2016.10.15 Sat. 社会の圧

元気に仕事ができた一日だった。

漢方を飲み始めて4日目、ワイパックスは飲んでいないが、動悸がしないので何をするにも素早く動ける。動悸がするかも…と動くのをためらう時間も省略できる。(動悸がすると、動悸がしないようにゆっくり動くことしかできないし、動悸がしたらどうしようといつもビクビクしていた。)

薬が効いているのか、薬を飲んだぞ!というプラシーボが効いているのかはわからないけど、明らかに穏やかに元気に過ごせた。閉館放送をする自分の声が、これまでにない明るいイントネーションで楽しくなる。ひとに優しくできている自分が好きだ。

自分は本当に自分のことが大好きだ。自分が認められる自分でいるとみるみる元気になる。

仕事が進む日も進まない日も、職場に反抗したい一心で、7時間席に着いているうち1時間くらいはYahoo!ニュースとか、自分の住んでいるところの区役所のホームページの採用情報とかをみている。さも「仕事に関連するんで…」と言い訳できそうなところを見繕うあたりが自分の小心さを感じる。今日は仕事が割と順調に進んで、あとは返事やタイミングを待たないとどうしようもなかったので、まあ先回りしていくつか片付けておいてもいいことはあるにはあるのを置いておいて、土曜に行きたいパーティーにもゆけず鬱屈とした気持ちを反抗心に注いで、30分くらいニュースをみたりチョコレートを食べたりしていた。

交際相手にプレッシャーをかけるような話題ではあるけれど、「結婚の曲がり角は25才、○○省調査」というニュースは思わず読んでしまった。25才まではみな「まだ若すぎる」「仕事ができるようになってから」と結婚せず、そのままアラサーを迎えると焦って結婚相手を探し始めるが、結婚相手の母数が半数近くに減っているため結婚へ結びつかない、というような調査結果だった。(25歳過ぎ結婚相手ぐっと減る? | 2016/10/15(土) 10:56 - Yahoo!ニュース

実際のデータをみていないからわからないけれど、このアンケートの本質ってそこじゃないのではないのに、何むやみに圧かけてんだ、とモヤモヤした気持ちになった。

どうも、この記事は「自由を謳歌したい=まだ若すぎる」、「家庭生活より自分の仕事に注力したい=仕事ができるようになってから」という独立自立志向から、いまのひとたちは結婚しないが、アラサーになると焦り始める、という結論に導きたがっているみたいだけど、「若すぎる=お金がない」「仕事ができるようになってから=給与が上がってから」が一番のネックで、その条件が整いはじめる25才以降交際相手を探すが結婚できない、その前から交際相手のある人たちは条件が整ったタイミングで結婚するから、前からパートナーのいない人はパートナーを探すところから始めるから余計あぶれる、という図式なんじゃないか。

自分も正直、「結婚したい!」という気持ちは無くはないけど、結局いまの交際相手と付き合って、そもそもどうして結婚したいという言葉が出るんだろ、と突き詰めると、①「老後もひとりはさみしい」

②「愛情の最大級の表現として『結婚したい!』と言ってしまう(死にたい=疲れた、と同じ)」

③「子どもを産むならリミットは30代前半で、そこから逆算して相手を確保しておく必要がある」

④「親を安心させたい・周囲にわかりやすいフォーマットとしてきちんとしたことを示したい」

という4つの理由だった。

見栄と自己中心的な打算じゃねーか!と自分でも引いてしまって、それから随分「結婚したい!」と、冗談や心がこもっていない発言でも言うことは減った。いまの交際相手とは穏やかに毎日暮らして行けて時々デートでもできればいいし、差し迫って子供を産むのでなければ、却って結婚は足枷として自分を苦しめることになりそうだ。結婚式とか結納とかそういう結婚にかかずらわるいろいろにはお金もかかる。またそういう手配をする気力も今はない。特に結婚にはメリットがない。

つい最近、地方自治体が「結婚相談員」を設けて独身者に結婚を手配するという記事や、それにまつわるいろいろな意見も読んでいた。地方自治体の結婚の取り組みというのは、要約すると「お見合いおばさんに当たるひとを公的に手配する」「公的な取り組みであればセクハラにならずにお見合いを促せる(?)」「結婚に対するイメージアップキャンペーンをする(いいね!結婚、みたいなポスターを貼る)」「都心に就職してスキルをつけた人間を結婚で呼び戻し地域愛を育む」みたいな内容だった。なんだかなあ。

