14/10/05 とおくのせかいのわるいひとたち

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けっこう、自分は泣き虫なのかもしれない。
感情の鈍麻が解けてきてからというもの、けっこうよく泣いてしまう。運動会で勝った負けたと泣く女の子たちの気持ちがわからないから、自分は冷たい人間なのかもしれないとティーンエイジャーのころには思っていた。でもそういう訳じゃないみたいだ。

自分の幼馴染はずっと働いていない。小学生から高校一年生までは同じ学校へ通っていて、高校も同じクラスだったけれど、それも来たのはガイダンスの日と入学式の日だけだったかと思う。確か通信制高校を出て大学は行かなかったのだっただろうか。
思春期を迎えたころから前髪を長くして、その隙間からすこしだけ覗く顔にうっすらと化粧しているのも見た。
彼の母親も、彼の父親と離婚してからというもの不安定だと母から聞く。薬や更年期障害で太ったり痩せたりしているらしい、子供からみても若くて、そして綺麗なお母さんだった。
自分たちは幼馴染だから、ときどき連絡をとりあって、数年に一度くらいは会って食事をしたりする。
彼に久々に連絡を取った。いまも働くことなく、なにか学び舎に通うでもなく過ごしていると。たださいきんは生きているのも悪くなく思える、と。大丈夫、働かないで生きていられる間はそう生きていていいし、そうできなくなったら行政の支援を受ければいいだけだよ、と、自分は言った。
その話を家族の食卓で母親にも話す。働いてはいないらしいけど、元気にしているようだ、と。親御さんがお金あるから良いけど…と母が言うので、彼に話したのと同じことを自分は言った。そうして生きていられる間はそうして生きて、だめになったら行政の支援を受ければいいのだ、と、生きているだけでいいのだから。
「そういうひとには御嶽山で死んでもらおう」
そう、話をきいていた父親が突然に言った。
わたしは一度、聞こえなかったふりをした。
父は普通の人だ。すこし裕福な家庭に生まれて、女の子とドライブを楽しむような青春時代を経て、大学を出て就職した会社に数十年勤めている。頭がすこし固いところがあって時々いらつくけど、かわいげのある父親でわたしは父親のことがとても好きだ。
そういう普通の人が、特に悪意もなくこうしたことを口にする現場に立ち会ってしまって、驚いて、ショックを受けて、声も出なかった。
母が「不謹慎よ」とだけいって、自分は黙って食事を食べた。血の気が引き、口の中は渇いて味がしなかった。
「お肉美味しい?」と父がきいてきたので、わたしは「さっきのようなことを、特に悪い人でもなく、普通の、お父さんのようなひとがさっきのようなことを言うのだと思うとわたしは辛くて悲しくて味がしない。それにあれは、わたしの幼馴染の話なんだ」と、息を吐くように早口で言って、牛肉を口の中でもぐつかせながらそのまま泣いてしまった。

(なんらかの理由があっても)働けない人間が生きていることは悪いことで、死ぬべきだし、行政の助けを受けて生きるようなことは恥だ、と、考えるひとがいるということ。
そういうひとが、どこか別の信じられない価値観で育てられた人でとんでもない悪人だったりするのではなく、それが自分を育て同じ食卓に座っている父親だということ。
自分の、両親も顔を見知った幼馴染について、父親がそう言い放ったということ。
重ねて、人死にのあった悲惨な事故を軽々しくそうしてくちにしたこと。
母が注意したのはたぶん最後に挙げたことだけだということ。
すべてショックだった。
もしかしたらこれまで、殆どそれに近い状態にあった自分のこともそう思ってたの?
大好きな父親が?

