2017.1.1 Sun. 足るを知る

新年早々、我が身は因果だと思った一日だった。

交際相手の部屋に引っ越すに当たって、部屋のキャパを超えた書籍などの荷物を一旦実家に預けることにした。ついでに、細々とした荷物も車に積んで新居に移すのを手伝ってもらい、両親が新居に少し来ることになった。

わたしの転居先をみて両親は不満のようだ。グレードが低いとか前の部屋の方がよかったとか言うので頭にきてしまった。わたしは前の部屋が嫌いだった。寒くてすぐ精神の調子を崩すし、自分の給与と経済活動の比率に対して家賃が高いことで生活レベルが落ちて、そのストレスを発散するために細々と買い物をしてお金を使ってしまって貯金もできず、つらいことが多かった。ただ、比較的綺麗で、オートロックで、なにより両親を説得して家を出ることができる条件の部屋が見つかったという事実こそがあの部屋のよい点だった。

新居は明るくて暖かくて広くて、家賃も下がるし、なにより、交際相手と暮らしていることが楽しくて幸せだ。ただ、きっと古びた外観も内装も両親はきっといやがるだろうから、同居人には悪いが、事前によく、新居は古いアパートだしカビくさいし汚れているところもあるし、散らかっているからね、とよくよく言い含めておいた。言い含めておいて尚、母は「やっぱり前の部屋にお母さんは未練があるのよ」などと言い出したので、心底頭にきてしまった。私の住む部屋にどうして母親が未練を持たねばならんのか、仕事から帰ってきてすぐ、ずっと泣きながら震えながら一人で寝ることも多かった部屋の何をおまえが知っているのかと思った。

「生活レベルを一度下げると戻せないから」とよく両親は言ってくるけれど、そもそも自分の娘がどれだけの給料をもらってどのような生活を送っているか、何度話しても理解してくれない。何もしなくても娘は勝手に成長して自分たちと同じように、一ヶ月に靴を一足仕立てて青山を闊歩するような生活をすると想像していたんだろう。だけれど、そうした生活をするには自信とそれに支えられた能力というものが必要で、両親は私を育てる中で自信というものを完膚なきまでに叩きのめした自覚がない。ひきこもったり散々自殺未遂や自傷を繰り返しても、結局この人たちはそのギャップが理解できていないし、現実の私をみつめてはくれないのだと思うと悲しくなる。他人より生きづらく生まれて挫折し続けた人生をどうにか立て直し、自立したことを喜んでほしかった。

だけれど、そもそも私が挫折していた過去を認めることは、彼らにとって、自分たちの娘が人より劣っていて、さらに育児が失敗したことを認めることで、それができないからいつまでも理解しあえない。

同居人は、わたしがこれまでしたいと思ってきた理想の生き方をしている。過去や、まだ起こっていない未来に執着せず、自分の持っているものの中で最善をいつも尽くして生きている。足るを知る、そういう感じだ。具体的な生活の中でいえば、「いつか使うかもしれない」と思って紙袋や割り箸みたいなものをため込んで部屋の収納を圧迫してしまったりするわたしと違って、収納のキャパを考えればそんなものをため込む余裕はないので、要らないものはすぐゴミにする。音楽だけに全力を注ぎ込む、ほかは適当、そういうようなところだ。

同居人はよく「必要があればそのときに買えばいい」と言う。本当にその通りで、尊敬する。起こってもいないことに備えすぎても仕方がないのだ。大事な書類とかもよく捨てていて私が拾い上げたりしているけれど、備えすぎる自分とそこで補え合えていて、その潔さや暮らしぶりを私は尊敬している。

人間には二つしか手がないけれど、三つも四つも持とうとしたら全部取り落とす。64GBのiphoneに128GB分の写真は保存できない。「今の自分」の能力でできる最高のパフォーマンスを出すためには、要らないアプリはアンインストールした方がいい。

腹を立てながら初詣をしたら凶を引いた。今年も父が何百人も並んだ参拝の列をショートカットして横入りしてお参りしていて、こういう節目にそういう横着をする人には運気が回ってこなくても当然なんじゃないかなあ。神様は存在するというより、自分の中にある監視の目のようなもので、神様の前での行いは自分の人生の行いのような気がしている。適当に横着して小ずるく上手くやろうとして、たくさんの人にいやな思いをさせる人生は私はいやだな。

