17/06/04 Sun. 単なる日記

アプリからの投稿でもはてな記法が反映されるかのテスト。

はてな記法の方が慣れてるし書きやすい。

*寿司

同居人と寿司を食べた。

元はと言えばわたしがこの部屋で同棲を始める前から貯めていた小銭貯金があった。

同棲してからは、まあこれで寿司でも食おうと更に同居人とコツコツ小銭を貯めた。それが貯金箱に対して物理的に満期を迎えて、今日めでたく寿司となった。

久しぶりに食べた江戸前寿司は美味しかった。というか、やはりあれは文化だなあと思った。

味の美味さはもちろんだけど、文化や体験を買ったという感覚がある。満足感が大きい。

東京にいるあいだに同居人を良い寿司屋に連れて行けて良かった。満足だ。

実は寿司貯金の次には焼肉貯金がすでに満期を迎えている。楽しみだなあ。

 

*そろそろ指輪がほしい

指輪がほしい。

というのも、「なんか愛されてる感じを感じたい!」「アクセサリーがほしい!」とかではなくて、立派な理由がある。

最近通い始めた職業訓練の学校で、さっそく変なひとっぽい男性に目をつけられてしまった。

自己紹介でテンパり「さいきんは野生動物を食するみたいな記事を読むのが好きです笑」みたいな珍妙なことを申してしまったのが災いしてしまった。

休み時間に、隣の席の人と一通り話しながら食事も終わり、まあ散歩しがてら一服と外に出たら、エレベーターが一緒になった。

「僕も昆虫食やるんですよ」「寄生虫にやられなかったのは運が良かった」「カマキリをパンに挟んで食ったことがある」みたいな話をされて、まあ割合に引いた。

というか、カマキリをパンに挟んで食う話はまあいいとして、わたしが相槌しか売ってないのにペラペラ話してくるのや、なにか全体的な雰囲気がやばたらしく、あーでも私もさいきんはコミュニケーション忘れ気味だしこんな感じなのかなあと思ったり…とはいえ不安になった。

一番不安に思ったのは、このひとは前日もなぜか席が近いわけでもないわたしに話しかけてきていたこと。もうひとつ、いまは昼休みの中途半端な時間で、タイミングを見計らってわたしについてきたのでは?と思ったこと。

曲がりなりにも6ヶ月顔を合わせるので波風は立てたくない。

対策は2つ思いつく。教室内にマトモな味方をつくる。(下心があるならば)薬指に指輪をする。

同居人は、よく、わたしがナンパされないか不安だよ〜とぼやいているが、指輪は効果が高いと思うのでオススメです、、

1500円とか3000円とかのでいいから、マジっぽいむちゃくちゃシンプルな指輪があったら、こういうトラブルはだいぶ避けられる気がします。おわり。

 

追記

マジでこういう安い(でもシンプルでマジっぽい)のがあれば十分な気がしてる。けどこれぐらいならもう自分で買うか…

チャイハネ の 【チャイハネ】カクカットリング (¥324)
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17/05/29 Mon. 脳の機能

脳の機能、踏めてる。

さいきん、脳の機能の低下を感じる。漢字が書けない。文章が理解できない。
文章が理解できない方は、単にその文章の内容や質的に自分が理解しづらいだけかと思うこともあるが、漢字が出てこないことには毎回愕然とする。正直認めたくないけどこればっかりは認めざるを得ない。
子供の頃は「漢字のテストの点数がいつも良い」ことがアイデンティティだったのに。
わたしは手書きでノートに書き物をしながら考え事をまとめてゆくスタイルをとるのだけど、その中でしょっちゅうその愕然にぶち当たる。
今朝は「感触」の「触」の字が出てこなかった。


ゆるゆるになりつつある脳

あと、これまでと違うなーと思うのは、間違った漢字を平気で手が書くことだ。
あ、間違ってるな、と思っても自動的に手がそれっぽい漢字や同じ音の漢字を書いてしれっとしている。
これが脳の機能の低下なのか、わたしがいい具合に適当な大人になってきたのかはちょっとまだ判断がつかない。し、たぶん判断しなくていいと思う。


