また母の話

カフェインを摂ってスピンリングをいじりながら勉強をしている。
なにか新しいことを学ぶなかで、内容が理解できたか・できないか、以前に、まず自分がクリアすべきことが3つある。

①できるかできないかに関わらず毎日向き合う習慣をつけること
②習慣のなかで、自分が学びやすいやり方をみつけること
③それを学ぶことに挫折感を抱かないこと

この3つは、どれかで挫けるとうまく行かなくなる。自分は少なくともそうだ。学ぶことはそもそも継続するのがいちばん難しい。
むかし、勉強は得意だった。小学校ぐらいまでの内容は特に「勉強」というように勉強したりしなかった。
自分は小さな頃から異様なまでに語彙力があった。
小学校ぐらいまでの勉強は、文章の読解をしたり表現をしたりに苦労がないというだけでかなりのアドバンテージで、勉強はクイズみたいなものだったし、やれば褒められるのでやった。
わたしは漢字なんかも三回書けば大抵のことは覚えるタチだった。なので暗記も好きだった。47都道府県の県庁所在地と名産品をすべて完璧に言えたが今やそんなことはとっくに忘れた。
勉強は楽しかった。
だから中学に入ってつまずいて、叱責されたりプレッシャーをかけられるようになってからはできなくなった。
そのうちに周囲も人間らしい語彙力、文章力がついてきて、ちょっとひとより言葉を知ってるぐらいじゃアドバンテージにならなくなってきた。
中学生にもなれば覚えるべき事の量も、47都道府県どころじゃ追いつかなくなってくる。
小学生時代に苦労したりしてうまい具合に「勉強のやり方」を覚えたひとたちにどんどん追いつかれ、追い抜かれて、すっかり自信をなくしてしまった。
そのくせプライドはめちゃくちゃに高いまま今に至る。
100点、90点を毎回取れるよりも、平均点以上を全部の教科で取れる事こそが世の中をわたるにしても必要なスキルだということが、今の今まで実感としてわからなかった。
良い点をとっても、あんまり褒められなかったように思う。それよりも、悪い点を取ったときはけっこうなプレッシャーをかけられた。
それと、母が言った言葉で覚えているのは、「あなたは運動はダメなんだから、勉強だけはちゃんと頑張りなさい」みたいな内容のことだ。
なんでこんなにいくつもいくつも、むかしに、母親に言われたことを、頭の隅からほじくり返して思い出してしまうんだろうな。
やってもできないから、やりたくなくなるし、どんどん勉強のやり方がわからなくなるし、そのうちに机に向かえなくなった。
自分はだめだと思うと学校も辛くなっていた。

いつからか、朝6時起きで学校に通うのが辛かったこともあって、授業中に寝てしまうようになった。
そして、さいきんわかったことだが、講義の内容が理解できないシチュエーションでも気絶するように寝てしまう。
だからわからないところが余計にわからなくなる。
そしてまたやりたくなくなる。
寝てしまう自分が本当に嫌になって、それから、どうせやってもだめだし、失敗するのが怖い、と思うともうだめだ。

いまやっている勉強でも、話が難しくなってくると寝てしまう。
なるべく睡眠を8時間以上とって、カフェインを入れ、スピンリングをいじくっていると、とりあえず寝ないでいることはできる(割と)。
家での復習はなかなか進まないけど、とにかく机に向かう習慣もつきはじめた。

勉強で一番大事なのは、それを続けられる力だと思う。
そんなことはずっと言われてきたはずだのに、わたしは怠け者で勉強をしなくて成績がわるくてダメなやつだ、といつも母から言われていたなあ。
さいきん、むかしの成績表をみたら、ぱっとみてそんなに悲惨な成績でもなかった。
あの頃のわたしは自分はどん底にいると思っていた。子供は世界が狭いから、思い込んでしまうものだ。
大人になれてよかったと思うのは、母から離れて、自分が良いと思うやり方を自分の判断で試してみても誰からも批判されないことだ。