すこし前に付き合っていたひとは精神障害を持っていて、ふた月に一度年金をもらって暮らしていた。優しいひとだった、とても頭が良くて、話していていつも楽しかった。わたしの知らない演劇や音楽の話をたくさんしてくれて、未だによく覚えているのは部屋に飾ってあった唐十郎風の又三郎のポスターに書いてあった文句だ。
「あたしは、あのこの胸に、このこの胸に実を結ぶ風の落とし物。月光町にいたこともあれば、宇都宮のアゲ屋にいたこともある。あのこの胸に、このこの胸にガラスのマントを着てくるかと思うと、髪ふり乱して駆けてくることもあるんだ。あ丶、あたしは、あたしは、いろんな町を歩きすぎた。風を喰ってて、いろんな胸に抱かれすぎた。おまえは、初めて会った時、「風の又三郎」さんですねって言ったっけ。そうだ、そう呼ばれるまで、僕は−−あたしは「風の又三郎」であることを忘れてた。月は中天に、男だてらのあたしを見かけて、あんたが、「風の又三郎さん」と呼んでくれなければ、あたしは栃木くんだりの流れ女。何故呼んだ、「風の又三郎」と? あんたが呼んであたしが応えた。話を合わせた。只、それだけのことじゃないか。コロッケだってバラの刺青だって、ちょっと胸かきゃ、ホンノリ浮かぶ血のかゆさ。どうだい、分かったかい、月夜のお坊っちゃま。あたしをどうしてくれるんだい。岩波文庫をしまうのかい? それとも読みつづけるのか、はっきりしろい! おまえが呼ばなければ、あたしは栃木くんだりのメシタキ女さ!!」(唐版風の又三郎/岩波書店

自分の青春時代は長い間、指先ひとつ動かすのさえ苦しいほどの鬱状態に支配されていて、毎日時間を飲み込むように過ごし息をすることも苦痛のように思える時間が生活の殆どだった。大学を卒業する年には文章が塊にしかみえず、参考文献も読めず、卒業論文が書けずに人生二度目の(病院に運ばれる程度の)自殺未遂をして留年した。
仕事など到底無理で、一時は障害者認定を受けることも視野に入れていた。いまも、正規雇用での就職はしていない。断薬をして、すこしずつそうした気分から抜け出して、どうにか社会へ復帰しようとしている。
ちかごろ生きることは苦しくないし、なかなか楽しいことも多い。健常な人間はこんな世界を生きていたのか、と、思う。音や景色をうるさいと思うことも少なくなった、世界の大きな情報量をそのまま受け容れられる体力がついて、そうなってくると世の中って面白く美しく楽しい。それでも疲れた時や月経の前などはひどく落ち込んで元のようになってしまう。いつかまた元の状態へ戻ってしまって、行政の支援を受けるようなことはあるかもしれない。だからいまのアルバイトは厚生年金に加入しているところを選んだ(国民年金でなく厚生年金払ってると障害者年金の額がちょっと違うらしい。詳しくわからないんだけど)。
ただ、ただただ、生きているということは罪なのか?
鬱状態の強かった頃、自分は死んだ方がいい人間だと思ってずっと生きてきた。喉元を過ぎたそういう気分はもうあまり思い出せない。醜くみっともない自分は外へ出てもいけないし、ひとに愛されてもそれは相手がなにかを勘違いしているだけだし、愚かで何もできず、働くことも学業をまともに修めることもできず、両親の投資はすべて無駄にしてしまって、そういう自分は生きていてはいけない。いつもそう思っていたということは覚えている。
駄目かもしれないけど、生きていてもいい。自分で自分を養うところまでまだ難しいけれど、少し稼いであとは親の脛をかじっても生きていていい。ただただ生きていていい、良いときと悪いときは必ずある。悪いときは必ず来るけど、良いときも必ず来る。だから生きていていい。楽しいことはそこらに転がってる。自分はひとに優しくもできるし、いい人間だ。生きていていい。近頃はそう考えている。
料理も洗濯も裁縫も掃除も、近頃は出来るようになった。昔よりも身綺麗になったし、陽気な人間になってきた(たぶん元来結構陽気な人間だったのだろう)。
だからもうあんな気持ちはわからない。
だけど、「行政の助けを得なければ生きてゆけないなどということは恥だ、死んでしまえばいい」そういうことを発言する人間はどこか遠くの世界の人間だと思っていた。
普通のおじさんから、そういう発言が出てくる。そして、それは極悪人などではなくて、自分の父親であったりする。
母だってそうだ。
中学生で手首を切った自分に、母親は、「みっともない、早く治しなさい」と言った。
母親は海外で子供時代を過ごし、由緒あるキリスト教の女子校で教育を受け、国際的に活動するリベラルな機関の海外支部で働いていたような人間だ。人間は皆平等に生きる権利があり、貧しいひとには助けが必要だ、というようなことを広める仕事をしていた人間だ。だけれど「専門的な職業に就くひと以外、高卒は人間ではない」といった主旨の発言をしたりする。自分の母親を「正しい」人間だと思っていた自分はそのダブルスタンダードが受け入れられず、気が狂ってしまった。そうだった。
正しいひとなどいない。
(たとえば障害者がすべて良い人間/悪い人間とは限らないし、健常者がすべて良い/悪い人間だと断じることもできない。等しく生きているだけだ)
完全な悪人がいたらコテンパンにやっつけられるのにな。
悪い人、というのも、いない。あたりまえだけど。

