衣替え

秋を乗り越える

秋冬は調子が悪くなる。昔からそうだ。
というか、夏以外はだいたい不調だ。夏だけはカーッと元気なので、夏が終わってまた次の年まで来ない秋の頃がいちばん辛い。

ファッションが苦手

ファッションはいつもわたしにとって悩みのタネだ。
わたしは、ファッションが大好きで、いろいろな洋服を可愛い、着てみたい、と思う。
ただ、服を買う、着る、維持することには、わたしが苦手な「選択」や「判断」が複雑に関係する。

  • 適切な質と金額かどうか
  • 着心地のいいものかどうか(サイズが合い、チクチクしたり寒かったりしないもの)
  • 自分が着ていて気分のいいものかどうか(好みに合う、似合う、年齢や流行に合う)
  • 自分で洗濯して維持できるものかどうか(手洗いやクリーニングは不要か)
  • 部屋の収納に対して適切な量を維持する(買い過ぎではないか)
  • 季節やシチュエーションに合うものかどうか(着るシチュエーションが具体的に存在するか)

思いつくだけでも、買う、維持する、組み合わせる中にこれだけのトピックがある。

例えばわたしは、レースの生地が好きだ。
だけど、レースの生地の服を着るのは苦手だ。なんかスースーして体温調節が難しいし、着ていてしっくりこない。
安いし買ってみるか、と買うと、その着ない服がクローゼットを圧迫する。
透けてるレースのトップスなんて、クラブでぐらいしか着られない。
着てみてもしっくりこないし、デリケートなものだから手洗いがめんどくさい。
こういう訳でそのレース服は古着屋に二束三文に処分されることになる。
これでは採算が合わない。採算が合わない買い物をしたことに落ち込む。
特にメンタルヘルスが不調の時期は、選んだり判断することが難しかった。
だから、服を買うこと、その日の服を選ぶことが、好きなのに適切にできなくて本当に辛かった。

好みの服と着られる服

着られる服と、好みの服は違う。
そのことがわかってから、だいぶ楽になったような気がする。
わたしは体温調節が苦手で、皮膚や身体が過敏だ。
そこがダメだとすべてダメなので、服はまず着心地がよくて冷えなくて汗を吸うことが第一だ。
発達障害の人には、ダメな生地とイイ生地があるという人が多いそうだが、自分もそうだ。)
その中で、洗濯して維持しやすいものを。今持っているものに合わせて着られるものを。デザインの今風で、だけど若過ぎないものを。
まあ、今でも失敗は多い。それに体型がすぐ変わるから困りものだ。
クラブで遊んでいた頃の服は仕事で忙しかった頃にすべて処分してしまった。
遊びにも行けず牧歌的な職場で消耗して、むちゃくちゃ胸の形が出るtシャツとかを持ってるのがなんか辛くなって。

履ける靴

靴の問題も大きい。
靴さえちゃんとしていれば服装はけっこうちゃんと見える。
だけど女の靴は難しい。これも発達のせいなのか、なんなんなのか、大概の靴が合わない。
なので自然とスニーカーやサンダルばかり履くようになるんだけど、それではどうしてもカジュアルな服装になる。
さいきんどうにか他よりは長く履けるパンプスをみつけたけど、やっぱり1日歩くと相当疲れる。
HARUTAのローファーはなかなか良いんだけどちょっと買ったサイズが小さかったかもしれない。
靴は特に1日履かないと合うものかどうかわからない部分があるので、選ぶのが難しい。
とにかく、足元問題も少しずつ改善はしている。

女の服は難しい

秋は服装に困る季節だ。
服装で混乱するとすぐ調子を崩す。なので先手を打っていくつか服を買っておいた。
歩きやすそうなブーツやパンプスを出しているブランドをネットでみつけたので、Amazonで安く買うべきか悩む。お金を使い過ぎだろうか。
悩んでいるのはこれとこれ。

でもブーツは足首まであるやつがいいなあ。
もうすぐ衣替えだ。クローゼットの中の革ジャンの季節ももうすぐだろう。
この秋は早めに衣替えの準備をして、服装のことで混乱しないようにしたい。