頭の回路にアースを

やっぱり昔のことを思い返すと本題から離れて長くなってしまう。
スピンリングをいじくる、だとか、飴を舐めるだとか、ラジオをかけるとか、そういうことが自分の勉強には必要だということが書きたかったのに。
この間IQを測ったら、言語IQというのが高くて、動作IQというのが平均値ぐらいで、前者と数値では30ぐらいギャップのあることがわたしの人生の苦しみの根源らしい。
頭の回転が半端に高いせいで、セルフイメージに身体が追いつかないから苦しいみたいなことだ。
(半端に高いIQがいつでもいつも邪魔になって、革命ばかりを夢見るばかりで何もできない…って歌詞がいちばんイメージに近い)
このIQのパラメータ分布にギャップが少ないひとほど、IQの高さとかではなく社会的にうまく渡っていきやすいらしい。身の丈みたいなことだ。
なので数値にして30のIQは余ってしまう。
余ったIQが余計なことを考えて、貧乏ゆすりになったり気が散ったり不安になったりスパークしてわたしを気絶寝させたりするのではないかと思う。
その思考回路をスピンリングをいじることに逃がす。飴を舐めて逃がす。ラジオをつけて逃がす。
半分くらいの力で動かさす。
わたしの手が、身体が追いつくやり方で勉強をする。
脳みそ7割ぐらいに抑える方法をこれからも探していく。

17/06/15 Thu.

さいきんよくみるラジオみたいな書き出しのブログは自分にはやっぱりかけない。
短い文と章立てで進んでゆくのは読みやすくて楽しいと思うけど、ああいうノリに乗り切れない。
着ぐるみを着るような感じになる。
でも書き出しが定まってるとすごく書くことのハードルがさがって継続しやすくなる。
自分がブログというものから離れていた7年ぐらいの間に、そういうノウハウがかなり世の中で蓄積されたんだな。

ゆるいつながり

やっぱり店みたいなものを持ってみたい。
店というか、開かれた居間みたいなものというか、部室みたいなものを作ってみたい。
開かれていて、去るものを追わず、来るものは拒まず、ずっと居座る場所じゃないけど、たまに顔を出したくなるみたいな。
居心地がいいときも悪い時もあって、ゆるく繋がっていて、誰かの置いて行ったマンガ本とかが転がってるみたいな。
茶が飲める古本屋とかが理想っぽいな。
で、自由に使えるボロいパソコンとwifiが飛んでて、ボロいけど一人用のソファがいくつかあるような感じ。
東京じゃ無理だろうな。

17/06/14 Wed.-2

当たり前の人生をする

どうも母のことを書くと突然血が沸き立ち逆上してしまう。
そして今の生活を感謝する感じになる。いや良いことだがあまりやりたくないなと思った。
今の同居人との生活、人生の方が当たり前になって、あまりこういう感じ方をしなくなるのが最終目標です。

トイレの電気と女(関口良雄『昔日の客』夏葉社)

関口良雄『昔日の客』という本をを読んでいる。古書店を営んでいたひとのエッセイだ。
昔日の客:Amazon.co.jp:本
リンク、うまくはれているだろうか?
厠に入っている最中「もったいない」と妻が電気を消すので、離縁を考えるほど怒ってしまった、という話がでてきた。
実家でも似たようなことがあった。
入っている最中に電気を消されることはさすがになかったけれど、母は「もったいないから」といって電気をつけずにトイレに入っていて、わたしはなにがもったいないかと奇妙に思っていた。
なのに気がつけば、いつの間にかわたしも電気をつけずにトイレに入るようになった。
女は、トイレの電気をもったいないと思ってしまう生き物なのだろうか。
わたしの場合はもったいないから、というより、特に必要ないから、というのが正しいかもしれない。
今の家のトイレは廊下から灯りが入って、夜でも明るさは十分足りている。
逆に男性は「的を狙って撃つ」必要があるから、電気を絶対と思うのかもしれない。
あまりに面白いので、毎日1章ずつ読んでいるが、厠の話は冒頭1ページだけ読んで、あとは明日にとっておく。

若草色の布張りの表紙で、その装丁からてっきり古い書籍だと思っていたら、一度絶版になったものを2010年に復刊したものらしい。
夏葉社という出版社の名前と、褪せたような鮮やかなような若草色のとりあわせが良い。

17/06/14 Wed.