結婚する人が減っている、少子化が進んでいる、20代が感じている理由は、上の世代のひとたちには見えづらいのかもしれないと思った。

「結婚、子育てにかけるお金がない」「結婚のメリットが社会的に認められて子供を産める以外にない」「時間的、経済的に余裕がもてない」「結婚して家庭を作る以外の選択肢が広がっている」こういう感覚は上の世代には体感的にわからないのだろうと思った。特に地方の議員だったり、役所の人間だったりには、こういう感覚は全くわからないと思う。本当に。

若者は勝手だ、と思いたい気持ちはわかるし、自分たちが古い人間だなんて誰も思いたくないのもわかる。だからこそ断絶が深いな〜と思った。

「自分たちは過渡期の人間で、今実現しようとしているなにかが成熟するときにはもうきっと死に絶えている」と、友人のhくんが言っていて、当時はイヤイヤ!そんなことないでしょ!こんだけ社会変わってるし!と実は少しは思っていたのに、役所の仕事みたいなことをしていると東京でもここまで考え方が古い人たちもいるということで絶望して、何度もその言葉を思い出している。

交際相手がこれを読んだら絶対また「圧が…」って思うだろうしごめんよって気持ちだけど、俺まずは君といられればそれでいいよって思ってるからこそ、「若者は結婚しない…」とか言われると、そういう環境にないのに圧ばっかかけやがって社会め、なんかムカつくなあって感じなんですごめんねごめんね。

帰り道、駅前の広場や公園のベンチで恋人たちが肌寒いのに触れるともない距離感で座っていたりして、ああ俺も週末の夜くらいは恋人と暖かい缶のココアとか買ってこうやって語らいたいのに、と思ったりした。

いまの仕事に就いた一番の理由は「アルバイトよりまともっぽい職歴と最低限まともっぽいスキルをつけたい」だったことを今日思い出した。当初の目的はもう果たせたなーと思う。条件の違うところへ転職したり文章を書いたりして、高望みはしすぎず、週末の夜は恋人や友人と過ごしたりパーティーにいったりお酒を飲めたりできるようになるといいな。

2016.10.14 Fri. ワイパックス

可もなく不可もない日だ。

昨日21時頃、将来のことを考えようとしたらすこし動悸がしてきたので、処方されたワイパックスを飲んだ。動悸はなんとなくおさまった。

ワイパックスの作用は12〜24時間ほど持続するらしい。今日は久しぶりに薬を飲んだ時独特の感覚がしていた。口の中が乾いているような、しゃべっているのに、頭で考えたのに口が追いつくのにタイムラグがある感じ。昨日つい夜更かししてこの日記を書いてしまったこともあって、眠たくて仕方なくて午後は少し寝てしまった。仕事中に寝ている時の自分の顔、周りから見るとどんな感じなのだろう。

薬を飲んだ時の「あの感じ」は気持ちが悪かったけれど、頭の中がモヤモヤモヤモヤしていたのはなくなった。よく書いて整理することができたのもよかったのだと思う。それと、「あの感じ」を思い出したことで、薬を飲まず普通に生活ができるようになってどんなに嬉しく幸せだったかを少し思い出せた。

次からは担当医に言われた通り、錠剤を半分や4分の1に割って調節して飲もう。でも、半分に割って飲むとして、もう半分の錠剤をわたしはぜったいになくしてしまうと思う、し、ナイフで割ったらパチーン!と弾き飛ばしてなくしてしまいそうだ。ピルカッターというのもあるとはきく。メンヘラのひとはだいたい薬とかそういうことに異常に詳しいから、またあの障害者手帳を持ってる先輩とかにきいてみよう。

先生にはっきり治療方針を示してもらえたことが、信頼関係を築こうとしてくれていると感じられてとても嬉しかった。昔通っていたところでは、わたしがどんなに副作用の辛さを訴えても、診断も薬の量もかわらず、なんのためにこうして金を払って薬を飲んでいるのかわからないけれど、それでもとにかく辛いことは変わらない、という毎日だったから。

「もっとよくなると思いますよ。最終的にはまた薬なしでもやってゆけるような形を目指して治療してゆきましょう」という言葉がとても嬉しかった。

「好きなバンドがいて…薬を飲んでるとお酒飲めないじゃないですか、だからほんとはやっちゃいけないんですけど薬やめて…それから後は元気に暮らしてましたね」って言ったら、すこし笑ってくれたし、「統合失調症じゃないし、副作用が強くても処方が変わらないのはおかしいから、通院と薬をやめたことは正しい判断だったと思う」と、本当は精神科治療医からは糾弾されてしかるべきような行為も肯定されて、それはテクニックなのかもしれないけど、安心できた。