ToDoの渋滞

やりたいこと、やるべきことが渋滞気味だ。
結婚のこと、結婚式に向けてのこと、仕事のこと、家計の管理、学校の勉強、部屋の片付け、自転車の譲渡、押入れの再整備、本の処分、秋冬の洋服を揃えること、カバンや靴が欲しいこと、ぬか漬けする野菜の調達、明日の献立、読みたい本…
ひとつひとつ分解したら 大したことはないのだろうけど、「仕事のこと」という、いちばん重要で、行動の結果でしか選択の正しさが測れない、また行動自体にエネルギーを使うパズルが立ちふさがって 渋滞している。
(朝になってツイッターで見かけたこれだ。ほんとに↓)
https://twitter.com/kaityo256/status/907194697411575813

動かなきゃ負ける

前にも書いたかもしれない。
同居人が高校時代まで続けていた剣道の話をきいていたときに、心に残った話がある。
「剣道の試合は、視界も狭いしむちゃくちゃ怖いけど自分から動かなきゃ確実に負ける」と同居人は話していた。
それをきいて、この人は見ていてヤキモキするほど臆病なのに、そうした経験をしていたから、大学受験や就職といった人生の局面で、自己実現のための行動を取ることが出来たんだ、と、思った。
だって、自分から行動できないと、確実に負けるんだもん。
ここでミソなのは彼が、「めちゃくちゃ怖い」とも語っていることだ。
この話が説教くさくならないのは、「恐怖は無い」でもなく「行動すれば必ず勝てる」でもなく、「恐怖心を克服できる俺はスゴイ」でもない。何するべき、とも言わない。
今日の自分への落とし前、と、怖くても動かなきゃ負ける、というのは、生活の中で時々思い出す。

不安の因数分解

物事をゆっくり考える時間が少しだけ欲しい。
絡まった不安を解体し、一つ一つのくだらない、具体的な事柄に分解してしまいたい。
小さな複数の不安が床下の埃のように集まってこんがらがって、綿ぼこりのような大きい不安になるのだ。そうなると、正体はみえづらい。
人間は、よく分からない物事が怖いのだ。だから不安は因数分解する。

要タスク管理

だけどつい二人でいると楽しくて、食事を作ったり家事をしたり家計簿をつけたり日記を書いたり映画を見たり話したり、楽しいことがたくさんあって、ついそれをやってしまってる。
外でやればいいのかもしれないけどどうしても人の目が気になって捗らない。家に帰ればコーヒー代もタダだし。
毎日生きてるだけで、楽しい。それはいいことだけど、もうちょっとピリッとしないとな。
毎日やること、臨時の仕事、中期的に繰り返すこと、長期的な事業、仕事でも生活でもタスク管理を上手にしたい。

「オ・ト・シ・マ・エ」

今日の自分にオトシマエ

さいきん心がけている、というか、心のなかで繰り返す言葉がある。
「今日の自分にオトシマエをつける」というのが、ソレだ。
大したことではなくて、その日使った食器はその晩のうちに洗ってしまうとか、
ちょっとだけ着て脱いで床の上に丸めた洋服が気になっているなら片付けてしまうとか、そういうことだ。
「あー皿が、明日でいいかな、ああでも、今日の自分にオトシマエをつけるんだった」と、頭のなかで呟いて、大概のことはそれでチャッチャと片付けられる。なんでかはわからないけど不思議だ。

できないときには、理由がある

それから、「自分にオトシマエをつける」という目標だと、他人に腹が立たなくていい。
同居人が食べたお皿の後片付けなんかしていて、本人はのびのび音楽やってたりすると、腹が立っちゃう時がある。
自分がやろうとしているのが「自分へのオトシマエ」だと思えば、自分で自分の仁義のためにやることになるので納得できる。
仁義っていうのは台所は清潔にしておきたいとか、洗濯は乾いたら畳んでしまいたいとか、そういう仁義だけど。わたしは相手のためにしてやってるのに!とか、なんでやってくれないんだろう!とか、そういう邪な気持ちが入って来ると、ムカムカしてできなくなったりする。