『なんとなく僕たちは大人になるんだ』

 漢字が出てこなくなったとき、小学生のわたしよりも漢字も言葉も適当な父親のことを思い出した。
父親はけっこう稼いでたみたいだから、脳の領域を仕事に開放して他はゆるく回してすこしずつ老化していったんだなあ、と、今は父のことをバカにしないで理解できる。父とわたしは先天的な性格がかなりそっくりだと思う。後天的な文化的抑圧を与えたのは母だ。
こうやって少しずつ大人になるというか年をとるのだとおもった。
銀杏BOYZが『なんとなく僕たちは大人になるんだ』という曲を歌ってたけど、その曲の影響なのかわたしの周りのバンドマンには郵便局員が多い。

17/05/23 Tue.

薬局

気に入りの薬局がある。
どの街もそうだが、特に吉祥寺はどこもかしこも薬局だらけだ。
どこが安いのか、考えているだけで脳のメモリが消耗する。
吉祥寺に住むひとに、結論としてどの薬局が一番安いんですか?ときいて教えてもらったのがその一見うらぶれた薬局だ。
薬類が抜群に安く、他も平均的に安い。気に入っているメイク落としの取り扱いもある。

今日買い物して、ついつい買った品物の値段をAmazonと比較してみたら、どれも数十円レベルでAmazonが微かに安かった。
それにAmazonは電車代がかからない。

薬局にゆく仕事は脳が疲弊する。「良さそう」「便利そう」なもので溢れていて、目移りして疲れる。そして、本当はあっちの店の方が安かったんじゃないかといつも気を揉む。
しかもさいきん、買うものは銘柄までだいたい決まってる。
Amazonの方がいいに決まってる。こんなんじゃ実店舗は潰れちゃうよなあ。
みんな脳のメモリがそんなに残ってない。

わたしの気に入りの薬局は買い物の度になにかオマケの試供品をくれる。
今日はキューピーコーワ(錠剤)の1回分だった。
こういうところがやっぱいいよな。実店舗で買い物するのは気力を消耗するが、気力と体力とお金が十分であれば、ネットでの買い物よりずいぶんワクワクするものだ。偶然の出会いが楽しい。
キューピーコーワは夜勤の同居人の机にお供えしておいた。今夜も頑張ってください。

 

引き続き就職活動

キャリアカウンセラー的な方と、先週の面接の話をした。
「先方にあまり印象がよくなかったようで」と話したら、「そうだったんだねー。あとそれは(本名)さんからみても(先方の社長の)印象がよくなかったってことなんじゃん?」と言われて、また目からウロコだった。
確かに、これからあの人と仕事したいとは思えなかった。
色々な就職支援サービスを使ったけど、本当に良い担当の方についてもらえて安心している。

でも、やっぱ「赤坂で働くOL」みたいな肩書きはめちゃめちゃほしかったなー。
そういう肩書きを得られたら、めちゃめちゃ自己肯定できる気がする。
前職のよくなかった点の別の切り口には、「他人に説明してもよくわかってもらえない仕事だった」というのがあるかもしれない。
たとえば派遣や契約の雇用形態でも「表参道でOLやってます★」と言いながら働いた方が、たぶんわたしの自尊心は満たされると思う。
わたしはつくづく他人の視線の中でしか生きられない。
(前の職場の就職を決めたいちばんの理由も「突然お堅い仕事したらウケるかな」だったし…)
かといって、人と関わるのにもウンザリしてるし、もうどうしたらいいんだ。
とにかく今日はキャパが終わったのでこれでおしまい。
何度失敗しても繰り返し努力しましょう。

