母メール

新しい仕事

1月9日から新しい仕事を始めた。
新しい仕事は面白い。楽しい。立って笑顔をしているのは楽しい。
つくり笑顔をして声を出して動いてると、脳みそから何らかの物質がドバドバ出てきて楽しくなってしまう。
難しい人はいるが、デスクワークではないので、ダメな時もタイミングを待ってその場から逃げ出せる。
高校生の時、ブックオフでアルバイトをして良かった。
あのとき、若さに叩き込んだニセモノの接客仕草が、わたしを助けてくれる。
ニセモノの笑顔をしている間は、人生のことは考えなくていい。休憩時間みたいなものだ。
お金が介在しないでは、なかなかこうなれない。

祖父と婚約者を会わせる

母からまた盛り上がったメールが来ている。
年明けには祖父と婚約者を会わせる、という話があって、母は祖父に認められたくて飢えているから、ポイントが稼げる行事にテンションが上がっている。
わたしだって、ちゃんと祖父と婚約者を引き合わせたい。
むしろ一刻も早く話してあげたい。
だけど、祖父が興奮しないように、年明けにしてほしいと母たちから頼まれていたから、待っていた。

その上で、母がまたわたし中心ではなく、母の思い描く通りに物事を動かそうとしてきたと、わたしは感じて、無力感に襲われてしまった。

わたしは道具

わたしは、ライフイベントの度に「わたしは母が世の中に見せびらかすための道具だ」と感じてきた節がある。
わたしのことなのに、わたしがいつも置き去りになっている感じがする。
わたしは、寂しい。
わたしは、愛されてると感じたかった。
わたしは、わたしが怒ったり悲しんだり疲れたり困ってることを、受け止めて向き合ってほしいと思ってきた。
わたしが怒ると、悲しむと、母は背中を向けるか、答えられなくなるほど大きな声で怒鳴るか、あなたに責任がある!というもの言いをする。
わたしはスゴスゴと部屋にこもって、翌朝には何事もなかったことにされる。

自分の本当のこと、本当の気持ちを言おうとすると涙が出てきてしまう。
わたしの気持ちなんて口に出すべきじゃない、と感覚的に思う。
怒っているとか、困っているとか、助けてほしいとか、言っても跳ね返ってきて、ムダなのだから。
(母によれば)そういう状況に陥ること自体が「事前に対策を講じなかった能力の足りないあなたの責任」なのであり、「全部自分で対処できるようにならないと『ダメ』」なのだから。

祖父や周囲に認められそうな、喜ばれそうなライフイベントはいつも、わたしはお道具みたいになってなんにも思い通りにならない。
わたしを祝おう、わたしを励まそう、認めよう、喜ばせよう、そう本当に思われていると思えたことがない。
父母が、どう自分を世の中にみせたいかの演出の道具のようになってきたし、その通りにならないと怒鳴られたり失望されたりお金をもらえなかったりした。
愛情はいつも条件付きだ。それに舞台がないときは道具部屋で放り投げられてる。

虐待された犬と同じで、手が振りかざされる動作をみる度に過去に戻り、叩かれることをイメージして怯えてしまう。そのあと撫でられるとしても。
新しい飼い主に、何度も何度も撫でられて怯えず撫でられることを覚えようとしてる矢先に、昔の飼い主がまたひょこっと顔を出すような感じ。

だからたとえ、そんなことをひとつも母が言っていなくても、
わたしに十分確認をしないで物事を進めようとされるだけで、拒否反応がでて頭が真っ白になる。
もうわたしの人生に触らないでほしい、そう思って混乱してしまう。
そういう自分が母そのもののようにみえて、さらに訳が分からなくなる。

時間を一時停止したい

ずっと動悸がおさまらなくて、婚約者にも当たり散らした。
わたしはいま、わたしの思い通りにならなくて怒っている。
結婚までにやらなければならないタスクは山積みだ。
部屋には服がごちゃごちゃと片付けられず溜まっている。
優先順位をつけて片付けないとならないが、片付けられない。
シフトがいいようにならなくて、病院もうまく通えない。
仕事している間は、考えなくていいのに、休みになった途端一気に押し寄せて混乱した。
疲れた。時間を一時停止したい。そういえば昔もよくそう思っていた。
一旦すべての出来事に止まってほしい。
つかれた。