でも、全部完璧にやろうとはしないことがコツだ。
というか、その日のうちにオトシマエがつけられないときは、気分か体調に問題があるか、片付けたりするときのシステムに問題がある。
そういう日は寝る。
「オトシマエ」はつかないときはつかない。そういう日はしょうがない。

要件定義

「三つ子の魂百まで」とはいうけど、もう三つ子じゃないので色々なことをすぐに忘れてしまう。
「オトシマエ」の心がけもすぐ忘れてしまう気がしてる。

同居人の家族は、真っ直ぐ筋の通った人たちだ。
「家族を大切にする・その人にとって最良の道を応援する」というのを守っているひとたちだと思う。
「Yの将来や、相手のご家族のことを考えると不安で夜も眠れないけど、それでも応援してるから」と、素直に口に出せる信頼は、わたしの出会ったことのないものだ。
それも言葉だけじゃなく、本当にできる限りで応援しようと、色々と具体的な援助の話もしてくれた。本当にありがたいことだ。

あちらのご家族としては、本当であれば同居人にはわたしを養えるくらいにならないと、という考えはあるようだ。
ただ、わたしとしては、Yが自分一人を食わせていければよくて、私は私でやる。だけども、お互いに足りないところは二人で頑張ろう、支え合おう、そういう気持ちでいる、とお話しした。わかってもらえたと思う。
自分たちのわからないやり方や生活をする子供を見つめるのは、いかに不安だろう。だけど、それでも応援してくれる。

ポーズ

うちの親は、何を考えているのかわからないけど特に口を出してこない。
本当に何を考えているのかわからない。最近ではかつての勢いはすっかり鳴りを潜めて、大人しくなってしまっている。
そういえば昔から、大切な時に本当に芯から心配したり支えようとはしないで、表面でちゃらちゃらと口出ししたり、応援しているようなポーズを取るのはうちの親の得意技だった。
「困ったときはいつでも相談しろよ!」というので、必要な物を買うためにお金が欲しい、とか、病院に行きたい、とか打ち明けると、高いとか、あなたはだらしないからすぐお金を使ってしまうとか、ぐちぐち言いながらお金だけを出すのがうちの親だ。
何も応援しないで、あの学校はやめろとか、この会社は受けるなとか、こういう行動はするなとか、そういうことを言うのがうちの親だ。
自分のポーズのために、自分の気持ちの満足のために動くのが、特に母の動き方だ。
これまでに芯からわたしの背中を押してくれたことがあっただろうか。少なくとも思い出せない。
昔は台所に立つ母の背後でよくフライパンや包丁を握りしめていた。
早く死んで欲しいと思うことはなくなったし、これからも笑顔で家族付き合いはするけれど、一生許すことはできないと思う。たぶん。

許さない、忘れない、繰り返さない

ただ、両親のこれまでの態度は彼らなりの最善だったのかもしれない。さいきんそう思う。
今までの彼らの行動は、自分の人生で学んできた世界での正しさをわたしに選ばせようとする彼らなりの努力だったのだろうと思える。
いい学校に入ってお金持ちの子弟と付き合い、教養を養い、その教養や立場でいい会社に入ってガンガン稼ぎ、ガンガン使う。
それが彼らの「成功した自分たちの」「正しい」人生だったのだろう。
だけど時代は変わる。正しさに汎用性はない。わたしは特に変わり種だった。同じ正しさを示すのではなくて、わたしそのものをよく見つめて導く必要があった。
その努力をしなかった彼らを、一生許すことはないと思う。
どんな状況があったとしても、背景があったとしても、思惑があったとしても、優しくなっても、私が苦しかったことを一生忘れない。ようにする。
そうしないときっといつか自分の子供におなじことをしてしまうから。
忘れたくないと思う。