初詣に行った神社はわたしの七五三をした神社で、「あの石の前で写真撮ったよなあ」なんて話をしていて、また私は怒り出してしまった。というのも、七五三の衣装を選ぶとき、衣裳屋で、私は赤い着物を選んで、これが着たいと言ったのに、「成人式のときに母が持っている赤い着物を着せるから」という理由で却下されて、緑の着物を着せられたことを思い出したからだ。さらには、成人式の頃にはその赤い着物は親戚の中で貸し借りされる間に行方不明になってしまっていて、着ることができなかった。「レンタルして出かけるのは高くつくし、写真だけにしなさい、どうせみんな着物なんて苦しいから着てこない」と言われて、記念の写真は前撮りして成人パーティーに行ったら、100人以上の人の中で着物を着ていないのは3人だけ、みんな綺麗に着飾ってお化粧してもらって髪の毛もセットしてもらっていて、私は、これも好みのドレスを反対されて母が選んだ気にくわないドレスに、母の行っているおばさん向けの美容院でされた似合わないアップスタイル、母の手持ちの化粧品でされた適当な化粧で、みじめで悲しくて辛かった。

突然そんな話をして怒り出したわたしに、父は「まあいつかまたいい着物が着れるよ」と言った。わたしはそういうことを言っているのではなかった。娘の成長を祝って、娘の自主性に任せて、その綺麗な時期、かわいい時期を着飾る行事をおざなりにされたことを私はずっと怒っているのだった。いまでも成人式の広告をみるだけで悲しくなるくらいに。七五三も、成人式も、母の都合で、安上がりにしたいとか、母の思い通りにしたいとかいう理由で私の希望は通らず、私は成長の節目に大事にしてもらえなかった、私は大事にされなかった、尊重されなかった、適当にごまかされた、そういうことを謝っても認めてももらえないし、いつまでたっても怒って、悲しんでさみしくなっているんだった。

この人たちは、いつまでも娘を自分の思い通りに操作したいとしか考えていない。それはわたしのことを信用していないんだ。信用されない人間は、人を信用できなくなる。わたしはなかなか人と信頼関係を築くことができない。元々の性質としてあるのだろうが、どうして両親はこんなに自分のことを信頼してくれないのかと、信じて娘のゆく方向を応援してくれないのかと、悲しくなる。思い通りにならなかった娘は死ぬべきなのだろうと、10年ずっと感じている。だけれど死んだら両親のこれまでの投資の採算が合わないだろうと考えてしまって死ねない。わたしだって、両親に大切にされたくて必死にやった、実際両親は大切にしているようなそぶりを見せたり周囲にアピールしたりするのだけれど、そのすべてが上滑りしていてわたしには届かず、「そのように見えるようにしている」だけだから戸惑ってしまう。わたしがわたしの力で社会に戻ったことは、本当にものすごく奇跡的な偶然と努力の積み重ねでできていること、もっとわかってほしい、ただ生きている私を認めて、そのことを祝ってほしい。

少しずつ少しずつ、両親との関係はよくなっている。文句ばかり言うのではなく自分の話しぶりや行動で、優しさや信頼を示せるようになっていることで、少しずつ互いに信頼できるようになり、改善している。それでも新年早々、心が折れた。私はもう今日は帰りたいといっているのに、荷物があるからなんとかとか押し切られて結局実家に戻ってきてしまったので、今夜は主に父母が荷物を入れているウォークインクローゼットの掃除をしている。

このウォークインクローゼットのハンガーをかける棒に何度も縄をかけて死のうとしたことを思い出す。最後に見るのが「ハリーポッターとアズカバンの囚人」の背表紙かあ、と、よく思ったけれどまあ死ねなかった。

持ってきた荷物を入れるために、大々的に奥からウォークインクローゼットを掘り返すと、出るわ出るわ、溜め込んだ紙袋のストックや、使っていない便せん、封筒、ルーズリーフ、そういうどうでもいいものが部屋のキャパの多くを占めていて、それも小学五年生で引っ越してきたときから放置され上からめちゃくちゃにものが積み重ねられていた。

そういうところだよ、と、思う。どうでもいいものに執着して容量オーバーして見て見ぬふりばっかして、本当にそういうところだよ!

何時間も片付けてさすがにうんざりしてきたので文章を書いて気分転換した。こういう無駄と矛盾と先送りで部屋が溢れかえっているのがわたしの実家だ。わたしは、変わろう。わたしはわたしの人生を変える。

だからウォークインクロゼットの永久凍土は、どうにか朝までに片付くように頑張ろう。