ゴーストバスターズ

よくインターネットで揶揄されるような(だから自分が出会うことはないと思っていた)企業戦士みたいな人種と面接で当たってしまって、あまりの考え方の違いに、ショックを受けて寝込んだ。
もっと正確に表現するならば、「コミュニケーション可能だと判断した後で考え方が全く違うことに気がつき、他にもそうした人間が『社会』の多数派なのかもしれない、と思って不安になって」寝込んだ。
社会の多数派があんな感じならわたしはやっぱり社会でやってゆけないかもしれない…。
考えが内に内にこもってゆくことから抜け出すには、違う世界が必要だ。
部屋から一歩も出られなくても、いまのわたしにはAmazonFireTVがある。
プライムビデオで『ゴーストバスターズ』(2016)をレンタルして観た。
ホルツ博士にめちゃくちゃ似てる友達がいるので、気になっていてずっと観たかったやつだ。ゴーストバスターズも好きだし。
当時は仕事でヘロヘロになっているうちに、興行成績が振るわなかったのかすぐに公開が終わってしまっていた。


観終わる頃にはなんとなく元気になった。下品なギャグがよかった。
ポリコレの匂いがするけど、わたしが嫌いな感じではなかった。
というか、ポリコレ的なものを見かけるたびに、わたしはより、みんな自由に互いに下品になってしまえばいいのにとか思うから、割と理想の温度感で、これまで女性に適用されがちだったメソッドを使って男を小馬鹿にしつつ愛している映画でよかった。
スーパーマンのような記号を持った男性が、頭が空っぽ、とか面白かった。
でもWikipediaを読んで見ると、正しさが十分でない!みたいな批判もあったみたいだ。
逆に、男性からの批難もあったんだろうか?それはちょっと読んだだけではいまいちわからなかったけど、たぶんあっただろうと思う。

わたしはマイノリティに立つし、サブカルに立つ人間だから、本当はもっと悪趣味で下品でいたい。
悪趣味で下品で投げやりでいたいのだ。
だけど、世の中が醜悪になりすぎて、いやいやちょっと、メジャーのひとたちはもうちょっと考えないと全員死ぬぞ、と思うことが多くて、ポリコレみたいなことを考えるようになった。
でもそういうことを常に考えているとどんなギャグでも、笑うときにちょっと心にひっかかるものがあって苦しい。
太ってる同居人はほんとうに見た目も陽気で愉快で楽しくて大好きだし我々には信頼関係があるから太っていることを笑うけど、そうやって太っていることを面白がる流れを作ることで他の誰かが嫌な思いをするのじゃないかとか…
めんどくさい。
とにかくめんどくさい。
ゴーストバスターズは、そのあたり、意識してつくられてることは感じ取ったけど、めんどくさい気持ちにはならなくて楽しかった。
わたしはいい映画だったと思う。昨日観たのに今日も観た。愛とオマージュとバランス感覚のある楽しい映画だった。
忘れてたけど、いくら大統領がやってきたって、アメリカは映画で問題解決するとき核兵器ばかり使うなーと思ってウケてしまった。ウケてしまったし、ウケていたいのよ。