「オ・ト・シ・マ・エ」

今日の自分にオトシマエ

さいきん心がけている、というか、心のなかで繰り返す言葉がある。
「今日の自分にオトシマエをつける」というのが、ソレだ。
大したことではなくて、その日使った食器はその晩のうちに洗ってしまうとか、
ちょっとだけ着て脱いで床の上に丸めた洋服が気になっているなら片付けてしまうとか、そういうことだ。
「あー皿が、明日でいいかな、ああでも、今日の自分にオトシマエをつけるんだった」と、頭のなかで呟いて、大概のことはそれでチャッチャと片付けられる。なんでかはわからないけど不思議だ。

できないときには、理由がある

それから、「自分にオトシマエをつける」という目標だと、他人に腹が立たなくていい。
同居人が食べたお皿の後片付けなんかしていて、本人はのびのび音楽やってたりすると、腹が立っちゃう時がある。
自分がやろうとしているのが「自分へのオトシマエ」だと思えば、自分で自分の仁義のためにやることになるので納得できる。
仁義っていうのは台所は清潔にしておきたいとか、洗濯は乾いたら畳んでしまいたいとか、そういう仁義だけど。わたしは相手のためにしてやってるのに!とか、なんでやってくれないんだろう!とか、そういう邪な気持ちが入って来ると、ムカムカしてできなくなったりする。

でも、全部完璧にやろうとはしないことがコツだ。
というか、その日のうちにオトシマエがつけられないときは、気分か体調に問題があるか、片付けたりするときのシステムに問題がある。
そういう日は寝る。
「オトシマエ」はつかないときはつかない。そういう日はしょうがない。

要件定義

「三つ子の魂百まで」とはいうけど、もう三つ子じゃないので色々なことをすぐに忘れてしまう。
「オトシマエ」の心がけもすぐ忘れてしまう気がしてる。

同居人の家族は、真っ直ぐ筋の通った人たちだ。
「家族を大切にする・その人にとって最良の道を応援する」というのを守っているひとたちだと思う。
「Yの将来や、相手のご家族のことを考えると不安で夜も眠れないけど、それでも応援してるから」と、素直に口に出せる信頼は、わたしの出会ったことのないものだ。
それも言葉だけじゃなく、本当にできる限りで応援しようと、色々と具体的な援助の話もしてくれた。本当にありがたいことだ。

あちらのご家族としては、本当であれば同居人にはわたしを養えるくらいにならないと、という考えはあるようだ。
ただ、わたしとしては、Yが自分一人を食わせていければよくて、私は私でやる。だけども、お互いに足りないところは二人で頑張ろう、支え合おう、そういう気持ちでいる、とお話しした。わかってもらえたと思う。
自分たちのわからないやり方や生活をする子供を見つめるのは、いかに不安だろう。だけど、それでも応援してくれる。

ポーズ

うちの親は、何を考えているのかわからないけど特に口を出してこない。
本当に何を考えているのかわからない。最近ではかつての勢いはすっかり鳴りを潜めて、大人しくなってしまっている。
そういえば昔から、大切な時に本当に芯から心配したり支えようとはしないで、表面でちゃらちゃらと口出ししたり、応援しているようなポーズを取るのはうちの親の得意技だった。
「困ったときはいつでも相談しろよ!」というので、必要な物を買うためにお金が欲しい、とか、病院に行きたい、とか打ち明けると、高いとか、あなたはだらしないからすぐお金を使ってしまうとか、ぐちぐち言いながらお金だけを出すのがうちの親だ。
何も応援しないで、あの学校はやめろとか、この会社は受けるなとか、こういう行動はするなとか、そういうことを言うのがうちの親だ。
自分のポーズのために、自分の気持ちの満足のために動くのが、特に母の動き方だ。
これまでに芯からわたしの背中を押してくれたことがあっただろうか。少なくとも思い出せない。
昔は台所に立つ母の背後でよくフライパンや包丁を握りしめていた。
早く死んで欲しいと思うことはなくなったし、これからも笑顔で家族付き合いはするけれど、一生許すことはできないと思う。たぶん。

許さない、忘れない、繰り返さない

ただ、両親のこれまでの態度は彼らなりの最善だったのかもしれない。さいきんそう思う。
今までの彼らの行動は、自分の人生で学んできた世界での正しさをわたしに選ばせようとする彼らなりの努力だったのだろうと思える。
いい学校に入ってお金持ちの子弟と付き合い、教養を養い、その教養や立場でいい会社に入ってガンガン稼ぎ、ガンガン使う。
それが彼らの「成功した自分たちの」「正しい」人生だったのだろう。
だけど時代は変わる。正しさに汎用性はない。わたしは特に変わり種だった。同じ正しさを示すのではなくて、わたしそのものをよく見つめて導く必要があった。
その努力をしなかった彼らを、一生許すことはないと思う。
どんな状況があったとしても、背景があったとしても、思惑があったとしても、優しくなっても、私が苦しかったことを一生忘れない。ようにする。
そうしないときっといつか自分の子供におなじことをしてしまうから。
忘れたくないと思う。

わたしでよかった

ただ、同居人のご両親が、同居人が私を養えるようになってほしいと考えていることは私をすこし驚かせた。
反対に、同居人を私が養うぐらいの気持ちでいることには本当にびっくりされたと思う。
私としては、東京で音楽をやって結婚して暮らしているようなご兄弟がいるから、生活のことは成り立てばいいくらいに思っているのだろうと勝手に考えていた。自分の周りはそういう人も多いし。
相手のご両親がなぜ、求職中の、わたしのようないい加減な女との結婚を後押しするのか少し不思議だった。けども、まあ、このことで、わたしが同居人と結婚するつもりなのは、本当にご両親にとっても僥倖なのだろうと感じた。
イヤラシイ言い方になるけれど、好き合っているのはもちろんとして、わたしは同居人の音楽活動に理解があって、全然お金がなくても気にしていなくて、まあ自活をしていた経験もあって、仲良く暮らせていて、見た目も(今は)変じゃないし、大学も出ているし、家族も社会的にちゃんとしていて申し分ない。
まあなかなかこういう娘さんはいないだろう。というか選んで出会うのも難しいだろう。自分で言うのは変だけど。
何より、本当に歓迎されているのがいつもわかるから不安はないのだけど。だから私はとても嬉しい。
私はこれまでずっと私でいて、私の人生を重ねてきて良かった。
それに、人生で一度くらい男を扶養に入れてみたいもんだ。就職活動、また頑張ろう。

実感のない喪中

今年中に入籍しようか、とか言って居たけど、よく考えたら今年は喪中だった。
うちのおばあちゃんは、わたしが中学生くらいの頃からかなりボケてしまっていたから、私の中では、随分前に亡くなったような気持ちでいた。
だから不思議な感じだし、忘れてしまっていた。お葬式もインフルエンザで欠席したし。おばあちゃん、ごめん。
この間おばあちゃんがわたしのために積み立てていた少しの貯金を受け取って、ボケる前のおばあちゃんのことを思い出せた。
庭のクチナシの白い花を手折って、洗面所で洗ってくれたけど普通に虫がついてた時のこととか、着ていた服とか、いつもしてた前掛けとか、リビングの座布団の色とか。
おじいちゃんもおばあちゃんも、もう居なくて寂しい。
私が生まれて、おばあちゃんがこの口座を、色々手続きをして開いてくれたのだろうと想像したら、生きていて元気なおばあちゃんのことが思い出されて寂しくなった。
だけどおばあちゃんはずっと前に亡くなったような気持ちで居たから、やっぱり今年が喪中だというのにはやっぱり実感がない。