H&Mがあってよかった

思い出した話。

5年位前、体重が60キロを超えていたときがあった。
わたしの体格は文章だけでは伝わらないけれど、約160cmの筋肉のない水っぽい身体つきで、健康に動けると感じる体重は50キロくらいだ。
62キロあたりを超えたとき、持っていたあらゆるボトムスがはいらなくなった。
それまでずっと痩せぎすとして生きてきたのに突然気づいたら太った身体になっていて、どうしたらいいかわからなくて途方に暮れた。
そのころわたしはひきこもりだった。着られる服がなくなり、なおさら外に出られなくなった。

その頃、唯一履けたのがH&Mのよく伸びるジーンズだった。きれいな紫色のローライズだった。
よく覚えていないけれど、わたしが履けるジーンズがある、ということが本当にうれしかった。
わたしには居場所がある、とさえ思った。
きっと、色々な服屋を探したり、努力をすればもっと着られる服はあったのだろうけれど、気力と体力が消耗した自分のアンテナにひっかかって、ひきこもりでも気にせず入ることができて、試着室のスタッフがドライで機械的で、というのがよかった。値段も安いし、ユニクロよりデザインも面白い。「若い女」っぽい服をそろえる指針に雑誌が必要と感じ、24歳には少し若すぎるとわかってはいたが高校生のとき読んでた「zipper」を地元の駅で買って、スタイリングの参考にした。
思えばわたしの年月は「zipper」から止まっていたのかもしれない。

そこから、H&Mに行きさえすれば服がある!と学んだ。タイトスカートの流行りに乗じて、よく伸びるタイトスカートもたくさん買った。値段が高くないから、アルバイト代を費やして、やりたい服装は全部やった。
あれのおかげでわたしは、「お尻がとにかく大きくてだらしなくてちょっとセクシーな女性」という雰囲気に(自分なりに)もっていって、音楽のイベントに堂々と遊びに行くことができるようになった。
身体のラインがでている服を着ていると、クラブカルチャー寄りのわたしの遊んでいた場所では、軽い敬意を示す意味で「いいスタイルだね」と挨拶をしてくれる。返事は同じでいい、「あなたこそ素敵な帽子ですね」とか「いい髪形ですね」「さっき楽しそうにしてましたね、最高」でいい。そのコミュニケーションならわたしもできた。あなたは美しい、と、その人のいいところをみつけて声をかけるコミュニケーションは心地よかった。わたしには居場所があると思った。
そうやって遊んで暮らすうちに体重は適度なところに落ち着いていって、わたしの生活や精神も少しずつ落ち着いていった。

H&Mがあってよかった。
ジェーン・スーの対談本を読んでいて、「子供のころから体格が大きくてはいる服がなかったが、アメリカにいったら自分より大きい人がいたり、Lサイズがたくさんある、ここでは生きてていいんだ、という自己肯定があった」という話を読んで思い出した。
服なんてたかが布なのに、社会との接触にとても必要なものだ。
イチジクの葉、とか話が広げたかったことだけ書き留めて、今日は寝る。