次の通院で、年度末に退職したいと上司に伝えていいかどうか、担当医に相談してみたい。本当は今日にでも言いたかったけれど、家族でも恋人でもないひとからの意見を一旦聞いてからにしようと思う。

2016.10.13 Thu. ジンジャー石鹸の匂い

「何をしようか、どこにゆこうかとオロオロしているうちに終わってしまう日」だった。

異様に眠くて、夕方4時まで寝てしまった。眠たいと思う時にすきなだけ眠れるのは幸せなのに、損した気持ちになってしまう。

吉祥寺へでかけて、フライングタイガーで鉄製のマグネット付きのバスケットを買った。壁に貼り付けて、ついつい弄ってしまうiphone置き場とするためだ。冬用のブーツを下ろしたらくつずれしてしまったので、ダイヤ街のOSドラッグで絆創膏を買った。職場の吉祥寺在住の先輩に、吉祥寺で一番安い薬局は結局どれなんですか、ときいたら、イチオシでここを教えてくれた。なんとなく怪しいので入ったことがなかったけれど、OSドラッグはいろいろなものが安いだけでなく、買い物すると試供品のビタミン剤とか化粧水とかオマケをちょっとくれるところが好きだ。OSドラッグ渋谷店はそういうサービスはなかった。

今回オマケでもらったのは、韓国製のハーブ石鹸の試供品だった。この試供品がすさまじい匂いがしていて、ビニール袋の中からずっと匂い続けてくる上、匂いの種類が、わたしの嫌いなジンジャー石鹸の匂いと同じで辟易した。うちの父が深夜に下血を吹き出しながら玄関で倒れ、そのとき玄関に置いてあったのがジンジャー石鹸で、父の下血の壮絶な匂いと血の撒き散らされた現場、そしてそれをひとり、救急車に乗って両親がいった後に片付けていた自分の心細い気持ちが全部ジンジャー石鹸の匂いに結びついてしまっている。ゴミ箱を探したがみつからず、仕方なく吉祥寺アトレの花火の広場で荷物を整理するふりをしてそっと椅子の下に落として置いてきた。

このあいだのプチ帰省でわかったことだが、父は流行歌は全部EXILEJ soul brothersが歌っているものと思っているみたいだ。「あの、『君の名は。』?の?ぜんぜんぜんせからーって!じぇーそーるぶらざーすが歌ってるやつ?いい歌だよな」と言ってた。

2016.09.25 Sun. 足に合う靴

絶不調を抜けて、色々なことがうまく回り出した。

新しく足に合う靴をみつけられたのが、かなり大きな要因だと思う。

自分は、(普通の女の子/女のひとがみんな履いているような)パンプスは絶対に履けないのだ、と思い込んで生きてきた。

「歩きやすい」と言われているような、先の丸い平たいバレーシューズを履いてもつま先が痛くて耐えられない。一生スニーカーか、つま先の開いたサンダルか、ブーツしか履けない。

ずっとそう思ってきた。

だけどふとこの間スーツを着てきがついた、就活のころから使っているこのへちゃへちゃのスクエアパンプスなら全然足が痛くならない。もちろん負荷はあるけど、つま先は痛くなってない。

もうひとつ気がついたことがある。裸足のとき、他人の足と自分の足を見比べてみると、見比べたひとの足は中央にむかってアーチ型に指の長さがなっているのに、自分の足の指はほとんど親指をいちばん長い頂点の指として斜めに生え揃っている。

もしかして自分は、スクエアやポインテッドトゥなら履けるんじゃないか。丸いつま先の安全そうなものも履けないのに、あんなとんがった攻撃的なもの、履けるわけないと思って選択肢からそもそも除外して回ってたけど。

それに気がついた日、退勤後に吉祥寺で靴を売っているところを何件も歩いて回った。アンクルベルトがついていてチャンキーヒールなら、安定性も高いだろうし慣らし運転にはちょうどいいだろう。幸い今年の秋はポインテッドトゥの当たり年みたいだ。いろいろなところで色々な形、色、素材のものを履いて試した。サイズがなかったりして、結局キラリナの中にある靴屋で買った。何日か慣らしではいて、全く問題無い。

