2016.9.17 sat. 自由な身体
絶不調だ。
今の就職先は、わたしにとっては「人生の一発逆転」だった。
鬱病の大学生から、セクシーで陽気な本屋のバイトへセルフイメージを変化させた頃、私の身体はどこまでも自由だった。いまは縮こまってガチガチだ。
売れそうだったクラブシーン寄りのバンドマンと付き合って、渋谷の道玄坂のバーを手伝っていたころは、金がなくてもいつも遊びまくり、楽しく暮らしていた。そういうところに飛び込んできた補欠合格の就職の話だった。
本当に嬉しかった。ホワイトだし、これでみんなに胸を張れる。いつまでもなにをしているかよくわからないっていう見られ方もしなくていい。給与もこれまでよりいい。確執のある実家も出られた。
だけど、うまく言えないけど、なにもかももうダメだ。
自信をこんなに失って、もう自分を好きだったころを思い出せない。
音楽の友人たちとは疎遠になった。わたしは元々、つるむのが好きじゃない。苦手だし、好きじゃない。就職と同じタイミングで好きだったバンドの客層が変わり、残った知人たちはなんだか仲良くつるみだし、インターネット的クラブシーンの「界隈」も入り交じれず、シフト的にイベントにもゆけなくなった。
好きな服も着られなくなった。昔は好きな服を109とH&Mでみつくろって買って、仕事では制服に着替えていたけどいまは無難なダサい服で出勤し、その上にこの世で一番ダサい制服を羽織る。座り仕事だと動かないので、これまでとは勝手が違う。暑くても動かないとなかなか汗をかかないので、火照ったままつらくなる。冷え性なので羽織るものは必須だ。座ってパソコンをしていると腹に食い込むのでスキニーパンツは履かなくなった。
すこし慣れても、あの牧歌的な空気には嫌悪感が強い。だけれど、夜の世界に顔を出しても、もう自分は「こちら側」の人間ではなくなった、と思って苦しくなる。
どこにも居場所がなくなった。
実家を離れて、わたしはお金の管理が本当にできないことが改めて分かった。このままじゃずっと自転車操業だ。
新しい情報は全然入ってこなくなった。家と職場を往復して、おばさまの有難い古い時代の話をきかされるだけだ。
このままじゃ、わたしもこんな時代遅れのおばさんになる。(そして若い男の人にセクハラじみたことをしたり、若い女の子にクソみたいなアドバイスしてマウント取ろうとしようとしたりするのか?)
もっと悪けりゃそのままホームレスになる。
さらにもっと悪けりゃ、家族や配偶者のお荷物になって何もできず部屋でぼんやり養われる人間になる。
それはイヤだ。そんなのはイヤだ。
だけど、どうする。父はもうすぐ退職する。わたしが踏ん張って自立しないと、親は安心できないだろう。そして悪ければまた、やっぱりあなたには無理だった、と言われるだろう。
だけど、もう、限界だ。学生の時もずっとこんな気分で、学校をでられて本当によかったと思っていたのに、学校みたいなクソみたいなホワイトで憎むところのない職場に苦しみを感じることに苦しんでいる。
どうしたらいいんだ?やっぱりわたしに社会は無理なのか?
そしてもしかしたら、障害者となるしか手はないのか?
もっと悪ければ、障害者とさえ認められず零落してゆくのか?
不安で不安で仕方がない。そんなことばかり考えてしまう。
どうして生きているのかわからない。交際相手に言えば心配させてしまうだろう。心配されなくてもわたしは死なないし、、だけど本当に死んでしまったら?と思うと、伝えなければと思って伝えた。死なないけど、、。