17/05/22 Mon. メモ

ブックマークの整理

ずっとやらなきゃいけないと思ってきたブックマークの整理をしている。
ファイルやブックマークの整理が自分はすごく苦手だ。
というか子供のころからファイリングが著しく苦手だった。プリントやお知らせなんかはいつもごちゃごちゃになってしまうので、ひとつのクリアファイルにとりあえず打ち込み、テストの前に整理していた。
その点、前職の共有ファイルでの整理ルールはかなり役立っている。なんでもかんでも、内容で精査するのではなくひとまず年度と月で区切っていれておく。
わたしは、収納した情報が古くなって不要になっているのではないか、更新すべきなのではないか、でもまだ必要だろうか、という点が気になってしまう。
2017年に保存したファイルを作っておけば、今後も使用するかどうかは2018年になってから判断すればいい。
不要なものは消して、判断に迷うものならそのまま2017にいれておき、今後も現役で使うなら2018に引き継ぐ。

就職活動

先日面接があった。かなりいまいちだった。
よくなかった点は、たぶん、わたしに先々の「ヴィジョン」がない、と先方が判断したことだろう。
それはつまり、自分に対する客観性がないということだ。
未だに就職活動は苦手だ。
応募書類を書くことで冷や汗を流さなくても済むようになったのはつい数週間前だ。
わたしはわたしに価値があると思えない。
だけどそれこそが客観性のなさなのだろう。わたしは自分を低評価しすぎだ。大変な思いをして高校も大学も卒業したし、両親からの自立も叶えた。
パートナーとの今後だって考えている。
それでもやっぱり、自分に価値があるとは思えないからしんどい。

 

人生の筋を通す

あなたには何もできない、あなたは嘘つき、あなたは何もやり遂げられない、だから何も一人で自分の判断でチャレンジしてはいけない、そういうことを長い間何につけても唱えられると、自分はそうなのだと思ってしまう。
子どもにはそんなことを言いたくないな。
だけど、もし子どもがのびのび幸せに育ったら、わたしはその子が羨ましく、恨めしく、自分の人生を虚しく思ってしまうかもしれない。
わたしは自分には価値があると思いたいよ。だけどなかなか難しい。
だって、価値があるならなんでお母さんはあんなにわたしの心を潰し続け、何をしても批難しつづけたんだ。
お母さんが間違っているなんてやっぱり今でも思いたくない。
わたしに価値がないからお母さんがあんなに辛く当たってきたのだと思わないと筋が通らない。
筋が通らないことは嫌いだ。だからお母さんが間違っていたことの「筋」をみつけだしたい。仕方ないのだと思いたい。
お母さんの人生がああいう形になった理由をみつけたい。

 

14/10/05 とおくのせかいのわるいひとたち

※別ブログからのアーカイブ

けっこう、自分は泣き虫なのかもしれない。
感情の鈍麻が解けてきてからというもの、けっこうよく泣いてしまう。運動会で勝った負けたと泣く女の子たちの気持ちがわからないから、自分は冷たい人間なのかもしれないとティーンエイジャーのころには思っていた。でもそういう訳じゃないみたいだ。

自分の幼馴染はずっと働いていない。小学生から高校一年生までは同じ学校へ通っていて、高校も同じクラスだったけれど、それも来たのはガイダンスの日と入学式の日だけだったかと思う。確か通信制高校を出て大学は行かなかったのだっただろうか。
思春期を迎えたころから前髪を長くして、その隙間からすこしだけ覗く顔にうっすらと化粧しているのも見た。
彼の母親も、彼の父親と離婚してからというもの不安定だと母から聞く。薬や更年期障害で太ったり痩せたりしているらしい、子供からみても若くて、そして綺麗なお母さんだった。
自分たちは幼馴染だから、ときどき連絡をとりあって、数年に一度くらいは会って食事をしたりする。
彼に久々に連絡を取った。いまも働くことなく、なにか学び舎に通うでもなく過ごしていると。たださいきんは生きているのも悪くなく思える、と。大丈夫、働かないで生きていられる間はそう生きていていいし、そうできなくなったら行政の支援を受ければいいだけだよ、と、自分は言った。
その話を家族の食卓で母親にも話す。働いてはいないらしいけど、元気にしているようだ、と。親御さんがお金あるから良いけど…と母が言うので、彼に話したのと同じことを自分は言った。そうして生きていられる間はそうして生きて、だめになったら行政の支援を受ければいいのだ、と、生きているだけでいいのだから。
「そういうひとには御嶽山で死んでもらおう」
そう、話をきいていた父親が突然に言った。
わたしは一度、聞こえなかったふりをした。
父は普通の人だ。すこし裕福な家庭に生まれて、女の子とドライブを楽しむような青春時代を経て、大学を出て就職した会社に数十年勤めている。頭がすこし固いところがあって時々いらつくけど、かわいげのある父親でわたしは父親のことがとても好きだ。
そういう普通の人が、特に悪意もなくこうしたことを口にする現場に立ち会ってしまって、驚いて、ショックを受けて、声も出なかった。
母が「不謹慎よ」とだけいって、自分は黙って食事を食べた。血の気が引き、口の中は渇いて味がしなかった。
「お肉美味しい?」と父がきいてきたので、わたしは「さっきのようなことを、特に悪い人でもなく、普通の、お父さんのようなひとがさっきのようなことを言うのだと思うとわたしは辛くて悲しくて味がしない。それにあれは、わたしの幼馴染の話なんだ」と、息を吐くように早口で言って、牛肉を口の中でもぐつかせながらそのまま泣いてしまった。

