年末年始からの近況

新しい仕事

新しい仕事が週明けから始まる。
ブランクが1年ちかくあるので、自分がうまく社会へ戻ってゆけるのだろうか、という不安感が強い。
慣れない場所で、慣れない仕事をする。失敗を必ずするだろう。それは織り込み済みだ。また落ち込むのが怖い。

ストラテラ40mg・約1ヶ月

2017年11月22日からストラテラを飲み始めた。
2017年12月6日から、10mgから40mgに増量。
夜に飲むとテンションが上がりすぎて眠れなくなる、
早朝に目が覚めてしまう、
頭がギンギンになって動ける以上に動いてしまう、
などの作用もありつつ、基本的には、以前より動けるようになって、ダウンすることが少なくなったように思う。
ここ1〜2週間ほどは、上に書いたようなこともなく、適度に動けつつ、ときどきはダウンしつつ、頭がはっきりしている。
生理のせいか、リズムの乱れのせいか、朝の目覚めはすこし悪くなった。
それでも、冬にしてはよく動けている。そう思う。

友達との飲み会で、みんなの話を黙ってきいて、間合いを図っていたら、
今日は普段よりしゃべらないね、と驚かれた。
それから、酒に酔うことがなくなった(そういう人もいるという)。
たぶん、酔わないなーと調子に乗って飲むと、酔って失敗すると思うから、それに一番気をつけないとならない。

飲む時間は、眠る前の0時くらいに落ち着いた。
眠る直前に、眠剤と一緒に飲む。
こういう記録はつけておかないと、あとから振り返りづらいので、記録しておく。

初めての帰省

今年の年末年始は初めての帰省もあった。
初めての場所、慣れない布団、慣れない人、慣れない台所、慣れない飛行機、とても疲れた。
だけれど、得るものがたくさんあった。
同居人の親族には、会うたびに得るものがある。
皆、まっすぐに自分の人生を生きて、それを全うしているからこそ他人の人生にも寛容なひとたちで、人生に指針をくれる。本当に尊敬できる。
兄嫁よりも動作のノロい自分に落ち込んで、いろいろやろうと思うのですが、体が思うようにならないタチですみません、と卑屈にこぼすと、あなたはそうして素直なところがいいところなのだから、何も気にしなくていいし、できるだけのことをしてくれればいいし、そのままでいい、ここにきたら何も考えなくっていいのよ、と大叔母にあたる方が言ってくれた。
同居人の父上も、あなたはあなたのままでいたらいい、失敗もするだろうし、落ち込みもするだろうけど何も変わらなくていい、一生懸命やればいいし、困ったら助けて!と大きな声で言えばいい、と言ってくれた。
わたしは本当にこの人たち家族が大好きだ。
自分の親を親と思えないから、こうした人たちと結婚によって家族になれることが本当に幸運だと思う。
そう思うにつけ、だけど本当の親から真摯に向き合ってもらえたという実感は、今後一生得られないまま死んで行くのかとも思う。
たぶんその通りになるだろう。それが私の変えようがないかけがえのない人生なのだと思う。

母への視線

大晦日の台所で、大叔母に親のことを語るなかで、突然気がついたことがあった。
洗い物をしながら話しているときに、突然ブレイクスルーがあった。

母は、たぶん相当な苦労をした人なのだろう。
物心ついた頃から、彼女は人生とは不如意で理不尽で、我慢と忍耐と努力でやっていくものだと思ったのだと思う。
そして、今だにその苦労の果実を得られていないと感じているのかもしれない。
だからわたしにも、人生とは不如意で理不尽だけれど、我慢と忍耐と努力をしなければならない、と教えてきたのだろう。
努力しても努力しても、まだまだ、と言われ続けたのは、彼女自身がそうだったのだろう。
ふと、そう思った。
自分と同じメソッドで、娘が成功すれば、自分自身の成功として、彼女は自分を認められると考えたのだろう。
いつまでも承認に飢え、自己を拡大してゆこうとする、かわいそうな人だ。
かといって、許す気は全然ないし、彼女自身の人生を認める懐の大きさは少なくとも今はない。

それでも、想像はできる。
帰国子女として、物珍しがられ、1年生を2回やり、言葉に不自由して、文化にも衝撃を受けて、女性の社会進出とか国際化とかそういうものを担わされて、我慢と、苦労と、忍耐と、努力をして人生をやってきたのだと思う。
社会や世間、それから自分の母親(わたしの祖母)に自分の生き方は間違っていないのだ、わたしは成功しているのだ、と示すために、結婚と出産をやった可能性がある。
なんだかんだ、父の言うこともいつもきいている。
最近、90年代の女性の社会進出に関する数字などをみて驚いた。自分たちが生まれていた時代でも、こんなものだったのだ、と。
そう思うと、母は仕事上も相当な苦労をしただろう。
彼女が生きたかった未来を易々と掴めるわたしが、それを掴む努力をせずに生きているように見えていたのだろう。
他人が自分と同じ苦労をしないで済むことにも、苛立っていたのかもしれない。
よく似た性格だから、そう想像する。
だけど、やっぱりそれは親の態度ではないし、許せない。自分の子供にも同じことをしてしまったらどうしよう、と思う。

とにかく、そういう考えが初めて、自分の中に生じた。

バッチ処理より逐次処理

それから、大叔母のいる本家のモノのない風景は、やはり衝撃的だった。
食事をしたらすぐに片付けて洗い物をする。
行動のひとつひとつにすぐ逐次的に処理をする。
不要なものはどこにもない。
普段から使わないものは、きっちりとしまって管理されている。
飾りものもあるけれど、簡素で、空間を居心地よくするためにある。

同居人との同棲の時に、わたしはモノを相当捨てた。
だけれど、まだまだ足りないな、と感じた。
モノを捨てるには、持たないには、どうしたらいいのだろう?と感じて、いまそういう本を読んで、モノを捨てている。
いらないものが本当に山ほどあって、家の中がゴミ袋だらけになった。
ミニマリストになるのはなんかダサいな、と思っていたけど、これは結構ハマりこんでしまうかもしれない。