目の前のことをちゃんとやる

できないことをわかっているのに

わたしは完璧主義だ。なんでもできて、失敗しない人間になるように育てられた。
ただ、わたしの脳みそや身体は意見が違うみたいだ。
要領のいいほうじゃないし、キャパ超えのプレッシャーを感じるとすぐ逃げてしまう。
わたしが思うように振る舞おうとすると、脳と身体は、「わたしにはそれは無理です」と拒否してダウンする。
できないことをしようとしてしまうし、それができないことを、内心わかっている。
でも、やっぱりできないと、落ち込むし、自信をなくす。
考えることと、できることにミスマッチがある。

なってはいけない

わたしの古い知り合いには「ダメなひとたち」が多い。(ダメじゃないひともいる!)
長いこと親しいのに、本当に失礼なことだが、わたしは彼らのように「なりたくない」と思った。
なんとなく、さいきん、彼らもわたしのように思っていて、そう思いすぎるあまり、プレッシャーに潰れて、ダメになっていったのかなと思った。
みんな優しいし、辛いと思うことがわたしに似てる(だから仲が良い)。あとプライドが高くてキレるとめんどくさい。親が金持ちだったりして、なんだかんだ死ぬことはない。
ああなってはいけない、こうなってはいけない、そう思いすぎると、自分がすこしでも「なってはいけない」と思ったカタチになっていると感じた時に、すべてご破算になった気持ちになって、あまり良くないループから逃れるアクションを諦めてしまうのかもしれない。
むしろ、目の前の現実を受け止めきれず、良くないループに身を浸していく人も多いようにみえる。
みんな、、とは言い切れないが、人並み以上に真面目で、真っ当でありたいと思うのに、そうはできないことを受け止めきれず、いや、僕はそういうのじゃないんで、という顔をしてる人が多い。

先の心配より今日のこと

「失敗したらどうしよう」
「恥をかいたらどうしよう」
「ひどい目にあったらどうしよう」
「将来は大丈夫だろうか」
そういうことが、いつも気にかかる。
だけど、そういうことを考えるのはどうやら無駄みたいだ。
失敗や、恥や、ひどい目は、神経をすり減らしたって、遭遇するときは遭遇する。
将来のことは、いくら心配しても尽きない。
だからといって、考え無しにやろう!と、言うわけではない。
大切なのは、色々なことに気を取られすぎず、目の前にあることに全力を出して取り組むことだ。
明日のことは、もちろん考える。
だけど、明日のことが心配すぎて、今日のことがおろそかになったらよろしくない。心配するよりも先に、風呂を終えよう。

わたしはついつい、自分のことを後回しにしてしまう。
風呂よりも、同居人との夕食の用意を優先する。
他人の評価ベースで生きてきたから、他人のために動いてしまう。でも少し、自分のことを我慢しているときがある。
それで、相手が同じように自分を最優先にしてくれないことに、不満に思うことがある。
簡単な解決方法がある。
してほしいことは、口に出してお願いしてみる。
きいてもらえなくても、自分が軽んじられた訳ではないことを理解する。不満ならそれも話す。
自分のことを、自分で最優先にする。
夕飯の準備が多少遅れても、幸い同居人は余程じゃなきゃ文句はでない。具体的には、部屋に帰ったらまず風呂に入ってしまう。

KAN

完璧にできることなんてない。
いつも死なないようにだけ気をつけて、目の前の仕事をいっしょうけんめいやればいい。
大事なのは人に勝つことではない。
わたしが死なないこと、その次に、快くあること(わたしがわたしを大事にできていること)が重要だ。
プレッシャーに潰れて、眠り続けるのはもったいない(でも、そういうときもまた来るだろう、死んでなければいい)。
負けないこと投げ出さないこと…みたいになってしまった。
でも負けても投げ出しても、目の前のことをまたちゃんとやるのが大事なんだよ。

どうせ忘れるけど別にいいや

考えて考えて、「1日をやり切る」「目の前のことをちゃんとやる」というラーメン屋の標語みたいな結論に至った。
長い長い回り道だし、また私はこの言葉に囚われて、経緯を忘れて、無理をしてしまうんだろう。
どうせ忘れるけど、自分の思考を記録しておこうと思って書いた。あとで読み返して気がつけるといいけど。