17/05/22 Mon. メモ

ブックマークの整理

ずっとやらなきゃいけないと思ってきたブックマークの整理をしている。
ファイルやブックマークの整理が自分はすごく苦手だ。
というか子供のころからファイリングが著しく苦手だった。プリントやお知らせなんかはいつもごちゃごちゃになってしまうので、ひとつのクリアファイルにとりあえず打ち込み、テストの前に整理していた。
その点、前職の共有ファイルでの整理ルールはかなり役立っている。なんでもかんでも、内容で精査するのではなくひとまず年度と月で区切っていれておく。
わたしは、収納した情報が古くなって不要になっているのではないか、更新すべきなのではないか、でもまだ必要だろうか、という点が気になってしまう。
2017年に保存したファイルを作っておけば、今後も使用するかどうかは2018年になってから判断すればいい。
不要なものは消して、判断に迷うものならそのまま2017にいれておき、今後も現役で使うなら2018に引き継ぐ。

就職活動

先日面接があった。かなりいまいちだった。
よくなかった点は、たぶん、わたしに先々の「ヴィジョン」がない、と先方が判断したことだろう。
それはつまり、自分に対する客観性がないということだ。
未だに就職活動は苦手だ。
応募書類を書くことで冷や汗を流さなくても済むようになったのはつい数週間前だ。
わたしはわたしに価値があると思えない。
だけどそれこそが客観性のなさなのだろう。わたしは自分を低評価しすぎだ。大変な思いをして高校も大学も卒業したし、両親からの自立も叶えた。
パートナーとの今後だって考えている。
それでもやっぱり、自分に価値があるとは思えないからしんどい。

 

人生の筋を通す

あなたには何もできない、あなたは嘘つき、あなたは何もやり遂げられない、だから何も一人で自分の判断でチャレンジしてはいけない、そういうことを長い間何につけても唱えられると、自分はそうなのだと思ってしまう。
子どもにはそんなことを言いたくないな。
だけど、もし子どもがのびのび幸せに育ったら、わたしはその子が羨ましく、恨めしく、自分の人生を虚しく思ってしまうかもしれない。
わたしは自分には価値があると思いたいよ。だけどなかなか難しい。
だって、価値があるならなんでお母さんはあんなにわたしの心を潰し続け、何をしても批難しつづけたんだ。
お母さんが間違っているなんてやっぱり今でも思いたくない。
わたしに価値がないからお母さんがあんなに辛く当たってきたのだと思わないと筋が通らない。
筋が通らないことは嫌いだ。だからお母さんが間違っていたことの「筋」をみつけだしたい。仕方ないのだと思いたい。
お母さんの人生がああいう形になった理由をみつけたい。