それを考えると辛くて悲しくてまた泣いてしまった。
自分はやはり泣き虫だと思う。

17/05/19 Thu. 鏡

今日の面接はスベった。

持ち前のサービス精神、もとい、他人の顔色を見すぎる自意識過剰さが悪く働いて、疑心暗鬼になり、自信のなさを補おうと喋りすぎた。自信をもって素直にわからないと振る舞うときよりも、自信がないことを隠す嘘つきになるときがある。今日はそれだった。

しかも「長所」「短所」とか全然考えてなかったな。なんなんだよ、自分。

長所も短所も、いまのわたしは、わたしに価値があるなんて到底思えない。

でもそれは、人材市場からみた私だ。企業からみてわたしには価値がない。と、思う。感じる。

だけど、わたし自身の希望はどうだ?

わたしはどう扱われたいか?わたしは、仕事を安心して任せられるようなひとと思われたい。それに、お金だってむちゃくちゃほしい。

 

他人の前で自信たっぷりに振る舞うには、足りない自信を、自分以外に補ってもらう必要がある。

誰かにわたしを、なんの理由もなくても特別丁寧に扱ってもらう必要がある。

同居人の優しさと別に、他人から圧倒的に丁寧に扱われる必要がある。

それでいつもの喫茶店に久しぶりに来た。

おじさまたちはおしぼり一つ置くだけでも、みぞおちのあたりに腕をやわらかく当てて一礼してくれる。でも、「あ、タバコ吸いたいよね?」とフランクにきいてくるバランスもたまらない。

わたしは中身がないから、色々な要因に影響されやすい。良くも悪くも。

わたしは目の前の人を映す鏡だ。

次の機会もあるみたいだから、次は喫茶店に寄ってから向かおう。

ちなみに他の会社はいまのところ全滅だ。ファック。ぜったい働くぞ

17/05/17 Wed. ステルス

今日はみえないものについて書く。

不機嫌の理由

不機嫌の理由はなかなかみえない。
前職に勤めていたころは、だいたい月に1度部屋で暴れていた。
「バカ!もうやだ!全部やだ!濡れたタオルを突っ込むな!わたしだって年金もらいたい!くそばばあしね!エクセルおぼえろ!」
確かこんな風な身も蓋もないことを言いながらパンチを繰り出したりベッドでジタバタとのたうったりして、同居人はパンチは引きうけ、のたうつわたしを体重で押さえ込み、よくできる看護人だった。
わたしは濡れたタオルに怒っていたわけではなかった。
将来の不安と、隣の席の人との相性の悪さ、Officeソフトも満足に扱えないおばさんに囲まれていることにわたしは怒っていた。さらには生理が近く、濡れたタオルが洗濯カゴに入れられ続けることは単なるきっかけだ。きっかけはきっかけにすぎない。
不機嫌の本当の理由は叫びの最後に出てくる。
感情に任せて叫んでみて、やっと自分がなにを不安に思っていたのかわかった。
わたしはなかなか思うことが言えなくて遠回りする。
そうできる場所がなかった。いまはあるから、身も蓋も外してたまには叫んだ方がいい。

