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2016.9.18 Sun. 離人感

昨日よりすこし調子がいい。

頭は働くようになった。

昨日はひどい離人感だった。もう本当に今日こそ死んでしまうと思った。やっぱりいつも通り死ななかったけれど。

大人だからそういうことをなるべく人に言わず、じっと眠って耐えられるようになった。相対的に昔よりもそうできるようになった。眠って起きればましになってることはわかってる。

毎回毎回今度こそ死ぬしかない、死ぬしかないという気分に負けて死んでしまう、と、思う。

だけどまた死ななかった。

で、多忙なタイミングの交際相手にそういうことをいって心配させたあげく負担をかけた、こういうこと人生で何度繰り返すのだろう。

何度繰り返すんだろう。だいぶうまくできるようになってきたと思ったのに。

気候とか気温とか仕事のストレスとか体調とかそういうくだらない外的な原因に作用されているだけのくだらない身体にこんなに振り回されてひとに迷惑をかけて情けない。

本当に死ぬ時はひと言も言わず死ぬんだろうか。

年をとって身体がもたなくなって死ぬんだろうか。

あまり自分が若くして死んでしまうイメージは持てない、永久に苦しみながら年をとって死ぬんだろうか、これからもずっとずっと苦しむんだろうか。

死にたい時、いつも本当に死んでしまうと思う。

誰かに不調であることを知ってほしい、そういう、相手の都合より自分の気持ちを優先させることでいつも迷惑をかけてしまう。

迷惑をかけて負担になって、負担をかけたのに生き延びて、じゃあ本当に死ねばわたしが死にたかったことは本当だと認めてもらえるんだろうか?せめて目にわかるように死のうとすれば、わたしが辛いことが、わかってもらえるんだろうか?そうやってまたループにはまってゆくのはもう懲り懲りだ。

 

まずは、どうして自分が不調になってしまったのかを突き止める。

体調、生活、気候、そういったことから洗い直して原因を判断して、遠ざけられる場合は遠ざける努力をする。遠ざけられないものに関しては、終わりがあるものだということを認識する。そして黙して回復に努める。不調はいつか終わる。

また、それでも不調に呑まれて他人へ負担をかけそうなときのために、ワンバウンドある場所へ、どうしようもない不調は吐き出しておく。

ブログや紙の日記を書く。即時性があって多くのひとがみるツイッターではなく、メッセージや連絡よりも伝わるのに時間的にワンバウンド置いて伝えられるものに書き出しておく。万が一本当にわたしが死んでもメッセージは残るから、言葉を残しておくこともできる。

それから、自分が不調であることがすべてに優先されてはいけないという認識を改めて持っておく。

他人には他人の都合があって、そのひとを尊重しようと思うなら自分の都合はその重軽にかかわらず、一度別のところに置いて考える必要がある。いまの職場にいるとひとの都合というものを軽視する習慣がついてしまってよくない。あと、不調の人間は最悪だ。楽しいことがあってもエネルギーが吸い取られてしまう。なるべく愉快に、自立して人生を営んでゆくのが一番だ。それが自分にも他人にも一番いい。

 

今回に関して言えば不調の原因は①仕事のストレス、②(ストレスでタイミングの乱れた)月経、③給料日前の切実な貧乏、④仕事のストレスで自分が変わってしまうことへの不安、⑤秋の気温低下、⑥気圧の下降、この6つが相互に絡み合ってる。

このなかで自力で変えられるのは、①仕事のストレス④仕事のストレスによる不安だ。それを変えれば②もよくなるかもしれない。

方法は2つある。

1つは仕事場で、わたしはあなたたちのやり方とは合わないので、違うやり方をさせてくださいと言うこと。実際にさせてもらえるかは未確定だ。具体的には昼はひとりでとって自由に過ごして、つべこべ言わないでもらうこと、また座席の配置を移動してもらうこと、それから新人向けに仕事のマニュアルをつくる作業をしてもいいと認めてもらうことだ。

リスクは、おそらくいまの上司はこうした意見は「わがまま」として受け取るだろうこと。その対策としては発達障がいの認定を受けて合理的配慮として要求する方法がある。

2つめは仕事を辞めること。次がみつかる、みつからないに関わらず仕事をやめること。

リスクは、経済基盤を失う可能性があること。最悪の場合実家へ帰るという手はある。もうひとつのリスクは転職に際してまたより一層大きなストレスを受けること。転職先もいいところとは限らない。

ここのところ、この2つを考えてはやめ、考えてはやめしている。1つめの方法をとっても状況が改善しなかったらどうしよう。2つめの方法をとってもまたひどい目にあったらどうしよう。そして、わたしはやはり社会に出られないのだと認識しなければならなくなったら、どうしよう。そう思って堂々巡りをしている。

上記2つと併用できる方法として、精神科へ再度通って治療を受けるという方法がある。

やっぱりそうするしかないのか、とも思う。

ひとつ、近場で悪くなさそうなところはアタリをつけてある。ただそこにも落とし穴があって、そこの医者とまた相性があわなかったらどうしよう、というものだ。

先への不安で身動きがとれなくなる。こういう事態から離れていた時期が少しあっただけに本当に辛くなる。もうあの頃の十全な自分には戻れないのだろうか、わたしはずっとこうした目の前にありもしないことで不安がって頭が働かなくなるとそのことへも気がつけなくなってしまうのだろうか(それとも、あの頃も十全ではなかったのだろうか)。

いまここにある人生をよくしたい。そう思う。そのために動けなければ意味がない。

新人向けのマニュアルをつくりながら、自分の中で退職日を決めておいて、退職する。それがいちばんよさそうだ。