わたしでよかった

ただ、同居人のご両親が、同居人が私を養えるようになってほしいと考えていることは私をすこし驚かせた。
反対に、同居人を私が養うぐらいの気持ちでいることには本当にびっくりされたと思う。
私としては、東京で音楽をやって結婚して暮らしているようなご兄弟がいるから、生活のことは成り立てばいいくらいに思っているのだろうと勝手に考えていた。自分の周りはそういう人も多いし。
相手のご両親がなぜ、求職中の、わたしのようないい加減な女との結婚を後押しするのか少し不思議だった。けども、まあ、このことで、わたしが同居人と結婚するつもりなのは、本当にご両親にとっても僥倖なのだろうと感じた。
イヤラシイ言い方になるけれど、好き合っているのはもちろんとして、わたしは同居人の音楽活動に理解があって、全然お金がなくても気にしていなくて、まあ自活をしていた経験もあって、仲良く暮らせていて、見た目も(今は)変じゃないし、大学も出ているし、家族も社会的にちゃんとしていて申し分ない。
まあなかなかこういう娘さんはいないだろう。というか選んで出会うのも難しいだろう。自分で言うのは変だけど。
何より、本当に歓迎されているのがいつもわかるから不安はないのだけど。だから私はとても嬉しい。
私はこれまでずっと私でいて、私の人生を重ねてきて良かった。
それに、人生で一度くらい男を扶養に入れてみたいもんだ。就職活動、また頑張ろう。

実感のない喪中

今年中に入籍しようか、とか言って居たけど、よく考えたら今年は喪中だった。
うちのおばあちゃんは、わたしが中学生くらいの頃からかなりボケてしまっていたから、私の中では、随分前に亡くなったような気持ちでいた。
だから不思議な感じだし、忘れてしまっていた。お葬式もインフルエンザで欠席したし。おばあちゃん、ごめん。
この間おばあちゃんがわたしのために積み立てていた少しの貯金を受け取って、ボケる前のおばあちゃんのことを思い出せた。
庭のクチナシの白い花を手折って、洗面所で洗ってくれたけど普通に虫がついてた時のこととか、着ていた服とか、いつもしてた前掛けとか、リビングの座布団の色とか。
おじいちゃんもおばあちゃんも、もう居なくて寂しい。
私が生まれて、おばあちゃんがこの口座を、色々手続きをして開いてくれたのだろうと想像したら、生きていて元気なおばあちゃんのことが思い出されて寂しくなった。
だけどおばあちゃんはずっと前に亡くなったような気持ちで居たから、やっぱり今年が喪中だというのにはやっぱり実感がない。

肌とぬかと結婚生活と私

肌とぬか

前にも書いたかもしれないがシャンプーを変えて肌の調子が良くなった。
で、化粧落としを変えてまた少し調子が崩れてきた。
化粧落としは戻さねばならない。
化粧水も廃盤になってしまっているからまた振り出しだ。

女の肌とぬか床は似ている。
毎日ていねいに世話をみてやる必要がある。
だけれど手を入れすぎても良くない。
いいバランスを保つために何を入れるか、使うかはずっと試行錯誤だ。
安定したと思っても温度や外的要因で変化してずっと同じ状態ではない。

肌のレシピ(メモ)

いま肌や身体につかっているものはこんな感じ。
・シャンプー/リンス
ハーバルエッセンス body envy
www.the-seiyu.com
・化粧落とし
DHCニューマイルドタッチクレンジングオイル

DHC 薬用ニューマイルドタッチクレンジングオイル SSL 200mL (医薬部外品)

DHC 薬用ニューマイルドタッチクレンジングオイル SSL 200mL (医薬部外品)

洗顔料、ボディウォッシュ
牛乳石鹸 青箱
カウブランド 青箱 10コ入 (85g×10個)

カウブランド 青箱 10コ入 (85g×10個)

・ブースター(ごくたまに)
コーセー コスメデコルテ モイスチュアリポソーム・化粧水
コーセー ルティーナ ナノフォース オールバランサー・乳液
ちふれ 美白乳液・ファンデーション
MiMC ミネラルリキッドリーファンデーション
store.mimc.co.jp
(このファンデーションは本当に素晴らしく肌に合う。色も使い心地もすごくいい。)