ここ数ヶ月の自分

真夜中に起きてしまってから、眠れないで、ずっと過去の日記を読んだ。
日記に残されている限り、3月ぐらいまでの自分は、ずっと辛そうだ。
離人感もあったようだし、思い通りに身体を動かせないことも多かったみたいだ。取り返しのつかない昔のことを思い出しては怒ったり悲しんだりしている(これは、今もあるけど)。

だいぶ色々なことが喉元を過ぎた。
こんな数ヶ月ぐらいの間にも、わたしはものすごいスピードで自分の人生を取り戻している。

自立を嫌がる母

さいきん、いずれは結婚するかという話がある。
1月1日に書いた記事を読んで、ひとつ不安になった。
わたしは七五三も成人式も、母の思惑に振り回されて、自分の節目に良い思い出がない。
仮に結婚するとして、母がしゃしゃりでてくる可能性はかなり大きいだろう。
入籍の時期、両家の顔合わせ、色々な日取り…そのあたりは関与させなければ良いにしても、結婚式に絡んではドレスからメニューから何から口を出してきそうだ。そう思ってしまった。
いまはもう、別々に暮らして物理的にも離れた。それにわたしは確固とした自分をようやく築きつつある。
昔のように横から口を挟まれて思い通りにされることは無いだろう。
わたしが不安なのは、母がわたしの希望することに文句をつけて否定してきたり、それに対して怒ると「花嫁の母」という立場を利用して泣きを入れたり、無茶苦茶な嘘をついて言うことを聞かせようとしたり、そういう行為をされて、嫌な思いをするのではないか、ということだ。
母は、わたしが独立した個人として行動しようとすると、必ず文句をつける。
新しい服や靴を買ったとき、新しい髪型にしたとき。新しい仕事を選ぶとき、新しい家に引っ越すとき。
特にひとり暮らしをするときは大変だった。
物件のことを話そうとすれば「聞きたくない」と拒否し、引っ越しが決まってからは「引っ越しても、住民票を移すひとなんて今時いない」という謎の嘘が飛び出てきたり、「愛し子の旅だちなのにわたしは何もできない」みたいな謎ポエムが送られてきたり、母の嫌な面が濃厚に出てきて、すごく嫌な気持ちになった。
「愛し子」「旅立ち」という気持ち悪いワードが、ラインの履歴が消えても忘れられない。
引っ越してからも「心配だから」という理由で毎朝出かける頃にメールがきて、返さないと電話がかかってくる。こちらはゴミ出しを両手に持って出勤するところなのに。
同居人の部屋に引っ越すのを車で手伝ってもらった時も、事前に、あまり綺麗なアパートではないことはよく説明したのに、臭いだの汚いだのグレードが低いだの、他の住人にもきこえる廊下で大きな声で話すので怒ってしまった。
杞憂に終わればいいけど、結婚するとき、ぜったいに母のせいで不快な思いをすると思う。
というか、上に書いたような不快な思いを、もししなかったとしても、だ。
母が「昔はぶつかり合う時もあって大変だったけど、ここまで立派になって…」みたいに、わたしの人生を美談にまとめ上げて、立派な母親面してたらそれはそれでむちゃくちゃ腹立つ。
謎ポエムの「愛し子」って言葉が本当に気持ち悪かった理由は、「アンタ自分の今までの行動を、子どもを愛して子どものためにやってると思ってんのか!?正気か!?」と感じたからだ。
は?キモ…と思った。
あの人の欺瞞だらけの人生を、本当は救ってあげられたらいいんだろうけども、やっぱやだなー。

結婚すらまだ決まったわけではないのに、いまから憂鬱だ。

17/06/13 Mon. 夢を叶える

続・国民健康保険

自分の退職理由は減免対象外でした。無念。
ハローワークにいって雇用保険受給資格者証を借り出す手続きをしてもらって確認したら、退職コードが思ってたのと違った。
窓口のお兄さんがなんとなく感じ良かった。にへっとしていた。
前髪を切ってから、自分はなんとなく愛嬌がでた。
なんとなく、あのお兄さんの親しげな感じはそのおかげかもしれないと思った。
おかげで、今日は、あの天井の低いハローワークに足を踏み入れた日恒例の「ずーん」といった気持ちにはならなかった。
保険料が高いのは辛い。

こどもの頃の夢

週末の夜、寝る前に同居人とこどもの頃の夢の話をした。
わたしの幼稚園に入る前の最初の夢は、サッカー選手。
周りの男の子たちがそう書いてたから真似したらしかった。
サッカーはおろか、未だに自転車にも乗れないし、ずっとクラスでいちばん足が遅かった。
なんて自我のないこどもなんだ。

