貧相なグレート・ギャッツビー(金曜日の老妻たちへ)

体調を崩し、実家に帰ってきた。
正確には、職場での疲労で調子を崩したわたしの介護にYが疲労したので、一度実家に帰ってきた。
自分の親に会うのは正月以来だ。
もてなされて、無限に食べ物を提供されてごろごろしている。

こうして帰ってきて、夜になるといつも思う。
この家はどこかおかしい。

上品な大理石製のタイルが敷き詰められた上に、犬の小便で汚れたペットシーツが無造作にあちこち敷いてある。
家の中はほとんどタイル敷なので、足元から底冷えがする。
境目なくデザインされたリビングは、犬の侵入を防ぐためにあちこちにバリケードが設けられている。
この家を建てる時に両親がこだわりぬいて選んだ手の込んだインテリアに並んで、無造作にあちこち妙な棚や段ボールが積んである。
食卓の上は常になにやらよくわからない書類が積み重ねてある。
文房具の引き出しはいつの間にかいつもいっぱいになっている。捨てても捨てても、どこからか私が子供のころに使っていた文具がでてくる。
洗面所には、2人暮らしのはずなのに、なぜか歯ブラシが8本くらい出ている。
使いさしの歯磨き粉、デンタルフロス、マウスウォッシュがあちこちにあって、どれも使いかけだ。
ストックが詰め込まれているらしき棚を探ると、予備の歯ブラシが6本出てきた。
もちろん冷蔵庫も、常にパンパンに食べ物が詰め込まれている。

夜が更けてくればくるほど、だんだんと底冷えがするのか、具合が悪くなってくる。
滞在するうちにこの家に充満する汚れた空気、つまり、犬と猫の体毛、ふけ、そのほか排泄物の粉塵を長く吸い込むからかもしれない。

親はわたしを歓待してくれている。昔に比べれば弱ってもきた。
わたしが感じられず受け取れなかった愛情も、あったのかもしれないと思うようになってきた。

そうだとして、やっぱりこの家はおかしい。
人間としての正しい道を踏み外して堕落し、迷っている。
そんな風にすら思う。
生活のためにある家ではなく、欲と見栄のためにイメージで作られた間違った場所だ。

帰ってくるたびに増えるセンスのよい小物、植物、食器、洋服、etc,etc...
物は増えていくのに、本当に必要なものが何もない。
たとえば父母はいつもラルフローレンのシャツや小物をアウトレットでいくつも買って持っている。元値は数万するのに安く買えると毎シーズンのように何枚も買う。
それなのに、父母は安いものですら正式な喪服を一着も持っていない。
父に至っては父の母親の一周忌にグレーのスーツで出たはずだ。

この家はなにか生きるのに大切なものが欠けている。
大切なものだけが欠けていて、ほかのすべてがある。
資本主義の悪いところを煮詰めたような家だ。たいして華麗でもないグレート・ギャッツビー。
すべてまがい物だ。そして、わたしもこの家で育てられたまがい物の娘だ。
わたしは一見興味深い人間に見えるかもしれないが、それはほんの表面のメッキで、本当に大切なものはなにも詰まっていない。

この文章を書いている間、呼吸がどんどん苦しくなって咳が止まらなくなった。
なにもしていないのに、突然吐いてしまった。(空の胃袋が歓待されて疲れたのかもしれない)
さいきん弱気になって、実家に帰ろうかなと思うときがあった。Yとも別れて、一人になって、実家に住んでアルバイトでもしようかなだとか、Yを連れて実家に帰って、二人で寄生してしまおうかなとか。
帰る度にわたしはその考えを捨てる。わかっていてまた忘れるのだけど。
この家は何かがおかしい。
オカルトなのか環境要因なのかわからないけど、とにかく絶対にこの家にいてはいけない。
時々はこうして帰ってきて、この家のおかしさを体感して気を引き締めなければならない。