 

わたしは中身がない。


ひとりでぼんやり家事などして過ごしていると不安になる。
自分が自分である時間がほしいとは思った、だけどそもそもその自分がかなり矮小だ。
はずれのピーナッツに似ている。外からみると形はしっかりしているのにあけてみると実は萎びて小さく食べれやしない。
ずっと出かけないでいると、自分が透明になってしまったような気がする。
「世間」から観測されないと存在できない。
いま、わたしの社会的立場は「無職」だ。結婚もしていない。
恋人の部屋に転がり込んで、ネットフリックスを毎日みてる。
(しかもネットフリックス代も恋人が支払ってる!)
わたしは自分が存在していない、と感じる。
とはいえ前職で働いているときもわたしは自分が存在していないように感じた。
仕事を覚えても認められず、ひとに説明してもわかりづらい仕事で、休みがランダムなので音楽イベントにもゆけず友人にも会えず、給与は上がらないので生活はずっと苦しく散財も貯蓄もできない。
それで自分が自分でいられる時間もなかったので最悪でどん底だった。
わたしは自分に肩書きをつけて、「世間」に認められている、と思わないと自分の存在を認められない。

中身のない人間には中身のない人間なりの戦い方があって、店員対客といった立場の虚構のコミュニケーションをしているとき、わたしは自分の「立場としてとるべき仕草」が自分の本心と思える。
よき店員として嫌なお客さんも心から心配して寄り添うようなことだ。
(機嫌が悪かったんだな、体が悪いのかな、いいセックスをしていないんだな、とか、来世は畜生道に堕ちるんだな、とは考えてるからタチは悪い。)
だけどよき団体職員というのはよくわからなかった。お客には雑に強情に、内部にはヘコヘコとこびへつらうのがあの職場では正しかったらしい。
そういう部族には所属できなかった。
小さい頃から母に「外面よし子」と言われていた。まあお前のせいだけどな。

17/05/10 Wed. 荷台を持つひと

パソコンから書くと、つい文章が長くなる。客観性がなくなる。

センチメンタルの速さはフリック入力に追いつけない、と昔書いたことがあった。思考スピードは入力方法に必ずしも追いつかない。

就職活動の相談に乗ってくれる担当者のひとが、全く同じことを言っていて、なんだかすごく嬉しかった。就職の書類を作るときはやっぱアナログでみてみると客観性が出て良いよ、キーボードの速さに思考は追いつけないから、と言ってた。ちなみにこれは、ガラケー打ちで書いている。

 

さいきん真っ当に人間らしく扱われて、対等に関係を結んで、幸せに生活している。だから実家にいた頃のことは少しずつ忘れている。

「わたしはここで働きたい」「わたしはこれができる」こういう自己PRがめちゃめちゃ苦手で、書いて手足から冷や汗を流していて、ああ、母と暮らしてたときはそういう自分の希望を言うと怒られたもんな、と、ちょっと思い出してしまった。

自分のやりたいことを言っても、却下される。あなたは未熟だからまだ任せられない、あなたのような人間にはできない、世間にどう思われるか考えろ、失敗して恥をかかせないで、いつもいつもそう言われてきた。いつの間にかひとの顔色ばかりみて発言するようになった。

だからわたしの接客はハッキリ言って素晴らしい。相手の顔色をみて欲しい言葉を探るのが得意だからだ。

それで今度は営業職になってそれを役立てたいと思っている。お母さんありがとう、昔の嫌な思い出は嫌だったと覚えてるうちに記録しときます、わたしは自分の子供にはお母さんみたいになりたくないから。絶対にこの気持ちは忘れない。

自転車にはまだ乗れない。補助輪なしじゃ自走できない。だけど自立の補助輪は外れた。Yが後ろをしっかり持ってくれている。いつか一人で走れるといいなあ。それでどこが好きなところに二人で走っていけるといいなあ。