肌の手入れには手間もお金もかかってイヤになる。
それから、安定的に手に入れるために、Amazonで買えるか、帰り道に最寄りの駅前で買える品物しか使いたくない。
ぬか床はもうちょっと適当で大丈夫だ。冷蔵庫で管理しているから大きくバランスを崩さない。
90年代か00年代くらいの漫画で、中年女性が冷蔵庫に入って若返るコメディがあった。
わたしもぬか床のように冷蔵庫に入れて管理されて安定したいとか考えてしまう。

毛やら傷やら

結婚式に向けて肌やら髪やらムダ毛やら傷跡やらのことを考えている。
できれば手首の傷の修正がしたかったが、どうも処置後半年ぐらいは新しい傷なので普通に赤くなるみたいで、かえって目立つかもしれないからやめておこうかと思っている。
でもこの機会に脇やうなじや腕の脱毛がしたい。
欲を言えば二重にもしたい。
自分の目の形は好きだけれど、どうしてもときどき腫れぼったくなる。
いろいろ考えることが多い。

「結婚して幸せに暮らしました」おしまい

今日は両家の顔合わせ食事会だった。
いい会になったと思う。
両親に話していて思うのは、やっぱり同居人と暮らすのは楽しいということだ。
家でお茶を淹れても楽しい。
西友に行っても楽しい。
道を歩くだけで楽しい。
色々同居人には思うところもある。だけど、まあ、お互い足りないところはあるものだ。
その瞬間の虫のいどころというのもある。
結婚が具体的になる前に、二人で暮らしたのは良かった。
良いときは楽しい。だけど、悪いときもある。必ずある。月経が毎月来るように、体調だったり病気だったり対人関係だったり調子を崩すときは必ずある(そしてわたしは月経で体調を崩すこともよくある)。
だけど基本的にはこの人といるのが楽しい。
そのことがわかったから、この人と一生一緒に暮らしてゆくのがよかろうとわたしは判断した。
色々もの思うときもある。トラブルだってある。病めるときも健やかなるときも富めるときも貧しいときも、まあ、それはそれで、ぬか床も肌も人生も、そういうことが起こるから、いつも弛まぬ努力をしてゆく必要があるのだ。

続・ゼクハラ問題

たぶん正式

婚約が一応正式になった。たぶん。
なんかビシッとプロポーズがあって、とかではない形だけど、私たちらしくて良いことだと思う。
なんとなく一緒に暮らして、楽しくて、なんとなく結婚というか今後もこの人と暮らして行く気持ちは固まって、親族に背中を押されてなにもかも不安定だけど結婚を決めて。
一緒に暮らして行く共同体として効率がいいのが家族で、それになることを内外に示すのが結婚であって、結婚というカタチをとることが別に目的ではない。
男女が一つに暮らすということの原義を体感で捉えられたきがして、そのことが嬉しい。

「みんなもそうしてたから」「ちょっとマウント」

婚約のことを何人かの友人や友人たちのライングループに知らせた。
他のみんなもそうしてたから、そうしておくか、というのと、彼氏方面から話が回る前に知らせておくと通りがいいかな、というところに、フォローのつもりで連絡をしたらドツボにはまった。
結婚やそれにまつわることを語ることがそれだけで謎の禍根を生じさせること、忘れていたわけじゃないのに、やっぱ言わなきゃよかったなーと思った。
(自分もそうだが、どうしてみんな自分のことになると喉元を過ぎた途端に熱さを忘れて声がでかくなってしまうのだろう、やっぱりマウントを取りたい気持ちがあるんだよな。そりゃ、あるよ。だったら余計に、傷つきムカつくひとは、ムカつくよな。)
前々から自分に対して煽る様なコメントを向けていた子が、また煽る様なコメントを寄せてきて心底腹が立ったり、他にもどういうつもりかわからないけど、微かな揉めが生じたり、一気に疲れた。
いけなかったのは、「他のみんなもそうしてたから」という考えのなさと、「(気遣いや親切のふりして)(いつも劣等感があるから)自分もちょっと人にマウントを取りたくなった」という欲求だろう。
形骸化はクソ、圧力もクソ。
けっこう反省した。
今更遅いけど、言う相手は考えようと思った。

