インターネット立身出世ロード

munchies

酒を飲んで音楽のイベントで暴れなくなってから、脂肪も筋肉も落ちてだいぶ痩せた。
同居人に言わせれば自分はだいぶ太ったそうだけどもっとムチムチと筋肉の上に脂が乗っていた頃があった。
酒を飲むと自分は所謂「マンチ」に入ってラーメン2杯とか食べてしまう。
明日をも知れない気持ち、やりきれない気持ちがあると、怪我なんて構わず投げやりにモッシュしたりダイブしたくなるものだけれど、そういう気分も今は手元に持ち合わせていない。

「マンチ」の語源が気になって調べていたら、英語に「manchies」、小腹が空いたとかそういうスラングがあるらしい。生きるためには必要がないけど食べ物がほしくなってしまう、みたいなニュアンスなんだと感じる。普通以外の用法だと大麻絡みのことで使われる。
調べていたら大麻から脱ドラにハマってしまったというひとの私小説が出てきて面白いので読んでいる。
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5月にみたライブは良くなかった。
うまく言えないけれど、すごい好きで、つきあってないけど関係のあった異性との蜜月が去って、他の女性とイチャイチャしているのを見たときのあの感じに似ていた。
それで、なんか最悪な気分になってた。

けっこう悩んで、昨夜のイベントは行かなかった。
自分にとって良くないとわかっているのに、他に行く場所がないから足が向いてしまうところってある。
そういうものからなかなか逃れられない。

むかしすごい「好き」だった異性がいた。16才の頃から6年くらい好きだった。
そんなにも「好き」だったはずなのに別に劇的な事件やスイッチポイントもなくいつのまにか縁が切れた。その頃自分はアルバイト一生懸命やって楽しんで、音楽でも新しいフィールドを見つけて楽しんで交友関係も広がって健康になっていったら、いつのまにかそうなっていた。

依存しているものと縁が切れるとき劇的な別れはなくて、ソレを選ばない、ソレに向かわない、という選択が繰り返されることが別れに代わる。
薬でも酒でもタバコでも同じだ。
それと依存先は複数作れという話があるけど本当にそうだ。
コミュニティや趣味が1個ダメになっても他に向かってゆく先があればダメにしたところにまた舞い戻る必要はないという理屈だ。
最近はひとりでも楽しんで過ごせるけど友達というか話相手はもう少し欲しい。

ひきこもってメンタルヘルスが悪化していた頃、マイスリーという薬が処方されていた。
これは独特な使用感の睡眠薬で、よくそれを悪用してラリって、一時だけ現実から逃れていた。
で、もう離れて2年ぐらい経ってから、祖父が持っている薬の中にその錠剤があるのを見つけて一瞬すごい唾液が出て欲求に駆られたことがあって恐ろしかった。
(悪用しすぎて処方されなくなったあとにパブロンを飲んでたがアレは味が苦手だし気分も良くならなくて、その後就職してから仕事で使う「山吹色」の紙を見るだけで舌の奥が味を思い出して甘苦くなった。記憶は強力だ。いまもあんまりパブロンは飲みたくない。)
依存との別れは、それを選ばないことの連続だ。

で、何かを選ばないことも選ぶことも自分の自由で裏切りでもなんでもないので、それで気負ったりする必要は全然ない。
いつでも、自分が本当に楽しめるものを選べることが大切だ。

有名には別になりたくないっぽい

インターネット立身出世をしてみたいなと思ってSEOを意識したはてなブログを作ってそういう文体での記事も書いてみたけど無理だった(実はそれも意識してわざわざアイコンもつくった)。
なぜそういうことをしたかというと、文章でちょっと有名になりたい、お金がほしい、と一瞬思ったわけだけど、それより自分のできるやり方で継続して、何人かのひとに読んでもらえれば十分だ。
自分の属性や病気や障害をtwitterの自己紹介やブログのタイトルにいっぱい書いている人がさいきん多い。
多いと感じるのは、そういうひとのことは見つけやすいし繋がりやすいからだ。
自分は発達のことに興味があるから多くフォローしている。そういう、障害にアイデンティティを置いて情報発信をしてくれるひとは、情報を辿るのにありがたい。
で、やらしいので自分もそういうことを真似してインターネット立身出世して友達がほしいなあと思ったものの、やっぱたぶん自分のスタンスとは違うな、と思った。
そういうことについて自分のできるやり方で語って、これまでとは違うコミュニティで、ゆるく繋がれるひとがすこし出来たらいいなあと思う。
みんなマメでよく考えていてすごいよな。