17/05/08 Mon. 生活はパズルゲーム

きのうは夢中になって某パズルゲームをやった。
子供の頃よりずっと簡単にクリアできるのが面白くて仕方ない。
連鎖だってすごく簡単に組める。

子供の頃は連鎖を組むのが苦手だった。
連鎖を組むことに集中すると、途中でよくわからなくなって発動しない連鎖になってしまうことがあった。それから、敵の攻撃で連鎖が台無しになってどうしたらいいかわからなくなることもあった。
適度に単発でも消化しつつ連鎖を組もうとするのだけど、そうすると連鎖がうまく組めない。
大人になった今は、連鎖を適度に組みつつ、邪魔されたり失敗したら単発で消化したりを上手にやることができるようになっていた。

対戦の中で気がついたことがある。連鎖を組むにしろ、単発で消してゆくにしろ、一色(一組)だけに集中してやるとうまくいく。
連鎖をいくつも組もう、とか思わないで、ひとつの連鎖を完成させることに集中する。
完成させたら、連鎖を発動させる色を消化することに集中する。
結果的に3連鎖くらいができたりする。
邪魔されて台無しになっても、手近で消せそうな確率が一番高い色から単発でコツコツと消してゆく。
焦らず落ち着いてそれをやれるようになると、落下速度が上がっても操作と判断力がおいつくようになる。

生活や仕事も某パズルゲームと同じで、全部いっぺんに(時には「連鎖」を組んで)やろうとするからうまくいかなくなる。
ひとつひとつに集中して目の前にあるものから片付けてゆくことが大事だ。
他をやらなくていいということではなくて、つまり、連鎖を組むならその連鎖をつくることにまずは集中し、発動させるなら発動させることに集中する。
洗濯をすることなら、洗濯はとにかく回し、干すのは同居人が帰ってから手伝ってもらえばいい。そしたら同居人が帰ってくるまでは、わたしは洗濯のことは考えなくていいし、他のことに着手していい。手伝ってもらえなかったらそのときはそのときで単発で干すことに集中すればいい。取り込むのを考えるのはまた次だ。
「スイッチを押す」・「干す」の間に「同居人の帰宅」をはさみこんだら、わたしは「同居人の帰宅」にだけ神経を向けておけばいい。「同居人の帰宅」がふってきたら、『(スイッチ押す+干す)洗濯』は勝手に消える(ようなものだ)。「洋服を取り込んで」「クローゼットにしまう」は、『洋服の管理』という別の色だ。

もうひとつ大事なのは、自分のキャパを10割使いきって動くのではなく、最高まで8割まで使って動くこと。というより、2割を残して動くことか。
パズルが積み上がってきてしまっても、2割残しておけば、そのあともどうにか動ける。リカバリも早い。フィールドを全部使い切ったらゲームオーバーだ。
ポケモンでいえば、2割HPが残っていたら「きずぐすり」で回復できる。でも使い切って瀕死になったらおしまいだ。
今日は調子がいいけれど、明日と明後日はきっと不調だ。雨と低気圧の予報に加えて生理前が重なってくる。今日は2割どころか3割ぐらい残しておくと、明日がすこし緩和される可能性がある。
それで今日の夕飯は放棄した。うちで冷凍餃子を食べる。サラダも外で買ってきた。

パズルとかPCとかゲームとか、そういうものが持っている概念はわたしの実生活を救うことがある。
暇ならゲームでもしたら?といわれて、まあやってみるか、としたことに意外なひらめきがあった。
昨日はそのあとパズル熱が盛り上がって数独とロジックをやった。これからも盛り上がりそうだ。

17/05/06 Sat. 蚕

どうにか8時に起きて散歩に出ることができた。
延滞していた本を図書館まで返しにいく道のりはちょうど往復で2キロ弱。ちょっとした散歩にはいい距離だ。
ストレスの発散にはランニングがいちばんいいけれど、8割くらいの精度、密度で終わる運動の方が後々キャパを残して、習慣化しやすいかもしれない。気楽にできるのが一番だ。
走るとなると、荷物とか汗とか日焼け対策とか化粧とか、いろいろなことが気になってしまう。