(なんらかの理由があっても)働けない人間が生きていることは悪いことで、死ぬべきだし、行政の助けを受けて生きるようなことは恥だ、と、考えるひとがいるということ。
そういうひとが、どこか別の信じられない価値観で育てられた人でとんでもない悪人だったりするのではなく、それが自分を育て同じ食卓に座っている父親だということ。
自分の、両親も顔を見知った幼馴染について、父親がそう言い放ったということ。
重ねて、人死にのあった悲惨な事故を軽々しくそうしてくちにしたこと。
母が注意したのはたぶん最後に挙げたことだけだということ。
すべてショックだった。
もしかしたらこれまで、殆どそれに近い状態にあった自分のこともそう思ってたの?
大好きな父親が?

すこし前に付き合っていたひとは精神障害を持っていて、ふた月に一度年金をもらって暮らしていた。優しいひとだった、とても頭が良くて、話していていつも楽しかった。わたしの知らない演劇や音楽の話をたくさんしてくれて、未だによく覚えているのは部屋に飾ってあった唐十郎風の又三郎のポスターに書いてあった文句だ。
「あたしは、あのこの胸に、このこの胸に実を結ぶ風の落とし物。月光町にいたこともあれば、宇都宮のアゲ屋にいたこともある。あのこの胸に、このこの胸にガラスのマントを着てくるかと思うと、髪ふり乱して駆けてくることもあるんだ。あ丶、あたしは、あたしは、いろんな町を歩きすぎた。風を喰ってて、いろんな胸に抱かれすぎた。おまえは、初めて会った時、「風の又三郎」さんですねって言ったっけ。そうだ、そう呼ばれるまで、僕は−−あたしは「風の又三郎」であることを忘れてた。月は中天に、男だてらのあたしを見かけて、あんたが、「風の又三郎さん」と呼んでくれなければ、あたしは栃木くんだりの流れ女。何故呼んだ、「風の又三郎」と? あんたが呼んであたしが応えた。話を合わせた。只、それだけのことじゃないか。コロッケだってバラの刺青だって、ちょっと胸かきゃ、ホンノリ浮かぶ血のかゆさ。どうだい、分かったかい、月夜のお坊っちゃま。あたしをどうしてくれるんだい。岩波文庫をしまうのかい? それとも読みつづけるのか、はっきりしろい! おまえが呼ばなければ、あたしは栃木くんだりのメシタキ女さ!!」(唐版風の又三郎/岩波書店

