読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

2016.8.26 スピリチャル

スピリチャルは論理だ。

美容院に行くとファッション誌の占いのページは必ず読む。「そういうもの」には注意して近づかないようにしているが、指針があるのは助かる。だから美容院へ行った時だけ占いのページを読む。

この間読んだan・anの占い特集はすごかった。数ページに渡ってびっしりと表。なんらかの数式で生まれ年別、月別にナントカの数字を導き出しているから表から探して自分がどのタイプかを知りそのタイプの占い結果を読めとかそういうもの。

 つまり、人間の運命なり人生なりを、ある何らかの論理で数値化し、分析し、そこからタイプを分類し、またその運命をそれぞれに導き出す論理、数式が占いにはあり、またそのことが占いに根拠を与えているということだ。

だから、スピリチャルは論理だ。わけのわからないもの、例えば茫洋としてつかめない人生のようなものを、分析して意味のわかるものへと変えてゆく。そしてその論理が正しいか正しくないかは、それを信じた人生が終わってみないとわからない。けれど信じるもののある人生はそうでない人生よりたぶん強い。だいたいの人は、わけのわからないものを怖がることに一生を尽くしているんじゃないか?

服部み◯いさんという人がいて、このひとは、ゆるふわ冷えとり薬膳アーユルヴェーダ、っていう感じの、スピリチャルとオーガニックとかロハス、ナチュラル、古くはヒッピーのひとたちのああいう感じをゆるく繋げてオシャレにしたようなことを書いているひとなんだけど、この人の本を自分はけっこう面白く読む。

だいたいのスピリチャルは「高次の自分が」とか言い出すからすぐ警戒心が湧くのだが服部さんはそうした行動(冷えとりとか)を取る原理を「だってそうすると自分が気持ちいいでしょ?」というし、「そう思えないときもあるし、できなくても大丈夫だからね」という語り口なのが読みやすく、またそういうところからズブズブ行くひとは言ってしまうのだと思う。

ただこうした読みやすく抵抗がなく取り入れやすいところからスピリチャルを見ると、本当につくづくそういうものって論理でできている。

引き寄せの魔法、みたいな本はたくさん出ている。「引き寄せ」というのは「自分が欲しいと願うものをきちんと具体的に描き、願うことでそれを引き寄せることができる」、ざっくりいうとそういう論理だ。

そしてそれは「高次の〜」とか、「そういうエネルギー」によって起こることなんだ!と説明するところが多い。私はイヤイヤ違うだろ、そこは、と、思う。

「◯◯さんは、恋人ができなくて、自分がどんな恋人がほしいか具体的に思い描いてそのひとが年内に現れる、と考えることにした。そうしたら本当にその職業、年齢、性格のひとがまさに現れたの!」

イヤイヤ、それは、そのひとが自分の欲しいものの条件を具体的に自分で認識して、そしてそういうものが訪れるとすればどこだろう?と考え選んで生活したことで得られたことでしょ、という。

人間って自分のほしいものがよくわからなくなる生き物だ。洗濯もしたいけど昼寝もしたくて結局眠らずゴロゴロしてしまうとか。

(そういえば「自分のほしいものがわからないやつは死ぬべきだ」と村上龍が書いてた)

理想の相手が現れた時に、きちんとそれが自分の理想の相手だと瞬間で認識し、捕獲することは意外と難しい。でも理想を具体的にしておけば、そういう条件下にある人間をみかけたらパッと手をだす初動が早くなる。そういうことだ。

こういうスピリチャルの論理は自己啓発本と同じだ。そして鵜呑みにしなければまあまあ役に立つ。

どこが自己啓発本と違うかというと、そのエネルギーは「自分の努力」とかではなく、「高次の」とか「オーラが」「神が」「先祖が」とかそういう、自分ではない、また自分の力の及ばないものである、という設定で、つまりそれは自分の責任において行われたことではなく自分以外の力だから失敗しても自分にはどうしようもない、また信心が足りなかったのだと思える、自分の能力のための失敗ではない、ということは、またそこで救いというか、癒しだからだ。

わたしはそういうことに頼ってしまう人間だと思う。つまり、自分以外に責任転嫁をした上でなんらかの成果は得たいと思ってしまう人間だ。

だから、スピリチャルなものには注意している。

だけど、美容院では占いのページを必ず読む。