春に芽吹いた植物が葉をさらに繁らせ、あちこちで花を咲かせている。
蝶が飛んでいるのも見かけた。
植物を見ていると気持ちが安らぐ。
民家の脇に突然クワの葉が芽吹いているのもみた。小学校の時、理科の課題で蚕を育てていたときは、こういうクワの新鮮な新芽を一生懸命探したものだった。

蚕はクワの葉しか食べない。
クワの葉を食べて肥え太り、糸を吐いて繭をつくる。
繭は羽化する前に収穫されて、なかの蛹が羽化することはない。
羽化しても蚕は飛べない。体は丸く太っていて、のそのそと歩いて交尾して卵を産む。そして数日で死ぬ。

自分も、人間ではなく、蚕だったらいいのにと思う。
自分の人生は自分の所有物である、と思っているひとには信じられないことだろう。
わたしの気持ちは無視され、わたしの人生は親のためのものだった。出来は悪かったけれど。
自分のために生きるなんて、自分のやりたいことをするなんて、許されてこなかったことだ。
よく、羽ばたけ!とか、飛び立て!とかいうフレーズが若者に向けられるけど、いつもウンザリしていた。
中二病のひとつと見ることもできるけど、そもそも羽ばたいたり飛び立ったりするために生きていなかったし、できなかったから、苦しかった。
蝶はその羽根で遠くへ飛ぶことができる。花の蜜を吸ったり自分の力で遠くへ行ったりできる。
蚕は羽ばたくために生まれていない。繭を取られて殺されるために生きている。運良く羽化しても羽根は形式的についているだけで、人間のつくった箱の中の狭い世界で子供を残す。ただ生きるために生きている。
いきなり野生に、さあ!いっておいで!と放たれても、すぐ死ぬのが関の山だ。
でもそれは蚕に生まれたのだから仕方ない。
わたしは蚕ではないから、人間らしく生きる努力を覚える必要がある。
ただ生きるために生きているだけではいけない、と、世の中のひとが言う。目的をみつけないといけないと。
わたしにはわからない。明日生きるために生きていてはいけないんだろうか。
クワを食べて繭をつくり収穫するためだけに生きたい。
仕事をして金を稼ぎ生きて行くためだけに生きたい。
ただ、Yと一緒にいろいろな景色を見られたらいいとは思っている。
そうしたら子供をつくり子供のために生きてゆくでもいいだろう。わたしは空っぽだ。なにもない。一応蛾のカタチになる蚕のように、一応人間のカタチをしている感じだ。

卯月妙子の漫画に時折出てきた「期限付きで生きていない奴ら」という言葉がある。
わたしたちは、そんな風に何十年も生きるなんてことは考えたことがない「期限付き」サイドの人間だ。
次のデートまで生きる。
次のパーティーまで生きる。
だから、夜中走るのも、ライブでダイブして怪我するくらいむちゃくちゃやるのも、危ないとか怖いとは思わない。そこで死ぬならそこまでだとしか思わない。それが運命だ。諸行無常だ。
だけど、例えば、次の旅行まで生きる、次の子どもの卒業まで生きる、そうできたら、結果的に、この苦しさには追われずに生きられるかもしれない。生活や、人間と関係することなどの別の苦しさには追われるかもしれない。
もう少し君といろいろな景色を見たい。ただそれだけのために私はまだ生きたい。

17/05/05 stress

ベタを飼い始めて1年以上が経った。
ベタの寿命は2年程度だとインターネットでみて、成体になってからうちに来ているということは、寿命は近いのかもしれないと思っていた。2月や3月ごろは動きも緩慢だった。水槽の底に沈んで眠っているようにみえることが多かった。
せめて居心地よくしてやろうと、底砂を買いにアクアリウムショップに行って色々と相談してみた。水質維持のこと、流木の入れ方、ベタの寿命など。するとその中で店員さんが言うには、2年より長く生きることだって多いという。
「大事なのはストレスで、よくフレアリングをさせてやったり、他のオスを見せたり、張り合いがある環境にするのが大切ですよ」と、店員の男のひとは言った。
なるほど、確かにしばらくフレアリングもしていなかった。それから毎日1分程度鏡を見せてフレアリングをさせると、少しずつ元気が戻ってきたように見えた。

