2016.12.29 反射する想念


想念というのは反射するものなのかもしれない。

風呂場やトイレに入って一人になり、過去の失敗や逃れたいような仕事のこと、昨日の飲み会での自分の失態のこと、そういう記憶に呵まれ後悔する。

よく私は、うなり声や独り言をしてそれをかき消そうとして、またその自分の狂おしさに恐ろしくなり、自分は社会になじめないのではないか、また恐ろしいことが起きるのではないか、と、思考のループにはまってしまう。

だが、広い部屋では虚脱こそすれど、そこまで記憶の亡霊には呵まれない。同居人がいれば余計だ。

風呂やトイレでばかりそうした思いにとらわれるのは、そこが狭い部屋だからではないか?想念というのは物理的に反射して増幅するのではないか?

ふと、トイレに飾った唐辛子の赤色をみていてそう思った。音のように反射する物質なのではないか。特に負の想念は。

身体から滲んだ負の想念は、狭い部屋の壁に跳ね返って戻ってきて、そして無限に増幅する。

それならば、部屋は広い方がいい。

ひとり暮らしより今気が楽なのは、部屋の広さも関係しているようだ。

バッドなバイブスを出す人に囲まれていると影響されるのも、そういう仕組みなんだろう。

こう考えると、想念やオーラが「バイブス」とたとえられるのに、なんとなく納得がいく。

人体も吸音する素材だ。太った同居人が自分の想念を身を呈して吸音してくれている。

君が太っていてよかった。大きいお腹でよかった。