買い物をして気がついたことがまたいくつかあった。

・ピンク、赤、パープル、あとは黄色やオレンジみたいな派手な色の靴を履いてみたいという気持ちがある。

・服のブランドで売っている靴は、靴屋の安物より悪いことが多い。

・ヒールを履いて歩くと腰の位置というか、姿勢や骨の感じがまったくちがって、ちがった気分になる。姿勢がよくなる。

・ヒールが6cm以下のものなら、アンクルベルトの固定がなくても履けるかもしれない。徐々に試してみたい。

・パンプスは長時間履いても必ずつらくなるってわけじゃなかった。

・スエード素材の靴はのびがよいからはきやすい。

・靴が変わると本当に気分が変わる。

・靴に合わせて服が決まると、自分がしっかりしてくる。この靴ならこの服、この服に合わせてこの服、と自分のスタイルがなんとなく見えてきた。

いつだって高いヒールを履いて強く強く歩き回りたかったんだ。これでまた強い気持ちに戻れる。あーよかった!

2016.9.18 Sun. 離人感

昨日よりすこし調子がいい。

頭は働くようになった。

昨日はひどい離人感だった。もう本当に今日こそ死んでしまうと思った。やっぱりいつも通り死ななかったけれど。

大人だからそういうことをなるべく人に言わず、じっと眠って耐えられるようになった。相対的に昔よりもそうできるようになった。眠って起きればましになってることはわかってる。

毎回毎回今度こそ死ぬしかない、死ぬしかないという気分に負けて死んでしまう、と、思う。

だけどまた死ななかった。

で、多忙なタイミングの交際相手にそういうことをいって心配させたあげく負担をかけた、こういうこと人生で何度繰り返すのだろう。

何度繰り返すんだろう。だいぶうまくできるようになってきたと思ったのに。

気候とか気温とか仕事のストレスとか体調とかそういうくだらない外的な原因に作用されているだけのくだらない身体にこんなに振り回されてひとに迷惑をかけて情けない。

本当に死ぬ時はひと言も言わず死ぬんだろうか。

年をとって身体がもたなくなって死ぬんだろうか。

あまり自分が若くして死んでしまうイメージは持てない、永久に苦しみながら年をとって死ぬんだろうか、これからもずっとずっと苦しむんだろうか。

死にたい時、いつも本当に死んでしまうと思う。

誰かに不調であることを知ってほしい、そういう、相手の都合より自分の気持ちを優先させることでいつも迷惑をかけてしまう。

迷惑をかけて負担になって、負担をかけたのに生き延びて、じゃあ本当に死ねばわたしが死にたかったことは本当だと認めてもらえるんだろうか?せめて目にわかるように死のうとすれば、わたしが辛いことが、わかってもらえるんだろうか?そうやってまたループにはまってゆくのはもう懲り懲りだ。

 

まずは、どうして自分が不調になってしまったのかを突き止める。

体調、生活、気候、そういったことから洗い直して原因を判断して、遠ざけられる場合は遠ざける努力をする。遠ざけられないものに関しては、終わりがあるものだということを認識する。そして黙して回復に努める。不調はいつか終わる。

また、それでも不調に呑まれて他人へ負担をかけそうなときのために、ワンバウンドある場所へ、どうしようもない不調は吐き出しておく。

ブログや紙の日記を書く。即時性があって多くのひとがみるツイッターではなく、メッセージや連絡よりも伝わるのに時間的にワンバウンド置いて伝えられるものに書き出しておく。万が一本当にわたしが死んでもメッセージは残るから、言葉を残しておくこともできる。

それから、自分が不調であることがすべてに優先されてはいけないという認識を改めて持っておく。

他人には他人の都合があって、そのひとを尊重しようと思うなら自分の都合はその重軽にかかわらず、一度別のところに置いて考える必要がある。いまの職場にいるとひとの都合というものを軽視する習慣がついてしまってよくない。あと、不調の人間は最悪だ。楽しいことがあってもエネルギーが吸い取られてしまう。なるべく愉快に、自立して人生を営んでゆくのが一番だ。それが自分にも他人にも一番いい。

 

今回に関して言えば不調の原因は①仕事のストレス、②(ストレスでタイミングの乱れた)月経、③給料日前の切実な貧乏、④仕事のストレスで自分が変わってしまうことへの不安、⑤秋の気温低下、⑥気圧の下降、この6つが相互に絡み合ってる。