ストレスは一概にマイナスに働くだけではない。
アクアリウムショップできいたようなプラスに働くストレスは、「外的な刺激」とでも解釈した方が正しい気がする。
(『ストレス』という単語にはマイナスのイメージがまとわりつきすぎている。)
アプリ版の大辞林で引くと、『ストレス』の意味はこうだ。

①精神的緊張・心労・寒冷・感染などごく普通にみられる刺激(ストレッサー)が原因で引き起こされる生体機能の変化。一般には、精神的・肉体的に負担となる刺激や状況をいう。「ーを解消する」
②強弱アクセントで、強めの部分。強勢。
③物体に加えられる圧力。
④外的圧力に対する弾性体内部の反発力。

どちらかというと『ストレス』は、刺激を受けた結果をいうものだが、刺激そのものについても一般には『ストレス』といいならわしているみたいだ。正しくは刺激そのものは『ストレッサー』のことなのだろう。

さて、わたしには今、「(外的刺激としての)ストレス」がない。
仕事をしていないから、外に出ない。お金がないから、あまり外にもでない。眠りたいときに眠り、義務も明日の予定もない。
水槽のなかで一人でぼんやり泳いで、餌を与えられているベタと同じだ。
わたしにも、毎日すこしの適度なフレアリングが必要だ。

最近、夜によく眠れない。寝付こうとすると、いろいろな思いが頭を巡ってしまう。
眠りに落ちるあわいのところが、いつも恐ろしい。恐ろしい幻覚や、過去の出来事や、終わっていない家事や、自分の人生のむなしさだ。
それでも仕事で疲れきっていたときは眠れていた。
まるで、ひきこもっていた頃のようだ。最悪だ。あの頃に戻りたくはない。

同居人は、人間関係に苦しんだわたしを見て、「フリーランスになったら」とか「詩人になったら」とか言う。だけど、そうじゃない。
人間関係に苦しみ疲れるのは、もちろん嫌だ。
だけど、自分で自分の仕事を管理するような人生を選んだら?わたしは、食えるようになる前にまた自己肯定感を失って、精神から身体を、身体から精神を壊すだろう。
わたしには仕事が必要だ。
毎日出かけて行って、人前で働くことが必要だ。身だしなみを整えて、健康を保って、緊張感を持って人間と関わることが。そういえば、そうだった。
ただ、そうするとわたしのキャパは終わってしまうかもしれない。
キャパが終わった分、気晴らししたりできる時間とお金、食事を外食にしたりするお金が必要だ。
それだけの休日とお金が得られる仕事に就きたいから、仕事を辞めたんだった。

わたしには、やりたいことなんてない。
ただできるだけ、世間に恥ずかしくないように生きていたいという気持ちだけが強い。
家でダラダラとしているなんて、世間に申し訳が立たない気がして、眠ってしまう。または、家の中で家事をしていると疲れてキャパが終わってしまって、眠ってしまう。そういう自分が嫌で、「嫌だ」と思う気持ちでキャパが終わって、また眠ってしまう。
小さな子供のころは、やりたいことや興味のあることがたくさんあった。だけど、失敗したり、興味を持ったこと自体を叱責されたりしたことが多すぎた。
他にも色々と、わたしがわたしであることを苦しいと思い、親を恨む原因はあるけれど、ここにはまだ書けない。惨めすぎるからだ。それは性的なことだ。きっと、同居人には理解ができないだろう。素っ頓狂なことを言われたらまた心を閉ざさないといけないかもしれない。それは嫌だ。
やりたいことなんてない。本当なら何もしたくない。積極的に死にたいとは考えなくなっただけ、褒めて欲しい。わたしはわたしでいることが嫌だ。
だから社会に必要とされなければならない。

