2017.02.06 Mon.  冠婚葬祭のペナペナ鞄

インフルエンザで高熱を出し、誕生日を寝てすごした。

わざわざ実家から葬儀用のペナペナの薄くて硬い鞄と数珠を持って帰ってきたのに祖母の通夜も葬式も出られなかった。

結婚式も葬式も、女が儀礼的に持つ鞄はどうしてみんなペナペナに薄かったり小さかったり固かったり持ちづらかったりして物が入らず、持っている意味のないようなものがほとんどなのだろうか?オシャレや伝統的な衣裳ならまだしも、オシャレでもなく洋装だし。

①その時にしか使えないような衣裳を揃える財力がある、というアピールをする文化があった

②商業的な戦略で冠婚葬祭衣裳業界にニッチな需要を生み出した

③着物の時に持ったなにがしかの道具や荷物入れに由来する

④日本ではポーズとして、特に女が、荷物を持たないことが美徳とされている

下調べしないで想像してみるとペナペナ鞄の由来として考えられるのはこの4つだ。

ペナペナ鞄の成立については、寝込んでいる間の課題にしてもいいかもしれない。

ペナペナ鞄の普及によって、冠婚葬祭時にはサブバッグとしての紙袋の需要が高まり、実家のお母さんたちがやたらと紙袋を取っておく文化が広がったのではないか…。

そして中高生時代、ギャルショップのショップバッグ(紙袋)に荷物を入れて登校していた我々は確実にそのお母さんたちの娘なのではないかということ…。

熱はまだ37℃より下がらない。まだ少し頭がおかしいみたいだ。

仕事も家事もできないで寝たきりでいると、こうしてペナペナ鞄に思いを馳せたり、Twitterで流れてくる気になる記事をリンク先まで飛んでひとつひとつ読んでみたり、精神活動は無心に働いている時や家事をしている時よりぐっと活発だ。少なくとも社会で生きているよりグッと自我がある。自我に苦しむから、社会に出ているのだけれど。

こうしてみると、病気や障害などで意思の疎通が不可能と言われるひとたちでも、いかばかりの精神活動がその中にあるのだろうかと思う。

亡くなる前にわたしが駆け付けたこと、祖母はわかっただろうか。感ぜられただろうか。