17/04/15 Sat. 足すアプローチ、引くアプローチ

物事の改善には、2種類の方法がある。

まず、新しいもの、今はないものを導入することで改善してゆくという方法。
もうひとつは、今すでにあるものを取り除いたり、やめたりすることで改善してゆくという方法。
実はずっと、世の中で言う「足し算、引き算」という言葉の意味を掴みかねていたのだけれど、どうもこの二つのことをそう呼ぶらしい。

足し算、引き算とはなにか。

具体的な例をあげよう。
同居人も自分も、料理をするのも、食べるのも好きだ。だけれど、後片付けは苦手だ。
同棲してからというもの、流しが洗い物で溢れていて、手をつけるのも恐ろしくて食器や調理器具が使えず、料理のやる気をなくすことも多かった。
この問題を、「足し算」で解決する場合。
・使用頻度の多い食器や調理器具の数を増やす。(この場合、お玉や包丁、まな板、皿、箸など)
・食器や調理器具を使わなくてもいい食べ物を常備する/都度購入する。(カップラーメン、店屋物など)
「足し算」では、調理具が洗い場にありすぐ使用できない状況でも、料理や食事ができる一方で、洗い物はそのまま放置され、いずれ同じ状況で困ることになる。
では、「引き算」で解決する場合。(実際にわたしはこの方法をとった)
・使用頻度が高く、最低限食事をするのに必要な数の食器を残し、それ以外は収納し、めったなことがなければ使用しないようにして、流しが溢れて手をつけられなくなるのを防ぐ。
・こまめに洗い物をする。食べたあとはなるべく使用した食器や調理具を洗う。
「引き算」では、「食器が使えない」ことよりも、「洗い場があふれてしまう」ことにフィーチャーしている。こまめに洗い物をする回数は増えるが、消費するエネルギーは結果的に少なくて済む。

たぶん、「足し算」「引き算」はこの理解であっていると思う。物や要素を増やして解決するか、減らして解決するか。
なぜ、「足し算、引き算」の意味がこれまではよく掴めなかったか、わたしには心当たりがある。実家では基本的に、物事の解決には「足し算」しか存在していなかった。
困ったことがあれば、物を買い、増やし、新しいことを始めて解決しようとする。
だから家の中にはいつもたくさんのモノがあふれていた。

このことはスーパーで買い物をしながら考えていた。
近所でいちばんいいお肉を扱っているスーパーには、おばあちゃんのお客が多い。切り干し大根だったり、カロリーオフのなにかだったり、そういう「健康に良さそうな」、こまごましたものがあふれている。
お通じをよくするダイジェスティヴクッキーを太った同居人のために買おうとして気がついた。あのひとは、そういう言い訳があればこのクッキーを全部食べてしまって意味がない。
向かいの席の太ったおばさんは、「健康に良さそうな」(カロリーオフだったり食物繊維があったりする)スムージーやらお菓子やら、常になにかを食べていて、痩せる気配が一向になかった。
クッキーを買うのはやめた。デブはカロリーオフだと2倍食べる。
健康やダイエットにも、物を「足して」解決するアプローチと、「減らして」解決するアプローチがある。
物を「足して」解決するアプローチは、人生の質を上げたい、豊かになりたいという切なる願いだ。モノを増やして手に入れて、優雅に豊かに暮らす。だけれど、実際には経済的なコスト、増えたモノの管理コストが増え、人生を圧迫することもある。
物を「減らして」解決するアプローチは、方向を間違えると大切なものまで失ってしまう可能性がある。健康とか、人間として大事にするべきこととか。私は人生で炊飯器を持っていないという一人暮らしのひとを2人知っているが、米は絶対に人生にあるべき喜びでなくすべきじゃない。

この二つのアプローチ方法をバランスよく、自分の人生の丈にあうだけのものを選んで、みんなやっていっているらしい。
わたしはそんなことは知らなかった。ようやっと初めてわかった。
Yは明らかに「引き算」をして解決をはかることが多い。わたしは「足し算」だ。それでいて意見が対立せずお互い噛み合って暮している。
お陰でわたしは新しい考え方を持つことができたし、Yはわたしのお陰で生活が豊かになったと喜んでいる。
プラスマイナスがゼロで満ち足りている。一緒に暮らしだして、そういう面のお互いの良さがわかるようになってから、よりお互いの敬意が高まった。こういうところで喧嘩になるカップルも多いだろうから、自分たちはその点幸運だ。

ただ、Yには健康のためにもう少し痩せてほしい。カロリーの低いもので料理のカサ増しをするようなアプローチをするか、食べる量をそもそも抑えるアプローチをするか。彼の幸福感を考えると、どちらも悩ましいところだ。