自分の青春時代は長い間、指先ひとつ動かすのさえ苦しいほどの鬱状態に支配されていて、毎日時間を飲み込むように過ごし息をすることも苦痛のように思える時間が生活の殆どだった。大学を卒業する年には文章が塊にしかみえず、参考文献も読めず、卒業論文が書けずに人生二度目の(病院に運ばれる程度の)自殺未遂をして留年した。
仕事など到底無理で、一時は障害者認定を受けることも視野に入れていた。いまも、正規雇用での就職はしていない。断薬をして、すこしずつそうした気分から抜け出して、どうにか社会へ復帰しようとしている。
ちかごろ生きることは苦しくないし、なかなか楽しいことも多い。健常な人間はこんな世界を生きていたのか、と、思う。音や景色をうるさいと思うことも少なくなった、世界の大きな情報量をそのまま受け容れられる体力がついて、そうなってくると世の中って面白く美しく楽しい。それでも疲れた時や月経の前などはひどく落ち込んで元のようになってしまう。いつかまた元の状態へ戻ってしまって、行政の支援を受けるようなことはあるかもしれない。だからいまのアルバイトは厚生年金に加入しているところを選んだ(国民年金でなく厚生年金払ってると障害者年金の額がちょっと違うらしい。詳しくわからないんだけど)。
ただ、ただただ、生きているということは罪なのか?
鬱状態の強かった頃、自分は死んだ方がいい人間だと思ってずっと生きてきた。喉元を過ぎたそういう気分はもうあまり思い出せない。醜くみっともない自分は外へ出てもいけないし、ひとに愛されてもそれは相手がなにかを勘違いしているだけだし、愚かで何もできず、働くことも学業をまともに修めることもできず、両親の投資はすべて無駄にしてしまって、そういう自分は生きていてはいけない。いつもそう思っていたということは覚えている。
駄目かもしれないけど、生きていてもいい。自分で自分を養うところまでまだ難しいけれど、少し稼いであとは親の脛をかじっても生きていていい。ただただ生きていていい、良いときと悪いときは必ずある。悪いときは必ず来るけど、良いときも必ず来る。だから生きていていい。楽しいことはそこらに転がってる。自分はひとに優しくもできるし、いい人間だ。生きていていい。近頃はそう考えている。
料理も洗濯も裁縫も掃除も、近頃は出来るようになった。昔よりも身綺麗になったし、陽気な人間になってきた(たぶん元来結構陽気な人間だったのだろう)。
だからもうあんな気持ちはわからない。
だけど、「行政の助けを得なければ生きてゆけないなどということは恥だ、死んでしまえばいい」そういうことを発言する人間はどこか遠くの世界の人間だと思っていた。
普通のおじさんから、そういう発言が出てくる。そして、それは極悪人などではなくて、自分の父親であったりする。
母だってそうだ。
中学生で手首を切った自分に、母親は、「みっともない、早く治しなさい」と言った。
母親は海外で子供時代を過ごし、由緒あるキリスト教の女子校で教育を受け、国際的に活動するリベラルな機関の海外支部で働いていたような人間だ。人間は皆平等に生きる権利があり、貧しいひとには助けが必要だ、というようなことを広める仕事をしていた人間だ。だけれど「専門的な職業に就くひと以外、高卒は人間ではない」といった主旨の発言をしたりする。自分の母親を「正しい」人間だと思っていた自分はそのダブルスタンダードが受け入れられず、気が狂ってしまった。そうだった。
正しいひとなどいない。
(たとえば障害者がすべて良い人間/悪い人間とは限らないし、健常者がすべて良い/悪い人間だと断じることもできない。等しく生きているだけだ)
完全な悪人がいたらコテンパンにやっつけられるのにな。
悪い人、というのも、いない。あたりまえだけど。

それを考えると辛くて悲しくてまた泣いてしまった。
自分はやはり泣き虫だと思う。

17/05/19 Thu. 鏡

今日の面接はスベった。

持ち前のサービス精神、もとい、他人の顔色を見すぎる自意識過剰さが悪く働いて、疑心暗鬼になり、自信のなさを補おうと喋りすぎた。自信をもって素直にわからないと振る舞うときよりも、自信がないことを隠す嘘つきになるときがある。今日はそれだった。

しかも「長所」「短所」とか全然考えてなかったな。なんなんだよ、自分。

長所も短所も、いまのわたしは、わたしに価値があるなんて到底思えない。

でもそれは、人材市場からみた私だ。企業からみてわたしには価値がない。と、思う。感じる。

だけど、わたし自身の希望はどうだ?