その次の夢は、水族館の館長さん。
住んでいた街に水族館を建てて、住んでいる街の名前をつけたいと思っていた。
シルクハットをかぶって、「○○○すいぞくかん」という看板の前にシルクハットとステッキのわたしが立っている絵を描いたのもうっすらと覚えている。
これは、いまのわたしにも繋がるような夢だ。
いまも、昆虫や海の生き物や動物や博物館が好きで、同居人とも博物館に遊びに行った。
でも、水族館の館長さんにはなりそこなったね、と話していた。

いま、うちには40cmの水槽があって、ベタが一匹悠々と泳いでいる。
それがわたしの小さい水族館だねと話したら、看板をつくればいいんじゃない?と言われた。
小さな木の板かなにかに字を書いて、いま住んでいる街の名前をつけた水族館の看板をつくって、水槽を飾ったらいい。
思いつきひとつで小さな頃の夢が簡単に叶うと思ったら、とても嬉しくなった。
同居人といると小さなこどものようになる。生活のひとつひとつが楽しい。

ふたりの時間

同居人と暮らすのは幸福だ。
同棲を始めて半年以上が経つ。

仕事をしているときはずっと辛かった。
朝、目が覚めて仕事をして帰って、また次の朝目が覚めたとき、あまりにも前日と同じで気が狂いそうになった時があった。
シフト制で1日だけの休みが不規則に約3〜4日ごとに月に8回やって来る。
休みといったって、平日じゃ飲みに出かける先もないし相手もいない。
いつもよりゆっくり眠って溜まった家事をこなして病院へ行って1日は終わってしまう。
料理をしても洗濯をしても、書類の締め切りなんかがいつも頭の片隅にあって、嫌な声が出た。
そして仕事がやって来る。

いつも、ただ眠りたい、眠りたいと思っていた。
だけど帰ると仕事のことでボロボロにつかれていて、動けない。
職場での仕事以外のくだらないコミュニケーションでずっと疲れていた。
自分を取り戻してみづくろいして寝付けるのは1時をすぎる。
8時間、少なくても7時間眠らないとわたしは使い物にならない。

一人暮らしのときは、もっと辛くて、帰って来るとベッドに倒れこんでいた。
それで、23時ぐらいまで天井をみていて、1時ぐらいにようやく寝付けた。
ほんとうに辛かった。

仕事を辞めてよかった。
いまは週末を同居人とふたりで過ごすこともできる。
もちろん、それぞれに過ごすこともできる。
友達にも会える。お酒も飲める。
たまには出かけることもできるし、近所を散歩して花をみたりアイスを食べたりしてもいい。

わたしはもう、一生あそこから異動も昇格もしないだろうおばさまと組まされて潰されることはない。
古い価値観を押し付けられ、上司とおばさまの間で板挟みになることもない。
いつ地雷を踏むかひやひやしなくていい。

2017/06/12 8時間睡眠

WEBブラウザからもはてな記法で書いてたつもりだったけど、「見たまま」のモードのままだったみたいだ。
昨日の日記は失敗してる。でも直すのはめんどいのでしない。
大勢の人にみられても問題ないブログを書き始めたいけど、もうめんどいからこの日記で書き始めようかな。
アカウントの切り替えがくそめんどい。
過去のプライベートすぎる日記は非公開にして。

8時間睡眠

週末は早めに布団に入って8時間眠った。
ちゃんとした時間(23時〜9時ぐらいの幅)で8時間寝ると体も心も調子が良い。
これよ、これこれ!わたしがいつも出したいクオリティは!という感じ。
でも、元気だとついつい夜更かしして作業してしまってまた悪いループに入ってしまうんだけどね。
仕事を辞めてしばらくは朝も仕事していた頃と同じ時間に起きるように努力していたけど、普通に8時間睡眠とれないとずっとダメでいつづける。

寝ることへの関門は洗顔と風呂だ。
風呂に入ると眠くなってしまうし眠りやすくなるから、できれば就寝の直前に…という欲が働く。
でも、いろいろ作業してから寝たい。作業する前にさっぱりしてたい。
もやもやしているうちに時間がたってしまう。
今後は帰宅したらとっとと化粧をオフしてお風呂を浴びて勉強しよう。
本当は先週の復習をもうすこししたいところだけど、今日は思い切ってもう寝ちゃおう。