沈黙は金、傲慢はクソ

いつかは言わなければならないことだとして、別に言わなくても何の問題もない。
そういうことだから、口にすると卑しいな。
でもやっぱり、嬉しかったんだよ。
メンタルがあれだったころからの知り合いみんなに、よかったね、と祝ってほしかった。
その魂胆が、傲慢で舞い上がってたなと思った。

とはいえ。
俺はその子の結婚も、動揺したし、仕事忙しかったし、忙し過ぎて服揃えるすら大変だったし、挙式でも色々話がちがうことがあってモヤモヤどころじゃない思いがあったけど、表面上笑顔でお祝いして3万円ご祝儀出したんですが。
そこが一番腹立つな。そのモヤモヤを感じ取って煽ってきてるのか。

3万円(但し、問題提起料として)

ただ、それをきっかけに、なぜ結婚やそれに絡んだことをするのか、その意味はなんなのか、周りにも祝ってもらえる結婚や結婚式はなんだろうと考えることができたから、3万円の価値はあった気がしてきた。
もちろん、もっと先のことかと思ってたけど。
自分たちなら、どうやるか。
というか、結婚とはなんなのか、挙式やらなんやらの意味とはなんなのか。
静かに婚姻届だけ出したっていいはずだ。
二人が一緒に生活を営んでいくことが結婚の本義だ。
ホテル挙式みたいな盛大で豪華な式は、もちろん綺麗で豪華でいいことだ。プランナーがつけば初めてのことでも安心だし、親族や友人や会社の人間にも、まとめて二人の今後を見守ってもらうお願いができる。
ただあれだけの規模のイベントを組むのは大変だろうと思った。
ご祝儀も相殺でブライダルビジネスに吸い込まれてしまうのも、夫婦を祝いたいのに、もったいないなと思った。
もっと二人の、いい結婚式はあったんじゃないか?ちょっと大事にすべきところがみえなくなってしまってるんじゃないか?そう思わされた式だった。
本当にわたしは、あなたが長く付き合ったひととようやく結婚するときいて、きいたとき、本当によかったと、動揺したけど、本当に良かったって思ってたんだよ。
高校生の時、ふたりで肩寄せ合って非常階段の裏で泣いたりしたときもあったじゃないか。
たくさん辛かったりしんどかったりがあって、それでも死ななくてよかった。そう思った。
あなたが好きな人と、結婚という形をとって家族になることをお祝いしたいと思ったよ。
mしかフォローしていない裏垢でもそう呟いたくらいに。

それが一番大事

詳しく書かないけど、彼女の結婚式を思い出すと、人生の一大事ではやっぱり人間舞い上がってしまって、他人の気持ちがわからなくなるんだな、と、思う。
ちょっと考えれば、わたしたち友人に負担をかけることぐらいわかりそうなものなのに。
でもこういうのが忖度を求めるってやつなのか・・・うーん。
いや実際負担だったよ。いろいろと。
とはいえ、わたしも今日は想像力がなくなってしまっていたな。
気をつけよう。
お祝いは、こちらから求めるものじゃないし、知らせなくていいところには知らせなくていい。
フェイスブックにだって書かなくっていい。ステータスだってなんなら変えなくても何も問題ない。
一番大事なのは、わたしたちが仲良く家族として暮らしていくことだ。

今後の気をつけポイント

もし、友達に話すときは、自分のことを(少し動揺したとしても)心底応援し、祝ってくれる関係性のひとにしか話さないこと。
できる限り、相手の気持ちを考えてタイミングをみること。家族としてやっていくので応援してください、という気持ちになれる人にだけ言うこと。
応援してもらわなくても別にいーや、ってひとには、必要なければ言わなくていい。
もし、結婚に関連して友達に協力をお願いするときは、友達が快く協力できるように、相応の対価を払い、作業工程には仕事以上にスムーズにできるように気を払うこと。