わたしはどう扱われたいか?わたしは、仕事を安心して任せられるようなひとと思われたい。それに、お金だってむちゃくちゃほしい。

 

他人の前で自信たっぷりに振る舞うには、足りない自信を、自分以外に補ってもらう必要がある。

誰かにわたしを、なんの理由もなくても特別丁寧に扱ってもらう必要がある。

同居人の優しさと別に、他人から圧倒的に丁寧に扱われる必要がある。

それでいつもの喫茶店に久しぶりに来た。

おじさまたちはおしぼり一つ置くだけでも、みぞおちのあたりに腕をやわらかく当てて一礼してくれる。でも、「あ、タバコ吸いたいよね?」とフランクにきいてくるバランスもたまらない。

わたしは中身がないから、色々な要因に影響されやすい。良くも悪くも。

わたしは目の前の人を映す鏡だ。

次の機会もあるみたいだから、次は喫茶店に寄ってから向かおう。

ちなみに他の会社はいまのところ全滅だ。ファック。ぜったい働くぞ

17/05/17 Wed. ステルス

今日はみえないものについて書く。

不機嫌の理由

不機嫌の理由はなかなかみえない。
前職に勤めていたころは、だいたい月に1度部屋で暴れていた。
「バカ!もうやだ!全部やだ!濡れたタオルを突っ込むな!わたしだって年金もらいたい!くそばばあしね!エクセルおぼえろ!」
確かこんな風な身も蓋もないことを言いながらパンチを繰り出したりベッドでジタバタとのたうったりして、同居人はパンチは引きうけ、のたうつわたしを体重で押さえ込み、よくできる看護人だった。
わたしは濡れたタオルに怒っていたわけではなかった。
将来の不安と、隣の席の人との相性の悪さ、Officeソフトも満足に扱えないおばさんに囲まれていることにわたしは怒っていた。さらには生理が近く、濡れたタオルが洗濯カゴに入れられ続けることは単なるきっかけだ。きっかけはきっかけにすぎない。
不機嫌の本当の理由は叫びの最後に出てくる。
感情に任せて叫んでみて、やっと自分がなにを不安に思っていたのかわかった。
わたしはなかなか思うことが言えなくて遠回りする。
そうできる場所がなかった。いまはあるから、身も蓋も外してたまには叫んだ方がいい。

 

わたしは中身がない。


ひとりでぼんやり家事などして過ごしていると不安になる。
自分が自分である時間がほしいとは思った、だけどそもそもその自分がかなり矮小だ。
はずれのピーナッツに似ている。外からみると形はしっかりしているのにあけてみると実は萎びて小さく食べれやしない。
ずっと出かけないでいると、自分が透明になってしまったような気がする。
「世間」から観測されないと存在できない。
いま、わたしの社会的立場は「無職」だ。結婚もしていない。
恋人の部屋に転がり込んで、ネットフリックスを毎日みてる。
(しかもネットフリックス代も恋人が支払ってる!)
わたしは自分が存在していない、と感じる。
とはいえ前職で働いているときもわたしは自分が存在していないように感じた。
仕事を覚えても認められず、ひとに説明してもわかりづらい仕事で、休みがランダムなので音楽イベントにもゆけず友人にも会えず、給与は上がらないので生活はずっと苦しく散財も貯蓄もできない。
それで自分が自分でいられる時間もなかったので最悪でどん底だった。
わたしは自分に肩書きをつけて、「世間」に認められている、と思わないと自分の存在を認められない。

中身のない人間には中身のない人間なりの戦い方があって、店員対客といった立場の虚構のコミュニケーションをしているとき、わたしは自分の「立場としてとるべき仕草」が自分の本心と思える。
よき店員として嫌なお客さんも心から心配して寄り添うようなことだ。
(機嫌が悪かったんだな、体が悪いのかな、いいセックスをしていないんだな、とか、来世は畜生道に堕ちるんだな、とは考えてるからタチは悪い。)
だけどよき団体職員というのはよくわからなかった。お客には雑に強情に、内部にはヘコヘコとこびへつらうのがあの職場では正しかったらしい。
そういう部族には所属できなかった。
小さい頃から母に「外面よし子」と言われていた。まあお前のせいだけどな。