このなかで自力で変えられるのは、①仕事のストレス④仕事のストレスによる不安だ。それを変えれば②もよくなるかもしれない。

方法は2つある。

1つは仕事場で、わたしはあなたたちのやり方とは合わないので、違うやり方をさせてくださいと言うこと。実際にさせてもらえるかは未確定だ。具体的には昼はひとりでとって自由に過ごして、つべこべ言わないでもらうこと、また座席の配置を移動してもらうこと、それから新人向けに仕事のマニュアルをつくる作業をしてもいいと認めてもらうことだ。

リスクは、おそらくいまの上司はこうした意見は「わがまま」として受け取るだろうこと。その対策としては発達障がいの認定を受けて合理的配慮として要求する方法がある。

2つめは仕事を辞めること。次がみつかる、みつからないに関わらず仕事をやめること。

リスクは、経済基盤を失う可能性があること。最悪の場合実家へ帰るという手はある。もうひとつのリスクは転職に際してまたより一層大きなストレスを受けること。転職先もいいところとは限らない。

ここのところ、この2つを考えてはやめ、考えてはやめしている。1つめの方法をとっても状況が改善しなかったらどうしよう。2つめの方法をとってもまたひどい目にあったらどうしよう。そして、わたしはやはり社会に出られないのだと認識しなければならなくなったら、どうしよう。そう思って堂々巡りをしている。

上記2つと併用できる方法として、精神科へ再度通って治療を受けるという方法がある。

やっぱりそうするしかないのか、とも思う。

ひとつ、近場で悪くなさそうなところはアタリをつけてある。ただそこにも落とし穴があって、そこの医者とまた相性があわなかったらどうしよう、というものだ。

先への不安で身動きがとれなくなる。こういう事態から離れていた時期が少しあっただけに本当に辛くなる。もうあの頃の十全な自分には戻れないのだろうか、わたしはずっとこうした目の前にありもしないことで不安がって頭が働かなくなるとそのことへも気がつけなくなってしまうのだろうか(それとも、あの頃も十全ではなかったのだろうか)。

いまここにある人生をよくしたい。そう思う。そのために動けなければ意味がない。

新人向けのマニュアルをつくりながら、自分の中で退職日を決めておいて、退職する。それがいちばんよさそうだ。

2016.9.17 sat. 自由な身体

絶不調だ。

今の就職先は、わたしにとっては「人生の一発逆転」だった。

鬱病の大学生から、セクシーで陽気な本屋のバイトへセルフイメージを変化させた頃、私の身体はどこまでも自由だった。いまは縮こまってガチガチだ。

売れそうだったクラブシーン寄りのバンドマンと付き合って、渋谷の道玄坂のバーを手伝っていたころは、金がなくてもいつも遊びまくり、楽しく暮らしていた。そういうところに飛び込んできた補欠合格の就職の話だった。

本当に嬉しかった。ホワイトだし、これでみんなに胸を張れる。いつまでもなにをしているかよくわからないっていう見られ方もしなくていい。給与もこれまでよりいい。確執のある実家も出られた。

だけど、うまく言えないけど、なにもかももうダメだ。

自信をこんなに失って、もう自分を好きだったころを思い出せない。

音楽の友人たちとは疎遠になった。わたしは元々、つるむのが好きじゃない。苦手だし、好きじゃない。就職と同じタイミングで好きだったバンドの客層が変わり、残った知人たちはなんだか仲良くつるみだし、インターネット的クラブシーンの「界隈」も入り交じれず、シフト的にイベントにもゆけなくなった。

好きな服も着られなくなった。昔は好きな服を109とH&Mでみつくろって買って、仕事では制服に着替えていたけどいまは無難なダサい服で出勤し、その上にこの世で一番ダサい制服を羽織る。座り仕事だと動かないので、これまでとは勝手が違う。暑くても動かないとなかなか汗をかかないので、火照ったままつらくなる。冷え性なので羽織るものは必須だ。座ってパソコンをしていると腹に食い込むのでスキニーパンツは履かなくなった。

すこし慣れても、あの牧歌的な空気には嫌悪感が強い。だけれど、夜の世界に顔を出しても、もう自分は「こちら側」の人間ではなくなった、と思って苦しくなる。

どこにも居場所がなくなった。

実家を離れて、わたしはお金の管理が本当にできないことが改めて分かった。このままじゃずっと自転車操業だ。

新しい情報は全然入ってこなくなった。家と職場を往復して、おばさまの有難い古い時代の話をきかされるだけだ。

このままじゃ、わたしもこんな時代遅れのおばさんになる。(そして若い男の人にセクハラじみたことをしたり、若い女の子にクソみたいなアドバイスしてマウント取ろうとしようとしたりするのか?)