他人が暴力的にこういう話題を出すからって、暴力的なそれに習うのはあまりにも考えなしだ。
できるだけみんなが気持ちよくいれるように、わたしも、婚約者も、友人たちも、知人ぐらいのひとたちも。
気をつけよう。気をつけるよ。

引き裂かれた自己

商店街の灯

酔ってなにもかもが美しくみえる フェーズだ。商店街のアーケードの灯りも、街灯の灯りもやわらかく美しい。凍らせたキンミヤ焼酎(20度)のせいだ。

6300円のヒレステーキ(ミディアムレア)

結婚する。たぶん概ね結婚する。親は意外と大人しく口を挟まない。嬉しいことだが不気味で不安だ。いままでずっと、後ろから撃たれてきたから。

今日は母方の親族会だった。ホテルのレストランで6300円する、150gのミディアムレアのヒレステーキのコース…92歳の祖父が食べきれなかったぶんまで食べたのでお腹いっぱいになった。1800円のモヒートも飲んだ。
で、夜からアンダーグラウンドな音楽のイベントにでかけてへべれけだ。
わたしの帰る家への道のりは静かだ。夜風が夏の終わりらしく涼しく甘い匂いがするのが酔っていてもわかる。虫の声。

引き裂かれたわたし

こういうとき、わたしは、自分が引き裂かれていると感じる。6300円のホテルランチ、300円のキンミヤ焼酎、下水はにおうけど楽しい家賃8万円のくすんだ我が家。
6300円のスカしたホテルランチも、わたし。くすんだ家賃8万円2LDKで風呂場のカビを歯ブラシでこするのも、わたし。

レイヤード

世の中には、いろいろな断層がある。自活するようになって、そのことが初めてわかった。特に東京は。いろいろなレイヤーがあって、それは角度を変えなければ、目に見えない。

赤坂をジャケット着て歩くのもわたし。合計800円の刺身の夕食で大喜びするのもわたし。ジャケットの中には、1000円で買ったブラウスを着込んでいる。それがわたし。バラバラのわたし。

善く生きる

気がつくのはむずかしい

シャンプーを変えてから肌の調子が良い。
前のシャンプーはフケや痒み対策がPRされた商品なので使っていたけれど、合わなかったようだ。
午後になると頭皮が香ばしくなって、黒いカーデガンを羽織るとフケが目立って、憂鬱だった。
アトピー気質で冬にフケが目立つことはあっても、夏にはなかったことなので、加齢のせいかとすこし落ち込んだ。
顎のラインから首にかけてのニキビも人生でいちばんひどく、これが(ニキビでなく)吹き出物か…と落ち込んだ。
ここさいきん化粧水を変えたりビタミンを飲んだり悪戦苦闘していたけれど、シャンプーを変えたら全部改善してしまった。
生活にはいろいろな要素があるし、自分の問題とその原因に気がつくのは難しい。

(さらに同居人のつかっている牛乳石鹸で顔を洗うようにしはじめてからはもっと良くなった。
 その途端に広告が炎上しだしたけども…。
 インターネット上の意見をみると、普通に堅実でいい製品なのに!という意見ばかりだ。そうだそうだ!
 感情をインターネット上で増幅させたくないので、CMはみてない。)

続、パソコン・iPhone問題

母からのパソコン絡みの連絡がいよいよ激しくなったので、急遽実家に日帰りで数時間帰った。
母の訴えを詳しくきいてみると、母が大きく恐れているのは、これまで撮りためた犬やら猫やらの写真が消えることだった。
iPhoneは差し込み口が故障して充電できなくなって慌てて買い換えたものの、アドレスしか移動できず、前に飼っていた犬が死ぬ直前の写真が消える!と、母はたいへんに混乱したらしい。

