2017.01.05 Thu.

仕事初めだった。くたくたになってしまった。

年末年始の休みで久々に自分を取り戻してみると、やっぱり自分はこの仕事に心底興味も愛情もないということを改めて感じた。同居人と一緒に暮らす部屋では、自分はどんな細かなことでも覚えているし、比較的すぐに行動することができる。同居人本人がどうして部屋にあるのかわからない歯ブラシは、夏に旅行したときにちょっと使った歯ブラシを同居人が置いているのをわたしはわかっているし、同居人が喜んだり楽になると思えば少し早起きして洗濯2回転して朝ごはん作って掃除をするのだって苦にならない。

仕事ではこんなに言葉に拘るわたしが、文言をいちいち間違える。本当に苦しい。けど、もうやめるんだな。もっと早く辞めることにしてしまおうかな。

昨日、居酒屋で結婚など具体的にこうこうできたらいいね、という話をして、何をするにもまずは生計を立てなければならないと思った。だけれど、自分がまともに生計を立てていく術はあるんだろうか。

元の部屋にあった本をまとめて売りに行って、疲れて、いろいろなことを考えながら、いつもと違う道を通ったらすこし迷ってしまった。平たい、つま先の寒いパンプスでひたひたと寒の入りが訪れたアスファルトの上をうんざりしながら歩いてようやくわかるところまで来たら、取り壊された自動車ディーラーの空き地ごしに、自分ともう一人の住むアパートがみえて、かわいい形の窓に蛍光灯の灯りが光っていて、人が待っていてくれるのは嬉しいことだと思った。今夜はカレーを作ってくれると言っていたんだった。昨日から干しっぱなしの洗濯物の影のある、あの左から2つ目の窓がわたしの窓だ。

洗濯物はあとで取り込もうと思った。

よれよれのわたしが作ったマリネ風のサラダはいまいちだったけれど、それも笑えるこの生活が好きだ。ぐにゃぐにゃとして風呂に入ろうとしないわたしをなだめすかして風呂に入るようにさせてくれた。

昨日クリニックに行ったとき、担当医が、「sさんの生活が改善したのは薬のおかげじゃなくて、薬で身体の影響をとって、あれもこれもできる、大丈夫、という風に身構える部分を取っていったからなんですよ。薬のおかげじゃなくて、sさんが自分を変えようとして行動したからよくなったんですよ」と、『ヘルタースケルター』で医師が「りりこ」に語りかけるように話してきて、面白かった。でも、たしかにそうだった。この担当医のことも最近実はなんとなく胡散臭いと思っていたけれど、この人はこの人の仕事をしているのだし、まっとうに力になってくれているのだ、事実として。被害者意識を持つのはやめようとおもった、そしてまっとうに人を嫌いにもなろうと思った。ひとに勝手に期待したりするのもやめよう。そうしたら、もう少し今後の転職先では楽になるかもしれない。

上司を好きになれたら、もっと仕事を頑張れただろう。だって私は事実、同居人のためならなんでもできるのだから。

昨日飲んだ後、同居人がボブスレーのようにスムーズに布団に飛び込んで即眠っていたのが面白かった。同居人のことをひとに話すとどうしてものろけになってしまうから、反感を買わないために、いつも言いすぎたなと思ったら「いいやつなんですよ、デブなんですけどね」と付け加えていて悪いなと思う。でも築地市場のマグロみたいなフォルムだ。そこのところもまた好きなのだけれど。