母の事故

昨夜ひさしぶりに母の事故のことを思い出した。
これに関しては記憶がかなりあやふやで、いつのことなのかわからない。
中学生の時か、高校生の時だろうか。
スキー合宿だか、修学旅行だかの日、わたしが遅刻しそうになって、母が小田急線の駅まで送ってくれたことがあった。
その帰り道、母は事故に遭った。
母は無傷だったし、相手が有責になった事故だったが、相手はバイクだったので骨がみえるような大怪我をしたらしい。
わたしは家を離れていたのでそのことを知らなかったし、知らされなかった。
合宿からかえってきて、母からそのことをきかされたのか、父からそのことをきかされたのか、わからない。
ただ、あなたに気を使って合宿中は連絡しなかった、というようなことを言われた気がする。
「あなたが遅刻したせいでお母さんが事故にあったとお父さんが怒っている」と、なぜか母からきかされたような気がする。
相手から嫌がらせをされたり、つきまとわれたり、たいへんな目に遭ったみたいだ。
それで眠れなくなって、母はしばらく薬を飲んでいたらしい。

あの家に引っ越して中学に入ってからは親子関係が最悪だった。
だからその頃はすでに親子関係は最悪だった、はずだ。
わたしだってずっと辛くて精神科に通いたいっていっているのに、それに対しては心が弱いとか、甘えだとかいってたくせに、自分ばっかり辛くなった時にそれをひとにぶちまけて助けられたいと思ってるんじゃねえ、と、思った。
それと同時に、わたしのせいでそんな目に遭わせてごめんなさい、と思った。
それから、客観的に見ればわたしは何も悪くないのに、どうして自分の娘が気にやむようなことをわざわざいうんだろう、と、思った。
それから、やっぱり母がわたしにそんな風に当たるのはわたしを産んだことを後悔しているからだと思った。
それは、わたしが不出来な娘で、母の腹筋を引き裂いて生まれ、生まれてこのかた迷惑ばかりかけて、母の思うようになっていないからだとおもった。
そうして、これから生き続けることでわたしは母にも社会にも迷惑をかける取り返しのつかない不出来な存在になるのだと思った。
こういう流れで人は手首を切ります。

あのとき、わたしはせめて素直に母をねぎらえればよかったのかもしれない。
いつも母となにかがあるたびに、頭の中で上に書いたようなことを考えていた。
だけど、「お母さん不出来な娘でごめんなさい、産んだことを後悔しているからそんなに辛く当たるんですね、死んでお詫びしたいと思います、投資が無駄になってすみません」とは言えなかった。
てかそれは絶対間違ってるし。
くそだろ。

自分のことを語ること

振り返ると、自分は自立への努力だけは絶え間なくしてきた。
わたしには足りないものがたくさんあって、そういうものを拾い集めてゆくのにとても時間がかかった。
実家からも通えるけれどすこし遠めの大学を受けたのだって、ひとつには、一人暮らしがしたかったからだ。
(もっと言えば本当は、所沢にキャンパスのある日芸に通いたかった。)
どうにか親から逃れようとして、だけど手段がわからなくて頑張って頑張ってどうにかあの郊外の家を離れられた。
学歴も一応どうにかあるし、高校時代から、アルバイトではあったけど基本的にずっと働いてきた。
ようやくそれなりの賃金が得られた職場が合わなくても2年間働いて実家に戻ることは決してしなかった。
自分は怠け者じゃない。そりゃ易きに流れがちなのはほんとだけど。
だけど絶え間なく、繰り返し、繰り返し努力してきた。
ひとつずつ良くしてきた。
だけどここまでの歩みを、これから就職活動などをするにあたってどう語ったら、世の中のひとに伝わるだろう。
教育を受けられるお金もあって、有名私立を出ている経歴が特に邪魔くさい。
どうしたらいいんだろうなあ。

化粧品の買い方

自分の収入を見据えた結果、先日の韓国化粧品店のBAさんの誘惑に勝って中間点をとった。
結局コーセーの化粧水で、4000円台が薬局で2000円台になっていた化粧水を買った。
美容液もBBクリームも今はコーセーなので、まあその中で毛穴・くすみ対策のラインのものを買おうかという感じ。
なんか大容量だしバシャバシャ使おう。
毎日使うものはできるだけ、安定的に手が入って購入に手間がかからないものを使うのがいいような気がしている。
ブランドと銘柄を決めておいて、買う店も決めておく。
Amazonで頼める、でもいいし、いちばんいいのは、最寄駅のドラッグストアで買える、とかだ。
なんか迷ったり考えたりってそれだけで脳みそのキャパを食うから。

