2016.9.13 Tue. おとなになった

今日は調子がいい・わるいというより、空虚な感じだ。

仕事を休んでしまった。また明日はもともと休日で、16日までにどうにか手続きしなければならない仕事を15日に絶対にどうにかしなければならないことに今気がついて、鳥肌が立って肝が冷えた。間に合うんだろうか。

ときどき愚痴と呪詛しか言えなくなる。解決したいことに対してなにもできていない時なんだろう。このところ本当に仕事に対する呪詛ばかりだ。やっぱり転職するしかないのだろう。

だけど転職するってどうしたらいいのだろう。

自分がこの先もずっと生きてゆく、というイメージがどうしても持てない。年を取った自分がどうなっていたいかのイメージができない。ただ、表面的にいまをやりすごそうとして転職すればまた失敗するだろう、ということだけは確実にわかる。かといって、いまの職場とはやはりミスマッチがあるし、ミスマッチの改善も望めない。他人に迷惑をかけないよう、きちんとやらなければという気持ちはある。

一生こんな風に生きなければならないのだろうか?本当に?一生働いて、働くことはまだ構わないけれど、人間と関係して、それに悩んで苦しんで生きてゆかなければならないのだろうか。昔もそうだった、そういう、人生の見通しの立たなさに怖気づいて死にたくなっていたんだった。死にたい、そういう気分でひさびさに頭がいっぱいになった。そういう気分に対処できるから私は大人になったのだと思う。

 

まず、行政で利用できるものは利用する。お金も制度も。

それを調べるのは大変だけど、幸い明日は休みで時間もある。役所にいってみたりハローワークに行ってみたりしよう。仕事で片付けなければならない資料はアウトラインだけでも下敷きを明日のうちにつくってしまおう。

そして、それを決めたからには、今日は暖かい飲み物でも飲んでとっとと寝てしまおう。

ほんとうにわたしはどうにか生き延びて大人になったのだ。素晴らしいこともあったし信頼できる相手も、すこしの友達もできて楽しい時間もあった。だからこそ死んでしまってもいいのではないか、と、ふと思ってしまう。大人になったから、生きたいとは思わなくなった。高校生くらいのころよりもっと直截に死のうとしてしまうのを先延ばしにしているだけだ。みんなが悲しんでくれるあいだに死にたい。

でも死にたいよりも、どんなことがあってもゲラゲラ笑っていられるような人間になりたい。死にたいっていう人にゲラゲラ笑って美味しいご飯をつくってはげませる人間になりたい。