2016.8.8 Mon. オリンピック

真夜中にテレビを点けて、遠い国でやっているスポーツ中継をみるのは安心する。この場で凝り固まって動けず何処へも行けずにいる私の焦りを、スポーツ選手は遠い国で淡々と、走ること、泳ぐこと、ボールを打ち返すことに集中してその身体を動かし続けている事実に託して安心することができる。

生活が崩壊しかかっている。先に書いたような焦りと不安な気分の存在がある。今の仕事は、合わない。一般的に言えばホワイトでクリーンな職場なのに、仕事も職場の協調性に溢れた雰囲気も、全て激しいストレスにしかならず、世間のひとたちに申し訳なく、わたしはなんてダメでわがままで贅沢なのだろうと思ってしまう。他で通用するのかもわからないが、この仕事は続けられない。世の中の全ての仕事で通用しないとは思わない。本と接客にまつわる仕事はどれも好きだった。ただそうした仕事に就くなら収入は落ちるだろう。

仕事と、転職を考えていることのストレスが回りまわって、食事に現れている。マクドナルドを食べて自宅で塩ラーメンを食べる。しばらく米も炊いていないし野菜も食べていない。

実家には帰りたくない。実家に帰って親と暮らすことだけは考えられない。こういうソフト貧困の構図はそこかしこで見かける。実家には帰りたくない。それだけ聞くとわがままのようだけど自分がなってみると切実だ。親を呪いながら恨みながら一緒に暮らすのはかなりキビしい。自分の人生を、親を呪い恨むことに費やしていることも悲しくなってまた気が沈む。引っ越す前は1日平均3時間は親を恨んで過ごしていたと思う。いまは週に1時間くらいだ。ただ、その分今夜は少し自死を考えている。