リアクション

うちの家族は、コミュニケーションというものが取れない。
コミュニケーションとは、情報が相互に交換される行いなのだとわかったのは、さいきんだ。
今日、親と夕飯を取って、結婚に向けて、あちらのご両親と会ってほしい、という話をした。
でも、わたしがその話を、この話をするために今日はセッティングしたんだ、と切り出して話し出すと、ちょっとしたタイミングですぐ母に遮られるので、疲れてしまった。
実家に届いたわたし宛の郵便物。ムール貝の酒蒸し。猫が冷蔵庫を開けられるようになった話。向かいの家に救急車が来ていた話。近所の家の男の子がドラムを始めたという話。ひとつひとつ、終わるまで、急かさず遮らず待って、また話の続きをして、ようやく全部話せた。
わたしは、親に、特に母に、話を聞いてもらうには、母の長い無意味な話が終わるのをまずは待たなければならない。
わたしの話に、特に踏み込んだ質問がされたり、大きなリアクションがされることは無い。
何かを達成して、喜んでもらいたくても、猫が冷蔵庫をあける話に流されてしまう。
リアクションがないと、わたしはどんどん話を大きくするしかない。会合にはおじいちゃんを呼びたいとか、ナントカ倶楽部の会館でやりたいとか、後で詳細が決まって可能であればやりたいことではあるけど、急ぎではないことで、ただ母がなんであれリアクションしそうな話題を必死に出してしまう。わたしだってまだ、そんなこと決めたくはないのに。

手首を切ったときも、同じだった。わたしが苦しいことを話そうとしても、母には話す隙もないし、話してもマウントを取られて叱責される。こうすれば、さすがに心配してくれるだろうと思った。でもやっぱり叱責されただけだった。
母とわたしは、あのとき永久に離れてしまって、もう戻らないように思う。
「みっともない」と母は怒って、自分の友達でもそういうことをする子がいたが、心の弱い子だった、親戚と食事する日が近いんだから、はやく治しなさい、と言った。
わたしは母にとってみっともなくて心が弱くてダメな子供で、わたしが辛いことより外聞が大事なのだと思った。
初めて手首を切って数年経ってから、なんのタイミングだったが、「あなたが話してくれるのを待ってたのに、どうしてなにも言ってくれないの?」と抱きしめられたことがあった。
だけどもう遅くて、わたしはもう母にはなにも話せないのに、今更そんな風に言われてもなあと思った。
時間を撒き戻せるなら、母との関係をやり直したい。
母に話を聞いてもらいたい。
母に喜んで、誇りに思ってもらいたい。
もう母に縛られて生きるのはやめたのに、まだ辛くなる。
わたしはただ、真剣に話を聞いてもらいたいだけ、それでどう思ったか教えてほしいだけだ。
そういうきもちで、同居人のことを面白おかしく話して疲れてしまった。でも、何にでも素直に反応する同居人のモノマネはややウケてた。
誰とコミュニケーションしても、わたしが突飛なことをしがちなのは、リアクションがほしくて不安だからなんだな、と、今日はなんとなくわかった。

わたしの大切な話を、ちゃんと真剣に聞いて欲しかったよ。
そういうのができないひとなのはわかってるけど。
未だになにを考えてるのか、全然わからない。
今さら何されても、今さらそんなことして、としか、思えないのわかってるけど。
わたしには戻れる家族も家も故郷もない。
いくら綺麗なレストランで食事できても面白くない。
頑張るしかない、とにかく死なないことに、決めたのだから。