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2016.03.04 Sat. 消去法のポジティヴ

一昨年の年末はtofubeatsのアルバム「POSITIVE」をよく聴いていた。

POSITIVE

POSITIVE

「いまここに存在していないものへの根拠のない期待をしなければ、キツいいま現在をやってゆけない」
「ちょっと気晴らしして誤魔化して発散してどうにかやってゆこう」
「忙しい、制約を感じているがどうにかやるしかない」
「夢、理想はあるがなかなかそうもいかない」
「報われると信じられなくても信じてゆくしか方法がない」
「各々の現実があるが各自うまいこと闘ってゆこう」

このアルバムは、こういったニュアンスの歌詞が繰り返し繰り返し歌われる。しんどいがどうにかここを乗り越えよう、どうにかここを踏ん張ろう、楽しいこともあるから、各自やってゆきましょう。成功や幸福が確約されることはないけど、それでもメゲることだけはしないでゆきましょう、そういう感じ。
同い年の知人が自分たちの世代について「僕たちは過渡期の人間で、そして、多くは報われることがないまま死ぬ世代だ」と述べていて、わたしがこのアルバムに感じる印象はすごくその言葉に近い。
仕事合わなくて毎日動悸が激しくて、でも実家に帰るわけにはいかなかった一昨年と去年の自分は、このアルバム全体に漂う、「前向きな諦念」が気に入っていたのだと思う。
ネガティヴにだけはなってはいけないから、消去法でポジティヴであり続けるしかない。とにかく挫けないこと、挫けたらおしまいだから。
「365歩のマーチ」も「負けないで」も「それが大事」も、言ってることは変わらないとは思うのだけど、どうも切迫感が違う。悠長なことは言ってられないのだ。わたしがしているのは、一歩でも後に退けたら元に戻るには倍の力がいる、前に進むためじゃなくて、とにかくこれより後に下がらないための戦いだから。後に下がったらおしまいだから。


いつの間にか、「POSITIVE」はあまり聴かなくなった。
表題曲の「君には期待したいし」というフレーズが不吉でイヤになった。
だって、「君には」ということは、「君以外」がいるのだ。過去期待を裏切った誰か、または、もっと期待ができそうな次の代替案の誰かが。「期待したいし」は、まるで、期待が裏切られることを予期しておくことで、事前に自分を慰めているようだ。
そんな「期待」は虚しすぎる。過去のことをいつまでも引きずって最初から諦めて、「期待したいし」なんて、まるで自分のことしか考えられていないときの自分の傲慢さのようだ。最初から諦めて、そんなのにはもううんざりしていた。
過去の異性関係をすべて整理したタイミングでできた新しい恋人には、そもそも、なんらかの期待すらしていなかった。よくわからないまま付き合って、なんだかよくわからないまま、楽しく愉快にお互いを知り合って生活が続いている。いまも期待はしていない。相手がどこまでできるか、どう考えるかの実測値を把握しているから、実情を超えた「期待」なんてする必要が無い。言う必要が無いほど根っから無条件に信じているし、裏切られることはないから。

今夜は、けっこう試行錯誤したiphoneの復元がほぼ無理そうだとわかって、久々に「君には期待したいし」というフレーズが頭に浮かんだ。
この記事を書いていたら少し疲れた気持ちがまぎれてよかった。
「今日は踊ってください 未来には期待したいし」って感じで今日はもう眠って、明日同居人によくみてもらおう。