まだ生きることがよくわからない。人のことを信用もできない。
一生懸命話して、わかってもらえなかったら悲しい。
実際わたしはヘンでわかってもらえなかったことが多かった。
来週ぐらいまで死ぬことは先延ばしにしようと思えるようになったのが2014年で、
今後も引き続き生きて行こうと思ったのが最近だ。

わたしは、ただ、もう少しYと生きていきたい。もっとずっと生きていきたい。
やりたいことないの?なにかしないの?と言われると、全くそんな願望がないので、叱られているようで悲しくなってしまう。存在してはいけないような気がしてきて苦しくなってしまう。
やりたいとしたら、こうして机に向かって考えたりすることだけど、すぐに気が散って何にも集中できない。夜に走るのが大好きだけど、危ないからだめだよと言われてる。ラジオをオープンエアで適当に素早くかけて机に向かいたいけど、作業をしてるとためらうしもっといい音で聴きなよと言われる。いい音でききたいんじゃなくて、音のシャワーで他のことをシャットダウンしたい。わかってもらえない、と思うと、頑固になってしまう。
目的にいつも到達できない。やり遂げられない。机にそもそもたどり着けない。
やっぱり長く生きて行くのは難しいのだろうか、と思ってしまう。
人に迷惑をかけて生きたりしたくないなあと思う。
わたしのような娘でお父さんとお母さんに悪いなあ、と思う。
代替案を出せばいいのに、いまはそれができない。イライラしている。セックスもない。自分がふがいなくて相手に迷惑なんじゃないかと思うと、それを認めたくなくて攻撃的になる。
前提条件が間違っているとはわかってるんだけど。やることがないんだ。

そんなわけあるか、という話だけど、部屋の水槽のなかにずっといると、真剣にそう思うんだよ。
どうしてこんな風になってしまったんだ、と考えるよりも、外に出て気を紛らわしている方が早い。この先のことを考え込むより働いた方が早い。考え込むとこうなることはわかっている。
はやく働きたい。5月8日まではゴールデンウィークでなにも動かないから動けない。外の人混みも辛い。アルバイトしろっていわれても、キャパを終わらせない程度のアルバイトじゃ生活費に足りない。
特定の音が辛い。光も、辛い時がある。履いている靴下の縫い目が気になって具合が悪くなる日もある。辛いことを避けるためには完璧に自分を守らなければいけない。自分で自分を守ろうとすると脳のキャパが死ぬ。これがワガママなのか、障害なのか、わたしにはわからない。目先のことから逃げているだけなのかもしれない。
このループから逃げるためには金と休日を手に入れて、自分を守る行動を外部に金で委託して気晴らしと安静を得ないといけない。

言い訳ばかりで、ワガママだなと思う。わたしは、言い訳じゃなくて、恐れと、普通には理解されない理由が多いから、一生懸命説明しているんだけど、いつもメンヘラ以外にはワガママとしか言われたことがない。普通の人は、そんなこと我慢してるんだよって。だから、わたしは、甘えていて、ワガママなんだろう。本当にそうなんだろうか、わからない。
自立できない、甘えていて、ワガママなやつは、いけないことだから、死ねばいいとしか思えない。わたしは自分を死ねばいいなんて思えない。

考え方がねじれている。ねじれを少しずつ解くために書いた。どこがねじれて癒着しているのか、どこが改善点なのか、まだ今なら改められるはずだ。

ここまで書いて思うのは、わたしは、マズローの五段階欲求説で言えば、「所属と愛の欲求」が強いけども、そもそも日々の身体のコンディションにいつも振り回されていると、まだ「安全の欲求」だって満たせていないんだろう。自分のコンディションを保つことで、いつも精一杯になってしまう。そこから上は全部中途半端だ。

自己実現理論 - Wikipedia


わたしはわたしを、オールオッケーと思いたいよ。足るを知るというか。大丈夫、って思いたい。
もう10年もこんな考えをウロウロしている。だけど堂々巡りじゃない。思える時間はかなり多くなってきているはずだ。