読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

17/05/04 認知の歪み

親とお金のことを考えると苦い気持ちになる。必要があってお金をもらおうとすると、両親はいつもひどくいやがったという記憶がある。
中学生の時か高校生のときか、ちゃんとした下着が欲しいけれどよくわからなくて、地元のオーパに入っているよくわからない下着屋の1500円の下着をつけているのはまずいのではと思い、母に頼みこんで下着屋に連れて行ってもらったことがある。ブラジャーがひとつ5千円くらいして、母が高い高いとブツクサいいながら会計していた。揃いのパンツは買ってもらえなかった。
中学生のときは月に3千円くらいお小遣いをもらっていたと思う。美容院にいくお金もそこから出すように言われていたけれど、カットだけでも5千円くらいかかるし、中学生にもなると染めたりストパーをかけたりしたくて、そのお金では足りなかった。だから美容院に行くのは正月や誕生日に祖父がお金をくれたときだけ、あとは髪を切らなくなって伸ばしっぱなしのことが多かった。中学の部活のコーチに、髪切らないの?と言われて説明すると、必要なら普通はその分お金をくれるものじゃないの?と言われてびっくりした。母は母で、髪を切れとか、鬱陶しいとか毎日のようにわたしに言ってくるのに、お金をちょうだいというと自分のお小遣いでまかなえというのだった。
洋服も同じだ。わたしはいつも少ないお金でどうにか買い物していて、失敗したくないから黒い服ばかり着ていた。そうするとやっぱり、黒い服ばかり着るとか、もう少し女の子らしくしろとか、きちんとしろとか言われるのだった。わたしはどうしたらいいか、わからなかった。試行錯誤をするにはお金がなかったし、自分のスタイルもなかった。だからいつも「なんにでもつかえそうな」ちんちくりんの中途半端な服とかばかり着ていた。
大学生になって精神科に通い始めても文句ばかりだった。そもそも精神科への通院自体に強い抵抗を示していて、就職できないとか犯罪者になるとかそういう言われ方をして、わたしは辛くて死にたいのに就職して生き続けないといけないのかと思うと絶望的だった。どうにか言いくるめて通い始めても、通院費をおねがいするといつもひどく嫌がられた。薬代が高い、2週間でこんなにかかるのか、と。当時、2週間で3〜5千円分くらいの薬を飲んでいたと思う。それならと、保険の1割だけの支払いでよくなるように自立支援医療制度の利用を提案してみたけれど、将来会社にバレるとかわけのわからないことを言って拒否しつづけ、最後の1年でやっと申請していた。多分、お金に絡んで行政の制度を利用することは、負け犬だけがやること、というような意識が父母にはあるのだと思う。精神科についても、偏見が強かった。わたしは父母にそう言われることが悲しくてなかなかお金をくださいと言い出せなかったり、そもそも精神の調子が崩れていて毎日起きられず、病院の予約を飛ばしたりしてばかりいた。医師から、いまの状態では働けないから就活はいったん休んで、と言われているのに、父母は、そんなこと言われてもやるしかないでしょう、と笑ってわたしに就活させた。というか、わたしは父母を悲しませたくなかった。結果として最終面接までいった行きたくもない会社の結果が出る前日にわたしは2度目の自殺未遂をした。
母は、救急車にサイレンを消してくるように言ったと後でわたしに話していた。あとでご近所になにか聞かれたとき、世間体が悪いから。
わたしは心配されたかった。親を反省させたかった。

わたしは、自分が、金食い虫で、父と母にとって迷惑な存在で、働いてお金を返すこともできず、できそこないの、世間体の悪い娘で、両親に嫌われているんだと思った。
世の中にいい顔ができなければ、わたしの存在意義はないのだと思った。親が投資した分のお金も返せない自分は、死ぬべきなのだと思ってしまった。

いまはそんなことは思わないし、両親はどうしてあんなにお金を出し渋ってばかりいたのかと思うと不思議だ。高校生くらいまでは、周囲が度を越した金持ちだったこともあって自分の家は貧乏なのだと思い込んでいたけど、どちらかといえば裕福だしそんな少しのお金で生活に困るような家計ではなかったはずだ。
自分の一人娘が困っていても、いつも自分達が自由に使うお金や、世の中にいい顔をすることばかり考えてわたしのことは見ていなかった。

仕事を辞めてから眠ってばかりいる。こころはすこぶる健康だ、だけど、たくさん眠ってぼんやりしていたら久しぶりに昔のことを思い出した。恨んでいるわけではない。もうどうしようもないことだから。お互いにそんな過去は忘れて人生を大団円に向けてまとめあげてゆくしかない。
「思春期にはぶつかったこともありましたね。それでも感謝しています!」みたいにいけしゃあしゃあと記憶を塗り替えるしかない。
だけど時々、とくに母については、楽には死ねると思うなよ、と考える時がある。