が悪い時だ。

わたしは目の前にいるひとの鏡だ。そう思っているということはつまり、わたしは目の前のひとを鏡としてみているということなのだけど。

職場のひとたちには、「このひとのようになりたい」と思えるような人があまりいない。かろうじて、きちんと話せる人が数人いて、そのひとたちのことはもちろん好きだけれど。どちらかといえば、「絶対にこの人のようにはなりたくない」「この人のこの部分は軽蔑しかできない」と思う人が殆どだ。独身で、(相対的に)若い男の職員にセクハラじみたことをする推定50代女性、35才女性、「合理的配慮」に近い内容でありつつ汎用性があるものを提案してみても「うーん…でもみんなで足並みをそろえて…」と微笑んで誤魔化す排他的協調性至上主義の上長。話しかけても無視してくる上長。くそどもが。でもわたしも少し慣れてこのひとたちに近づいてきている、いやだいやだ、あんな風になるならゾンビにでもなった方がマシ!

また、職場の四方八方から声や物音が反響してくる環境は、わたしにとって非常にハードだ。本屋のときはそんなことなかったのだけれど、それは「後ろから音が聞こえて来る」というシチュエーションがなかったからじゃないか。私は自分の背後から声や音が聞こえてくるのがとても苦手だ。小学校高学年くらいのころだろうか、なぜか名前もロクにしらない先輩たちから後ろからからかわれたのが原因かと思っていたけれど、どちらかといえば生来の性質なのかもしれない。百貨店の店員は決して売り場とお客様にお尻を向けない。売り場を立ち去る時も一礼してから去るという決まりがある。だからきっと、こういう思いはしなかったのだと思う。そんなに音が反響することもなかったし。いまの職場はうるさい。本当に辛い。お陰でこれまで平気だった人混みもだめになってしまった気がする。俺の後ろに立つな。本当にいつもそんな気持ちだ。

むかつく、むかつく、むかつく、そういう気持ちで肩が上がっていくのを何度も力を抜く。肩に力が上がっている時は怒っている時、それなら肩の力を抜ければ怒りは少し身体の方から緩和されるはずだ。だけど家に帰ってどうしようもなくなって、また15分ほどランニングをした。

ポンプフューリーを買って本当に良かった。わたしのような人間でも足がばねになったように走れる。家の裏を少し行くと新しい高級マンションが建っていて、まだ工事中のところもあるがその周りはきれいに道が整備されている。住民もまだほとんどいないらしく、整備された公園と歩道の明かりだけが煌々と点いて、建物の窓は全部真っ暗に見えた。ありがたくその周りをぐるぐる走った。このマンションの景色は、自分が子供のころ住んでいた世田谷のマンションにとても似ていた。

ランニング前にパラリンピックの幅跳びの選手がテレビに出ているのをみた。「自分としては『障害者スポーツ』をしているつもりはなく、自分独自の跳躍をみせたい」といっていて、ナレーションは「義足とは思えないバランス!」と言っていたけど、みていたら、あれは人間の足では出せない弾んだ走りと跳躍だった。それをみてテンションが上がって走りに行くことができた。あの弾んだ走りは、浅見北斗のステージでの跳躍をスローにして撮影したものに似ていた。

走る時のBGMはいつも「エメラルド」かHave a Nice Day!かスイセイノボアズだ。

結局今夜は殆ど立ち止まらずに、歩かずに走り続けた。全員殺してやる。いつもそう思ってる。その気持ちを真っ白に真っ白にした。

ランニング終わりに風呂に入って汗で冷えた身体を温めた。ランニングは良い習慣だけどこれからの季節汗で冷えるのが心配だ。むかしバンドマンがわたしのことを書いた歌を歌ってみる、くだらねえしみったれた歌だ。二番の歌詞が思い出せなかった。ざまあみやがれ、あんたの呪いはもう解けてるんだよ。

ヤバいわたしでも、生きていかなくちゃ。