もっと悪けりゃそのままホームレスになる。

さらにもっと悪けりゃ、家族や配偶者のお荷物になって何もできず部屋でぼんやり養われる人間になる。

それはイヤだ。そんなのはイヤだ。

だけど、どうする。父はもうすぐ退職する。わたしが踏ん張って自立しないと、親は安心できないだろう。そして悪ければまた、やっぱりあなたには無理だった、と言われるだろう。

だけど、もう、限界だ。学生の時もずっとこんな気分で、学校をでられて本当によかったと思っていたのに、学校みたいなクソみたいなホワイトで憎むところのない職場に苦しみを感じることに苦しんでいる。

どうしたらいいんだ?やっぱりわたしに社会は無理なのか?

そしてもしかしたら、障害者となるしか手はないのか?

もっと悪ければ、障害者とさえ認められず零落してゆくのか?

不安で不安で仕方がない。そんなことばかり考えてしまう。

どうして生きているのかわからない。交際相手に言えば心配させてしまうだろう。心配されなくてもわたしは死なないし、、だけど本当に死んでしまったら?と思うと、伝えなければと思って伝えた。死なないけど、、。

2016.9.17 sat. 人生の一発逆転

絶不調だ。

今の就職先は、わたしにとっては「人生の一発逆転」だった。

鬱病の大学生から、セクシーで陽気な本屋のバイトへセルフイメージを変化させた頃、私の身体はどこまでも自由だった。いまは縮こまってガチガチだ。

売れそうだったクラブシーン寄りのバンドマンと付き合って、渋谷の道玄坂のバーを手伝っていたころは、金がなくてもいつも遊びまくり、楽しく暮らしていた。そういうところに飛び込んできた補欠合格の就職の話だった。

本当に嬉しかった。ホワイトだし、これでみんなに胸を張れる。いつまでもなにをしているかよくわからないっていう見られ方もしなくていい。給与もこれまでよりいい。確執のある実家も出られた。

だけど、うまく言えないけど、なにもかももうダメだ。

自信をこんなに失って、もう自分を好きだったころを思い出せない。

音楽の友人たちとは疎遠になった。わたしは元々、つるむのが好きじゃない。苦手だし、好きじゃない。就職と同じタイミングで好きだったバンドの客層が変わり、残った知人たちはなんだか仲良くつるみだし、インターネット的クラブシーンの「界隈」も入り交じれず、シフト的にイベントにもゆけなくなった。

好きな服も着られなくなった。昔は好きな服を109とH&Mでみつくろって買って、仕事では制服に着替えていたけどいまは無難なダサい服で出勤し、その上にこの世で一番ダサい制服を羽織る。座り仕事だと動かないので、これまでとは勝手が違う。暑くても動かないとなかなか汗をかかないので、火照ったままつらくなる。冷え性なので羽織るものは必須だ。座ってパソコンをしていると腹に食い込むのでスキニーパンツは履かなくなった。

すこし慣れても、あの牧歌的な空気には嫌悪感が強い。だけれど、夜の世界に顔を出しても、もう自分は「こちら側」の人間ではなくなった、と思って苦しくなる。

どこにも居場所がなくなった。

実家を離れて、わたしはお金の管理が本当にできないことが改めて分かった。このままじゃずっと自転車操業だ。

新しい情報は全然入ってこなくなった。家と職場を往復して、おばさまの有難い古い時代の話をきかされるだけだ。

このままじゃ、わたしもこんな時代遅れのおばさんになる。(そして若い男の人にセクハラじみたことをしたり、若い女の子にクソみたいなアドバイスしてマウント取ろうとしようとしたりするのか?)

もっと悪けりゃそのままホームレスになる。

さらにもっと悪けりゃ、家族や配偶者のお荷物になって何もできず部屋でぼんやり養われる人間になる。

それはイヤだ。そんなのはイヤだ。

だけど、どうする。父はもうすぐ退職する。わたしが踏ん張って自立しないと、親は安心できないだろう。そして悪ければまた、やっぱりあなたには無理だった、と