他人のおばさん

いろいろ事情をきいたが、そんなに混乱するなら、母ができる範囲でも講じられる対策はいろいろあっただろうに…とは思ったが、たかだか犬の写真で狼狽する母をみて、パソコンに弱いけどプライドが高い精神不安定な60代の他人のおばさんとしか思えなくなった。
わたしは、他人のおばさんに辛く当たるような人間ではない。
それで、たいへんだったね、たいへんだったね、と、話をきいて、それから、大したことないから非正規の業者を探して差し口を直してもらえば大丈夫だよ、と元気づけて来た。
母という人の気持ちに寄り添った。口先で。接客業と同じだ。わたしは、本当の心がそこにない方が、芯から優しい(ようにみえる)微笑みや言葉がつくれる人間だ。母は最後、初めてわたしの前で涙ぐんだ。

あの人はただパソコンに弱い他人のおばさんだ。かわいそうだから、気持ちに寄り添ってあげよう。
そう思ったらひとつ肩の荷がおりた。
ある意味ではようやく、母を自立した他人だと認められることができたのかもしれない。
母に認められたいとか、母に優しくされたいとか、母なんだからこうしてほしかったとか、そういう思いから一歩離れられた気がする。
それにしても、母の狼狽ぶりは大変なものだった。
なにかと依存しがちな精神の弱いひとなのだと思う。だってわたしの母親なのだから。

上から見るか横から見るか

そうやって一歩離れて母を見てみると、このひと自身が自分の気持ちを塗りつぶして隠して歪んでしまったのだろうな、と、感じた。わかってはいたが、生育環境も考えると、仕方がないのかな、と思うようになった。
親との問題もあったのかもしれない。祖母はわたしが生まれる前に亡くなっているし、祖父は孫のわたしには好々爺でしかないので、過去のことを母が語らない限り知ることはできないけれど。
母はいつも、自分がいかに輝かしい人生を歩んで来たか、素晴らしい人間か、とわたしに語ってきた。不自然なほどに。
人間は、触れられたくないことについては饒舌になる。
もし、過去のことを母が自分の苦しみや我慢の視点からいま語り直してくれるなら、それを聞いて見たい。大変な苦労や苦しみがあったはずだ。だけど、還暦をすぎた母が自分の人生を異なる物語として語り直すことは難しいだろう。
それはここまで築き上げて来たプライドとアイデンティティを失うことと同じだからだ。
人生も社会も、どこに視点を置くかでまったく違う見え方やストーリーが生じる。

たゆまぬ努力

全然関係ないけど、最近読んだ『クッキングパパ』と沢村貞子さんの『私の浅草』は、どちらも、過去の時代の常識と、その移り変わりを考えさせられる作品だった。
過去の時代というのは、つい、ひとところにとどまって完成していたかのように感じてしまうけれど、明治生まれの浅草の長屋で布団を縫ったり長唄を習ったりして育ったひとが晩年はテレビをみて海辺のリゾートマンションで余生を送っているのは、時代の流れがあるからだ。
クッキングパパ』では、九州男児のパパは、少なくとも3巻まで読んだ限りでは、機会があればどんどん料理を作るのに、それは奥さんや部下の女の子の手柄にしている。
男子厨房に立ち入らず、という考え方が85年頃はまだあったのだ。会社で大量のあて名書きで残業するなんて話もあった。飽くまでどちらもフィクションだけど。
仕事はできるが家事のできない娘を恥じ、男は仕事、女は家事と育てられたものだが…という義父に、パパは「お義父さんたちの時代は、それがいちばん二人の力が出せる形だったんでしょう。僕らには今のやり方がいちばんいいんですよ」と言う。すごい。
そんなパパも、wikipediaを読むと、130巻を超えた現在は料理もオープンだし、ちゃんとスマホも使うらしい。
時代は確かに移り変わるのだ。

誰しもが弛まぬ努力によって、より善い生き方を目指してきた(たぶん)。
父も母も、正しかったかはわからないが、そうだったのだ(たぶん)。
わたしたちも、これからもずっとその努力を重ねてゆくのだろう。
人生も四半世紀を過ぎて、まだまだたくさん知ることがある。
無限大の未来から自由になって、自分の身の丈がわかったいまが、いちばん楽しい。