今使ってるBBクリーム終わったらMiMiCのリキッドリーファンデーションほしいな。
次に買うものを悩むのは、なくなって必要になってからじゃなくて、今あるものを使い切るより前に考えとくのもコツだ。
いろいろ試して、狙いを定めて、予算を考えて、どこのお店で買うか考える時間がある方がいい。
追記:この化粧水買ったんだけど調べたらちょっと前に廃盤になってるらしくて笑うしかない。たぶん最後の在庫を買った。
http://s.cosme.net/product/product_id/337022/top
今後はコーセーの他の毛穴ケア系の化粧水に移行かな。
このサイト便利そう。後で読む
http://cosmedina.jp/kose/
しかしせっかく使用感よくて大容量なのに残念だ。

おわりに

結局やっぱり24時近くなってしまう。
いろいろ書くのは必要な作業なので困ってしまうな。
どういうタイムスケジュールなら帰宅して武装解除して復習して自分のこともできるかな。
髪を乾かす時間がもったいなくて髪を短くしたけど、もう同居人みたいな坊主にしてしまいたいよー。

17/06/08 Thu.

はてな記法テスト(再)

これでどうだろうか。
前の日記を直す気はさらさらない。めんどいからだ。

欲望と大久保

大久保の近くの専門学校的なところに通うようになった。
かつて働いていた「中央線のチベット(隠語)」とは違って色々なものがあって刺激的で楽しい。
楽しいが、色々なものが欲しくなってしまう。ちょっとおかしくなる。新宿とかあの辺りに行くと特にそうなる。バイブスが良くない。
好きだけど良くない。悪いバンドマンみたいだな。
昨日もうっかり6千円の化粧水を衝動買いしそうになった。
「オネサン、肌乾燥シスギ💢毛穴開きまくり💢化粧品買ウヨリ、ベースをちゃんとシテ💢💢💢」と言いながらクリームやら化粧水やらを容赦なく目ん玉にまで塗りこんでくる韓国美人のBAさんが衝撃的すぎた(楽しかった)。
特に「基礎をちゃんとしないと何もならない、化粧も乗らない(意訳)」というのがかなり衝撃的だった。
納得しかできないし、そのあと口紅とか細々したものを買うのをやめた。
ADHD脳特有の物欲を脳幹から制御してくる激しさ、楽しかった。
またあの手のお姉さんたちに蹂躙されにゆきたい。

とはいえ乾燥は私だけのせいじゃない

しかし実際のところ、あの大久保の教室は乾燥しすぎてる。
PCが多数あるので、冷房ガンガン。
6時間PCで作業して、終わると手の指と唇パサパサになってる。
肌もささくれ立ってる感じがする。
机に座って作業してると指のササクレや顔が気になっていじくってしまうのも良くない。
こういう行動から抜け出せなくなる時、自分をADHDっぽいなーと思う。
変な異性に絡まれがちなので、エスニックショップで左薬指に安い指輪を買ってつけた。
ぴったりサイズの合う指輪って、つけ心地がすごく良い!
わたしはゴツい指輪が似合う人だったんだなあ。
指輪はあまりしなかったから、新しい発見だ。
男性率が高いので、「みんなでお弁当たべよ♡」みたいなのがないのは超ラク。

スピンリングは男性向けばかり

発達障害界隈で話題になった「いじくったり噛んだりするためのアクセサリー」の、スピンリングがずっと気になっていた。
エスニックショップに行った折に、安くスピンリングも売っていたんだけど、みんなサイズが大きい。
ネットショップでも色々探した結果、1万円以下でサイズの合うものはほぼなかった。
しかし調べてると、マントラの書いてあるやつとか、なかなかサブカル心をくすぐるデザインも多い。
気になって、今日もう一度エスニックショップで指輪の箱をじっくり漁った。
悩みに悩んで、一番サイズの小さい金のスピンリングを買った。
すこしゆるいけど、どうにかしよう。
梵字マントラの書かれたターコイズとかラピスラズリのスピンリングもみつけた。
でもやっぱりサイズは合わなかったし、普通に考えて隣のやつが梵字の指輪いじくってたら怖いなと思ってやめた。
ネットショップだったらテンションで買ってしまってたかもしれない。危ない。
ネットでの買い物とリアルでの買い物は、モノの見方が違う感じがするよね。
今日もこの辺で寝ます。
明日も授業中寝ちゃうのかなー、寝たくないなあ。顔パサパサも、やだなあ。