コントロール

ここの記録を読むと、結婚をしてから親に対する気持ちはガラリと変わった。
もうわたしはこの家の娘ではない、他人である、夫の家のだいじな娘(嫁だけど)である、という気持ちが、過去の因縁を和らげてくれた。夫の家のひとたちの家族であることは、誇らしい。

それはそれとして、仕事に自信が持てない。
真剣味が足りない、と言われているが、役所の仕事の感覚が抜けない。というのも言い訳だろうか。言い訳だ。
なんか適当に生きていければいっか、という気持ちで働いているからかな。キャリアの見通しも特にないし、社会的な意義もないし。職場に尊敬する人も特にない。子を持つつもりもない。
ただわたしが働くのを辞めたら家計が成り立たなくなる。
自分の仕事ぶりにかなり自信を喪失している。この後におよんで「自信」を喪失して、他人からの評価ばかり気にしているわたしはほんとうに自分のことしか考えられておらず、そのことにも落ち込む。
自分のことをうまくコントロールできていない、と感じる。
自分をコントロールできていないとき、他人を振り回しコントロールして補おうとするメンヘラっぽい気持ちがでてきた。
ちょうどよくコントロールできそうな他人がいたので、ついコントロールしてやろうかと下心を出したら、理性で打ち勝って達成されなかった。正しいことだ。
だけど女性に性的な冗談(冗談だとして)や婚期など人格や人権を無視して言及してゆるやかな性のはけ口にしておいて、自分だけ、他人から都合よく扱われることを拒否するなんて傲慢だなと思う。
そんなふうに思うこと自体が傲慢だけれど。

誰かに弱いものと思われたい。もしくは、とても魅力的で抗い難く何もかも投げ打ってもいいと一瞬でも思わせたい。
たとえそれが社会的規範を逸脱していたり、人権を侵害して相手になにかを強いたりするものだとしても、他人を思うようにコントロールしたい。
と、いう、欲求がある。

夫は精神的にも身体的にも依存対象にならない。
夫のことはコントロールできない。とんでもない角度からわたしの依頼を忘れたりするが、それは愛情のなさではなく、その失敗はだいたいパターンが決まっている。わたしへの愛情には信頼がある。
だから依存にはならない。際限なく愛の不安を覚えて求める必要がない。
だから今更、わたしには、他人を試してコントロールするような関係の仕方をする必要はないはずなのだ、本当は。

いま、わたしは自信を喪失している。向き合うべきはその問題だろう。なぜ喪失しているのか、課題を探るべきだ。
だけど一度蓋を開けて情けない現実を直視するのが怖い。
どれも情けなく矮小な課題ばかりだ。